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■時代と流行|ラスベガスの興亡 カジノとマフィアと女たち

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砂漠の街に咲いた徒花、ラスベガス

金のなる木、カジノに魅せられたマフィアたち

 1946年12月、ラスベガスの砂漠の中にカジノホテル「フラミンゴ・ホテル」がオープンした。これはバグジーこと、マフィアのベンジャミン・シーゲルが幾多の困難(その多くは自らのせい)を乗り越えて辿り着いたものだった。

 ニューヨークマフィアの大物たちによって西海岸ロスアンゼルスに派遣されたベンジャミン・シーゲル(別称バグジー)は、ラスベガスに新しい金脈を見つけていた。それがラスベガスの砂漠にカジノホテルを建設することであった。

 なお、元のアイデアは実業家ビリー・ウィルカーソンといわれる。それを買収し受け継いだのが、マフィアのマイヤー・ランスキー(マフィアから投資金を集め、自らも投資した)であり、その実行責任者としてシーゲルは任命された。

 このカジノホテルの資金は、マフィアの大物たちがどこからか集めたものであった。ところが当初の資金はすぐに底をつき、シーゲルは何度も大物たちへ追加の資金を要請した。膨れ上がる建設費用に危惧を覚えた大物たちは、シーゲルに疑念を抱くがとりあえずホテルが立ち上がるのを待った。

 そして、1946年12月についに「フラミンゴ・ホテル」がオープンの運びとなった。これが、いまに繋がるラスベガスをカジノの街とするプロローグとなった。

 このカジノホテルの目論みは、実に慧眼であった。その目的は、セレブや富裕層をホテルに長期滞在させてカジノ(賭博)に高じさせることで収益を高めるという算段をしていた。カジノ自体は、これまでもあったが宿泊させるホテル、それも高級感のあるそれを用意したことが新しかった。

 さらにハリウッドのスターを客寄せとして使ったのも、その後のラスベガスのエンターティメントの時代を予感させるものであった。(シーゲルは俳優のジョージ・ラフトと友達であり、ハリウッドにも顔が利いた)

 しかし、責任者となったシーゲルはやはりマフィアであった。カジノホテルの目の付けどころは良かったが、責任者がマフィアというのが仇となった。かれは、投資されたマフィア資金を自らの資金に横流ししたと噂されている。愛人に貢いだともいわれている。そのせいで建設予算は当初の約6倍(それ以上とも、諸説あり)に膨らんでいた。

 オープンしたカジノホテルが順調ならば、その収益金でごまかしも出来たかもしれないが、それに反して営業成績は良く無かった。ホテルに多額の資金を提供したマフィアの大物たちが憤りを覚えても不思議ではない。

 1947年6月、バグジーことベンジャミン・シーゲルは、ロスアンゼルスにある愛人の自宅で何者かに射殺された。マフィアの資金を使い込んだことから粛清されたといわれている。かれの特徴であったブルーアイ(青眼)は、両方とも吹き飛んで、片方は後方の壁に張り付いていたとか。まだ男盛りの41歳であった。

 シーゲルの死後、マフィアの大物たちは「フラミンゴ・ホテル」の後継責任者にカジノ経営に長けた人物を就けた。そして、富裕層向けから一般大衆路線に方向を転換し、それが大成功して一時代を築くことになった。

 マフィアの大物たちは、災い転じて福と成すことに成功した。そして、その後しばらくの間は、マフィアがラスベガスを支配した時代が続いた。

 しかし、政府もマフィアに寛大であった時代は終わった。カジノでやりたい放題を許す風潮もいつの間にか過ぎていた。カジノ経営には、ライセンス制が導入されてマフィアには厳しさが増していく。1960年代後半から、当初は誤摩化していたマフィアも、ついにカジノを徐々に手放していくことになった。

 変わってラスベガスのカジノホテル王になったのが、謎の大富豪ハワード・ヒューズであった。ヒューズは、一時期ラスベガス中のホテル群を買収する勢いだった。しかし、それも気紛れか?体調不良なのか知らないが、いつの間にかラスベガスから去って行ってしまった。

 1980年代になって現れたのが、巨大な投資資金をバックにした不動産開発会社であった。かれらは巨大なテーマ型ホテルを次々と建設し、ショーもより派手になっていた。ラスベガスはカジノを中心とした街から、エンターティメントを楽しむ街へと変貌を遂げていた。そして、それはいまも継続中である。

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<ベンジャミン・シーゲル>
Benjamin Siegel、1906年2月28日 – 1947年6月20日。
ユダヤ系のマフィア。別称はバグジー。ラッキー・ルチアーノの配下、マイヤー・ランスキーの片腕として殺しを請け負っていたといわれる。粗暴であり、その腕っ節の強さはマフィアの中でも秀でていたとか。かなりの男前であり、自らもそれを自覚していた。

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<フラミンゴ・ホテル>
1946年12月にオープンしたカジノホテル。
マフィアのベンジャミン・シーゲルが夢を託したホテルとして有名。フラミンゴはシーゲルが命名、愛人ヴァージニア・ヒルの愛称だったらしい。

フラミンゴ・ホテルは、60年代後半に投資家カーコリアンに売却される。その後は、ヒルトン系列を経て現在はシーザースパレスなどと同系列となっている。

上の写真はオープン当初の「フラミンゴ・ホテル」、周囲は砂漠であり他には何も見当たらない。よくぞこんなところにカジノホテルを大金掛けて建設したなと思うばかりである。現在のラスベガスの光景は、まったく想像することもできない。

ラスベガスを舞台とした映画、ドラマのいくつか

■バグジー 1991年製作

 1940年代、ラスベガスがカジノの街となるプロローグを描いたのが「バグジー」である。主人公は、マフィアのベンジャミン・シーゲルとその愛人ヴァージニア・ヒル。背景は、第二次大戦が終わり、一般大衆が楽しみを謳歌しようとする時代の幕開けの時期に重なっている。

キャスト:バグジー/ウォーレン・ベイティ、ヴァージニア/アネット・ベニング、他。

<ストーリー>
 マフィアであるベン・シーゲルは、組織拡大のため西海岸へ行った際、ハリウッドで売れない女優のヴァージニア・ヒルと恋に落ちる。1945年、ラスベガスの小さな賭場を手に入れたベンは、その賭場を訪れた際にラスベガスにカジノ付き大ホテルを建設することを思いつく。

 フラミンゴ・ホテルと名付けられたそのホテルを建てるため、ベンはマフィア仲間から金を調達するが、ベンの壮大な計画を実現するには莫大な費用を必要とした。やがて‥‥。(参考ウィキペディア)  

 
■VEGAS/ベガス(TVドラマ) 2012〜2013年放送

 1960年代のラスベガスを舞台にマフィアたちと保安官たち(当局)との攻防を描いている。60年代初頭のラスベガスは、カジノの街として隆盛を見せていた。マフィアは、さらにラスベガスの支配圏を広めようとするが、当局はそれを押しとどめようとする。

キャスト:保安官/デニス・クエイド、マフィア/マイケル・チクリス、検事補/キャリー=アン・モス、他。

<ストーリー>
 舞台は、砂漠の中に牧場とカジノが点在する1960年代のラスベガス。戦争中に軍警察を務めた経歴により、カウボーイから保安官となったラルフ・ラムと、カジノ・ホテルの支配人としてラスベガスにやってきたマフィアのヴィンセント.サヴィーノとの攻防戦やマフィア同士の抗争を描いている。(参考ウィキペディア)

■カジノ 1995年製作

 1970年代、ラスベガスのマフィア支配が末期を迎える頃の様子を描いている。マフィアが支配するカジノホテルを舞台に、カジノに雇われたプロギャンブラーとその友人のマフィア、関係する女達の光と影に満ちた人生模様を描いている。

キャスト:主人公/ロバート・デニーロ、主人公の妻/シャロン・ストーン、マフィアの友人/ジョー・ペシ、他。

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<ストーリー>
 1970年代。全米で唯一賭博が合法な街ラスベガスはギャングに支配されていた。ベガス一のカジノ「タンジール」を仕切る”エース”ことサム・ロススティーンはプロのギャンブラー。かつてはシカゴで不法賭博で稼いでいたが、警察に追われ、賭博が許されるベガスにやってきて生活が一変。ただのノミ屋から、ロススティーン氏と呼ばれるほどにまでなった。(参考ウィキペディア)

<特徴>
 実話に基づいた映画。当時のカジノホテルの様子が良く描かれている。スターダストという有名なカジノホテルがモデルとなっている。そこは、トラック乗務員の組合のボス(ジミー・ホッファ)とマフィアの資金で経営されていた。
 
 当時のマフィアは、実に簡単に人を殺してしまう。そして、死体はラスベガス近くの砂漠に埋める。ジョー・ペシが演じたマフィアは仲間たちに殺害されるが、その様子が実に残忍としか言い様がない。数人でバットで殴り殺しそのまま砂漠の穴に放り込んでおしまいである。

ラスヴェガス物語―「マフィアの街」から「究極のリゾート」へ (PHP新書)

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