ミニスカートは、時代も流行も超えた!
それは、60年頃のロンドンのストリートで生まれた
ファッションには、流行が終わったその後には、二度と顧みられなくなるものがある。しかし、その反対に定番となって後世に残るものも存在している。
また、一端廃れた流行が時を経て復活することもある。そして、定番となったものは、ファッションサイクルのなかで現れては消えるを繰り返すのである。
それが宿命であるかのようにーー。
そのようなファッションの歴史のなかで、ミニスカートの誕生は革命的であったと思われる。スカートの丈は、時代の変化とともに短くなっていたが、60年前後に登場したミニスカートという概念は、その後のファッションに大きな影響を与えたといっても過言ではない。
ちなみに、このミニスカートは、60年頃のロンドンで誕生したそうである。一般的には、マリークワント(デザイナー)が考案したように捉えられているが、どうもそれは違うようである。
60年前後、ロンドンのキングスロードのチェルシー地区という若者が集まる場所に、チェルシーガールと呼ばれる当時の先端ファッションを着こなす女性たちがいた。
ミニスカートは、このチェルシーガールの着こなしの中から自然発生的に生まれたものだそうである。また、ミニスカートの普及には、モデルのツイッギーがマーケティング(市場創造)的なミューズとなって世界市場の拡大に貢献している。
マリークワントは、自身がトレンドセッター(流行を先駆ける人)であったことから、このファッションが時代のトレンドになると考えて、それを商品化し市場に流通させた。ミニスカートと命名したのは彼女らしい。なんでも車のミニにちなんだものと言われている。
ともかく、この成功によって彼女の運命は決まったといえる。後に彼女は、このファッションの成功をきっかけにした外貨獲得の功績によって女王より勲章を授かっている。ちなみに、あのビートルズも同じ勲章を授かっている。
マリークワントによって一般大衆に認知されたミニスカートは、次にはフォーマルの世界にも広がっていく。その役目を担ったのが、フランスのデザイナーであるクレージュであった。クレージュは、オートクチュールのデザイナーであった。
したがって、スポーティーでカジュアルなミニスカートに品性のある清楚をもたらした。それによって、フォーマルな場にも、ミニスカートが進出する機会を創出したといえる。
ミニスカートは、マリークワントが大衆に、そしてクレージュがハイソ(上流)に訴求することでほぼすべてを網羅することができた。これによってファッションの定番は約束されたものとなった。
ミニスカートは、時代を超えてゆく
60年代に一世を風靡したミニスカートであったが、70年代になると世相を反映したのか、何故かスカートの丈は長くなっていた。ロングスカートが流行したのである。
その後は、パンタロンというスカートではなくパンツルックも流行した。もうミニスカートは見れないのかと思ったが、80年代になると、それは燦然と輝くボデコン(ボディコンシャス)のミニスカートとして復活したのである。
ピッチピッチでパッツンパッツンのボデコンは、体にフィットしたワンピース?のミニスカであった。これを文字通り発明したのは、デザイナーのアライヤであった。
1983年にこれを発表すると世界中で瞬く間に模倣を生み出した。そして、そのファッションは、ディスコ文化とともに一世を風靡することになった。
しかし、このスタイルも90年代前半までで、以降は廃れてしまった。しかし、ミニスカートは生き続けたのである。
90年代になると、ボデコンは廃れたが、女子高生の定番スタイルとしてミニスカートは欠かせないものとなっていた。これは、現在でも続く、けっこう息の長いスタイルとなっている。また、2000年代以降では、アイドルとミニスカートは切っても切れない関係となっている。
これもまた、現在進行系である。このように、数あるファッションのなかでも、これほど長く愛されているアイテムはないのではないか。
ミニスカートは、その誕生からすでに半世紀であるが、ほんの僅かの間消えていた70年代の一時期以外では、ほぼファッションのメインストリームであり続けたと言っても過言ではないだろう。まさに、時代も流行も超えた存在となったのである。
以下は、
スウィンギン・シックスティーズ ファッション・イン・ロンドン 1955-1970
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