90年代、音楽のゴールデンエイジがはじまる
昭和から平成へ
音楽の平成ゴールデンエイジ
1989年、昭和が終わると同時にバブルが終焉を迎えた。さらにソ連の瓦解により東西冷戦も終わった。そして、いよいよ1990年代である。
元号も平成となり、新しい時代となったが、バブルの後遺症がまもなく訪れる。不動産バブルの崩壊に伴い、経済状況は急速に悪化し始めていた。
90年代初頭、そんな時代背景のなかで、音楽には新しい潮流が生まれていた。新しい気分と雰囲気を纏ったオシャレな音楽が渋谷を中心に俄然注目を集めた。
この音楽の潮流は「渋谷系」といわれた。HMV渋谷店が発信源だったといわれ、店内でフリパーズギター、ピチカートファイブ、オレンジラブ、スチャダラパーなどをフューチャーしたところ、若者たちがそれに共鳴して渋谷全体に広がり、独自の音楽文化をつくりだした。これが「渋谷系」の誕生である。
90年代は、「ストリートカルチャー」が注目された。そこから新しいブランドが生まれた。「裏原」(原宿の裏通り)には、若いデザイナーたちによる新しいアパレルブランドが次々とオープンして、やがて裏原ブームを巻き起こした。
そのストリートカルチャーと親和性のある「ヒップホップ」が注目されて、音楽ジャンルとして日本でも認知されるようになった。
一方、メジャー路線の音楽では、ドラマやCMとタイアップして大ヒットする傾向が顕著となって現れた。エイベックスレコードが、メジャーになっていく過程では、この方式が有効に作用したといわれる。
「安室奈美恵」が、「小室哲哉」をプロデューサーに迎えてヒット曲を連発して時代のメインステージに駆け上がった。その人気は、アムラー現象となり、茶髪、コギャル、ガングロ、ルーズソックスなどの流行を生み出した。
90年代後半、15歳の化け物のような才能を有した少女がデビューした。それが、「宇多田ヒカル」であった。デビュー曲の「オートマティック」は、発売間もなく100万枚を突破、続いて発売したアルバムは累計765万枚以上を売り上げた。
1998年、日本のオーディオレコードの売上金額が過去最高の6075億円を記録した。(直近2024年/3285億円)
CDや音楽ビデオ(ソフト)は減少傾向が続く一方、ストリーミング配信が市場全体の約34%を占めるなど成長。アナログレコードは、アイドルやJ-POPアーティストの新譜、旧譜の再発が奏功し、若年層にも人気が広がり好調を維持。
音楽の楽しみ方がCD所有から配信・アナログ盤(特別感、インテリア性など)へと多様化している。
渋谷系という新オシャレ音楽の台頭
渋谷系
「渋谷系」とは、90年代に東京・渋谷から生まれた音楽、ファッション、ライフスタイル全般を指すサブカルチャー・ムーブメントのこと、音楽では洋楽的なセンスを取り入れた洗練されたポップスが特徴となっていた。
ファッションは、ストリートファッションの時代となり、80年代のデザイナーズブランドは後退し、アメカジというストリート系ファッションが主流となった。そしてセレクトショップ(ビームス、シップスなど)が台頭してきた。
HMV渋谷店では、小沢健二、フリパーズギター、ピチカートファイブなどの新しい気分を纏った音楽シーンを紹介し、それが当時の若者たちの興味関心を集めていき、やがてその状況に端を発して「渋谷系」といわれるワードが誕生した。
裏原とストリート
裏原バブルはじまる
裏原宿では、若いデザイナーによるショップが次々とオープンし、やがて裏原ブームとなっていった。その代表的なブランドには、藤原ヒロシの「グッドイナフ」、NIGOの「ア・ベイシング・エイプ」、高橋盾の「アンダーカバー」などがある。
音楽では、ストリートと親和性のある「ヒップホップ」が注目されました。アメリカのヒップホップ文化の影響を受けつつ、「EAST END」や「RHYMESTER」などのアーティストによって日本語でラップするスタイルが確立され、日本独自のヒップホップシーンが形成されました。
裏原系ファッションとも関連が深い、ストリートダンスの文化もこの時期に広まりました。
音楽とドラマとCMと
エイベックスが成り上がる
90年代、音楽のヒットの方程式が生まれました。それは、ドラマやCMと音楽がタイアップすることで、最大の効果(売上)を発揮しました。
テレビ局、マスメディア、広告代理店、そしてレコード会社がタッグを組んで音楽を大ヒットに導きました。当時は、インターネットはなく、ようやくパソコンの時代が始まった頃でした。テレビは情報コンテンツの王として君臨していました。
現在では大手のエイベックスは、90年代初頭はまだ弱小のレコード会社でしたが、90年代のヒットの法則を見事に手中にし、小室哲哉、安室奈美恵、浜崎あゆみなど、次々とヒットを飛ばして大手レコード会社の一角となりました。
90年代にヒットしたシングルベスト50(90〜98年)では、48曲がなんらかのタイアップであった。
ミスターチルドレン、スピッツ、パフィーなど
ミスターチルドレン
90年代に多くのミリオンセラーを叩き出したのが、ミスターチルドレンだ。耳に残るメロディーの美しさが最大の特徴である。これは天性のメロディーメーカーである桜井和寿の賜物といえる。4枚目のシングルから11枚目のシングルまで連続してミリオンセラーを記録している。
スピッツ
スピッツは、90年代に花開いたバンドのひとつである。デビューは、90年代初頭であったが、なかなかヒットしなかった。95年発売のシングル「ロビンソン」がメガヒット(160万枚以上)し、その後は次々とヒット曲を連発していく。
パフィー
大貫亜美と吉村由美による音楽ユニット「パフィー」がデビュー。サブカルとヤンキーが融合したような独特のノリが特徴だった。「アジアの純真」(96年)がヒットした。奥田民生がプロデュースを担当した。
米米クラブ
「君がいるだけで」(92年)が、289万枚を超えるメガヒットした。「浪漫飛行」(90年)は、JALのCMソングとして起用され、現在も世代を超えて愛される国民的な人気曲となっている。
1位 だんご3兄弟 速水けんたろう、茂森あゆみ 他 1999年 約291.8万枚
2位 君がいるだけで 米米CLUB 1992年 約289.5万枚
3位 SAY YES CHAGE and ASKA 1991年 約282.2万枚
4位 Tomorrow never knows Mr.Children 1994年 約276.6万枚
5位 ラブ・ストーリーは突然に 小田和正 1991年 約258.8万枚
6位 LOVE LOVE LOVE DREAMS COME TRUE 1995年 約248.9万枚
7位 YAH YAH YAH CHAGE and ASKA 1993年 約241.9万枚
8位 名もなき詩 Mr.Children 1996年 約230.9万枚
9位 CAN YOU CELEBRATE? 安室奈美恵 1997年 約229.6万枚
10位 DEPARTURES globe 1996年 約228.8万枚
ビーイング・ブーム巻き起こる
ビーイングの躍進
長戸大幸により設立された音楽制作およびレコード会社「ビーイング(現ビーゾーン)」は、90年代初頭から中期にかけて立て続けに大ヒットを連発し、躍進を遂げた。
B`z、ZARD、TUBU、WANDS、大黒摩季、DEEN、T-BOLANなどのアーティストが次々とデビュー、1993年には一大ムーブメントを巻き起こした。(この現象はビーイングブームといわれた)
ZARD
デビュー当初はバンド形式だったが、ボーカル、作詞の坂井泉水の実質ソロプロジェクトとなっていく。代表曲は「負けないで」「揺れる想い」などがある。
シングル売上枚数3,700万枚を超え、90年代に最もCDを売った女性アーティストの1人である。また9作連続ミリオン達成(アルバム)という記録もある。
安室奈美恵とアムラーギャルの誕生
90年代の歌姫
安室奈美恵は、90年代を代表するアーティストである。彼女は当初、東芝EMI所属であったが、音楽制作の方向性の違いからエイベックスに移籍した。そこから彼女の快進撃が始まった。とくに小室哲哉がプロデューサーになったことが大きな要因だったことは間違いない。
その人気は、社会的にも大きな影響を与えた。アムラーという彼女のスタイルを模倣する現象が顕著となっていた。茶髪のコギャルを中心に、そこから派生したガングロなど大きな流行現象となって表れた。
最初のヒットとなった「トライミー」は、東芝EMI時代になるが、楽曲の提供はエイベックスがしている。これには余談があり、当初、東芝は発売を渋ったそうである。
それを当時のディレクターがなんとか押し切って発売し、スマッシュヒットした。その影響もあり、その後エイベックスに移籍した。
安室奈美恵の人気は、小室哲哉がエイベックスと袂を分つまで続いた。
プロデューサーの小室哲哉は、安室以外にも90年代に多くのアーティストを世に送り出した。TRF、グローブ、華原朋美など。
宇多田ヒカル現る
天才少女
安室人気が一段落する頃、一人の少女が忽然と現れて音楽界に激震を与えた。それが「宇多田ヒカル」だった。デビュー当時、まだ15歳の少女だったが、作詞、作曲、歌唱の実力に多くの大人が衝撃を受けた。
軽やかに常識を超えた、自由な音楽性を帯びていたその曲は「オートマティック」(98年)といった。瞬く間に100万枚超えのヒットとなり、続いて発売したアルバムは、なんと765万枚以上を売り上げた。
ちなみに宇多田ヒカルと同じ年にデビューしたのが、椎名林檎でした。
1998年、オーディオレコード販売額が過去最高を記録した。
バブルの最後の徒花として91年に大箱ディスコの「ジュリアナ東京」が芝浦にオープンした。ボディコン(80年代バブルの象徴)を着た女性がお立ち台で踊ることでおおいに盛り上がったが、94年に閉店した。
バブルの残り香も消えて、90年代はクラブ(ホステスのいない方ね)が夜の社交場の中心となった。
1位 First Love 宇多田ヒカル 1999年 約765.0万枚
2位 B’z The Best “Pleasure” B’z 1998年 約513.6万枚
3位 REVIEW 〜BEST OF GLAY GLAY 1997年 約487.6万枚
4位 B’z The Best “Treasure” B’z 1998年 約443.9万枚
5位 globe globe 1996年 約413.6万枚
6位 Number 1’s マライア・キャリー 1998年 約360.0万枚
7位 海のYeah!! サザンオールスターズ 1998年 約359.2万枚
8位 Time to Destination Every Little Thing 1998年 約352.0万枚
9位 Atomic Heart Mr.Children 1994年 約343.0万枚
10位 SWEET 19 BLUES 安室奈美恵 1996年 約335.9万枚
おまけ|NOKKOのクラブミュージック
NOKKO
80年代の人気ロックバンド「レベッカ」の女性ボーカルとして脚光を浴びたNOKKOが、レベッカを解散し渡米を経てソロとして発表したのが「ハレルヤ」(92年)というアルバムだった。そのサウンドはレベッカとは大きく異なるクラブサウンドでありファンを驚かした。
屋敷豪太をプロデューサーに迎えて、当時では最先端といえるアシッドジャズやハウスなどを取り入れたそのサウンドは、早すぎたかもしれない。NOKKOはその後、一転してバラード調の音楽を中心に活動していく。
参考文献:
新・黄金の6年間1993-1998(日経BP)
J POPは死んだ(扶桑社新書)
日本の流行歌(ミネルヴァ新書)
AIジェミニ、ウィキペディアほか




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