伝統と格式のはじまり、それがグランドツアーであった
ヨハン・ゾファニー「トリブーナ」 美術室に集うのは英国人たち
かつて英国は、片田舎の冴えない国であった
現在では、伝統と格式の国として世界に確たる文化を知らしめる英国である。しかし、17世紀、18世紀の頃の英国はいまとは異なり、なんら文化らしきものがない、冴えない貧相な国であったそうである。確かにエリザベス一世の時代の頃を舞台にした映画などを観ると文化というより、なんとも野蛮な感じが否めない。
それは、ヨーロッパ大陸とは海を隔ていたことが原因か。それとも人種の違いなのか。当該ユーザーは知る由もないが、たしか、英国はアングロサクソンが主流だったと思うが違うか。
それはさておき、「グランドツアー」である。これは、日本の修学旅行のルーツと言われているそうである。それが、何かと言うと、英国貴族の文化見聞の旅を意味していた。伝統と格式を確立する前の英国では、さすがにこのままではまずいと考えたか、それは知らないが自国の文化擁立のために動き出していた。
なお、その目的は文化だけではなく、政治、経済、技術などその範疇は広かったようである。ともかく、かつての英国貴族たちは自分の子息たちの見聞を広めるために、こぞって海外に出かけさせたそうである。それが「グランドツアー」であった。
そして、この文化見聞の旅の成果なのか。英国は19世紀以降独自の伝統と格式を誇る文化を確立していった。かつては、冴えなかった田舎の国が、いまでは伝統と言えば英国とまで言われる様になった訳である。なんともはや、英国貴族の面目躍如である。
このグランドツアーは、貴族の子息とその教育係の2人で行く事が多かったようである。訪れた先は、イタリアのフィレンチェなどである。その他も大概はヨーロッパの伝統ある国らしい。
当時のフィレンチェは、それこそ文化の坩堝であったに違いない。メディチ家が支配していた時代には、ダビンチやミケランジェロなどそうそうたる芸術家がその腕を振るった場所である。
そこで見た光景は、さぞや当時の英国の現状とは違ったものであったに違いない。英国には、現在、大英博物館という代物がある。これは、世界の各地から集めた歴史的貴重品を此れでもかと言わんばかりに揃えた博物館である。このような博物館の元になったのが、たぶんグランドツアーで行われた文化見聞の旅の成果に違いない。
そういう意味では、当時の貴族の子息たちは、それなりに優秀で素養があったのだろう。後の英国の礎を築く足がかりとしての役目は、どうやら果たしたようである。現代の金持ちや、政治家の2代目のボンクラとは違ったはずである。たぶん。
なお、あくまで推測であるので、あしからず。
<グランド・ツアー―良き時代の良き旅>
第5回(1983年) サントリー学芸賞・思想・歴史部門受賞
現代のグランドツアーは如何に!
現在、3月であるので学生さんの卒業旅行が盛んになる頃合いである。かれら、彼女たちはこぞって海外へと行くはずである。しかし、その目的は如何に。かつての英国貴族の子息と比べると見聞を広める意味合いが、どうも違うのではないか。と穿った見方をする次第である。
かれら、彼女たちの目的は、一番に遊びである。楽しい事がしたいである。就職も決まってるし、学業ともおさらば、とにかく羽をのばしたい。その一点につきるはずである。それも悪くないが、せっかく文化の異なる国へ行くのなら遊びだけでなく、その国の文化の成り立ちや背景を知ることがあっていいと思うが、如何に。
なお、これはある種、行けないものの僻みである。したがって、これから卒業旅行に行かれる人は気にしないでください。羽を伸ばしてきてください。
さて、季節も変わり新学期ともなれば修学旅行もシーズンに入るのではないか。ティーンの団体行動のもっともたる行為である。しかも、あまりその意味を考えていない生徒ばかりのはずである。実は当該ユーザーも何ら修学旅行で得るものはなかった一人である。
なんせ、当時は文化や歴史にあまり興味がなかったからである。それよりも同級生の女性に興味の対象があった次第である。そのような生徒に文化のなんたるかを教える先生たちの苦労は如何ばかりか。現在では、それを考えることができるようになった。
いま修学旅行がどのように行われているか知らないが、どうせ興味の無い奴ばかりという視点から発想して旅行の選定や行動、何を目的とするかを明確にする必要があるように思われる。そうでないと、当該ユーザーのように、ただ女生徒にいいかっこしたり、枕をなげっこしたぐらいしか思い出は残らない。
そんな思い出ばかりでは、何の役にも立ちやしない。と思うが如何に。
もっとも、つまらない思い出の数々、後悔の念に駆られる思い出こそ後の役に立つのかもしれない。なお、あくまで仮説であるのは言うまでもないことである。
日本の貴族もグランドツアーをした
戦前の昭和時代、日本の貴族の子弟たちも英国に習って、海外へ文化見聞の旅に出ていた。大概は、ヨーロッパであったようである。東京の目黒にある庭園美術館の元の主もそのひとりであった。
それが、朝香宮鳩彦王であった。殿下は、フランスに主に軍事を学ぶために行っていた。しかし、その軍事方面よりかれを有名にしたのが、いまでも残る目黒の邸宅である。それは、当時(1925年頃)の最先端の美術様式、アールデコをふんだんに取り入れたものであった。
朝香宮殿下は、その当時のパリの流行を、文化を日本に持ち込んだのである。殿下は、最終的には陸軍大将として終戦を迎えた後、皇族の籍を剥奪されて一般人となった。一般人となった殿下は、アールデコの邸宅を外務省に貸し出し、伊豆方面でゴルフ三昧の生活をしたとか。
ちなみに、貸し出された邸宅には吉田元総理が住んでいた。かれはその邸宅を気に入り、手に入れようとしたが敵わず、後に西武グループの創立者堤康次郎のものとなった。そして、年月は過ぎて東京都が買い上げたという経緯がある。
しかし、壊されずに残されただけでも貴重なアールデコの邸宅である。これもグランドツアーなくしては、現在にあらずである。
<朝香宮家に生まれて/アマゾンより>
波乱の人生と旧皇族・華族の暮らしが、娘である著者の視点によってつまびらかに紹介され、貴重な写真とともに綴られている。
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