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時代と流行|揺れる香港の未来 共産主義社会の一国二制度は維持できるか

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香港市民の自由はいずこへ

 香港では、「逃亡犯条例改正」に端を発した香港市民のデモ活動がいっこうに収束する気配がない。昨今では、反政府デモの様相が濃厚になってきている。

逃亡犯条例改正案
2019年2月、香港政府が立法会(議会)に対し、協定締結済みの20カ国・地域に含まれない中国本土などにも個別事案に応じて犯罪人を引き渡せるよう、逃亡犯条例を改正することを提案。

 2019年4月ごろから始まったこのデモ活動には、リーダーがいないといわれる。かつての「雨傘運動」には学生リーダーがいたが、今回は中心ではないようだ。とはいえ、背景にはCIAがいるとか、いないとか憶測されている。

雨傘運動(または革命)
 香港で2014年9月28日から79日間続いた民主化要求デモ。2017年の香港行政長官選挙をめぐって、中国中央政府が民主派の立候補者を実質的に排除する選挙方法を決定したことに対し、抗議する数万人の学生・市民が、銅鑼湾(コーズウェイベイ)などの繁華街を占拠した。

 とにかくデモの動員数が半端ない、多い時には100万人とか200万人とかいわれていた。このように揺れる香港では、観光客数も激減しているそうだ。

 香港は言わずと知れた国際金融都市である。徹底した規制緩和、低税率を武器に、世界中の大企業・金融機関のアジア拠点として誘致し、繁栄を築いてきた。いわば自由度が高いことが多くの金融資本を集めてきた。

 ところが中国には、本来の意味での自由はない。共産党一党独裁の国家であるから、それに逆らえばおのずと拘束されるしかない。

 一方、香港には一国二制度という高度な自治権(1997年から50年間)が与えられていた。香港市民は、英国統治下では自由を得ていた。「逃亡犯条例改正」を機に自由が奪われる危機感を敏感に察したのは言うまでもない。

 中国政府の最近の動きには、監視社会の強化というものがある。約1億7000万台の世界最大の監視カメラネットワークを構築しているそうだ。さらには、市民の行動を監視し、ランク付けし、スコアが高いものに恩恵を、低いものには罰を与えるという「社会信用システム」を構築し始動している。

 これは、もはやビッグブラザーが支配する「1984」の世界ではないか。

1984年
イギリスの作家ジョージ・オーウェルのディストピア(反ユートピア)小説。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。

 90年代、中国は改革開放の掛け声とともに資本主義の手法を取り入れた、それから以後、未曾有の高度経済成長を手に入れて現在に至る。

 いまでは世界第2位の経済大国となった中国であるが、昨今ではなんだか怪しい動きが顕著である。中国から生まれた大企業である「アリババ」や「テンセント」、その他大企業の創業者やCEOが退陣を余儀なくされている。

 そして、その代りに官僚が送り込まれるそうだ。官僚に企業の経営ができるのだろうか、甚だ疑問であるが。この流れは止まりそうもない。

 もしかしたら、中国はもういちど「文化大革命」をしようとしているのだろうか。1965年から約10年間実施された文化大革命では、四旧(旧思想,旧文化,旧風俗,旧習慣)打破をスローガンに、ブルジョアといわれた資本家や地主、旧体制といわれた党幹部などが徹底的に叩かれた。

 はたして中国は、どこに向かおうとしているか。また香港のゆくえはいかに。

香港の成り立ち アヘン戦争と英国統治

 香港は、中国南東部にある特別行政区で、かつてはイギリス植民地だった。香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ235余の島を含む。面積は東京23区の約2倍、沖縄本島や札幌市と同程度に当たる。1,104 km2の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。

 1840年、清(当時の中国王朝)とイギリスのあいだでアヘン戦争が勃発する。この戦争に敗北した清は、香港の割譲ほか不平等条約を結ばされた。

アヘン戦争 1840-42
 当時のイギリスは、清からお茶を大量に輸入していた。支払い代金は銀であったが、それが次第に不足ぎみとなった。そこでイギリスは、インドのアヘンを清に密貿易して、それで手にした銀で支払いを行うようになった。

 一方、清ではアヘンの取り締まりを強化し全面禁輸を断行した。それに怒ったイギリスは、一方的に戦争を仕掛けて清を屈服させた。なんともイギリスの理不尽さも度を越していた、と言わざるをえない戦争であった。

 アヘンは麻薬であるから、取り締まるのは当然である。しかも、独立した国家が行う政策にいちゃもんを付けて、武力行使までするとは、現在では考えられないことである。しかし、当時のイギリスは泣く子も黙る大英帝国である。

 大英帝国に逆らうとは、いい度胸だとばかりに清は徹底的にやられてしまった。これに驚いた国がある。それが日本である、日本は当時は幕末であり尊皇攘夷が盛んであったが、一部の有力武士のあいだで攘夷どころではない、このままでは日本も清の二の舞だ、という考えが広まったそうである。

 したがってアヘン戦争によって、明治維新が訪れたともいえる。

イギリス統治下の香港

 イギリスは、理不尽な要求で香港を手に入れてしまった。しかし、イギリス統治下になった香港は、その後発展していくことに。一方、清はその後、第二次アヘン戦争(アロー戦争)、日清戦争ともに敗北し、さらなる苦境に陥った。

 そして1912年、「辛亥革命」によって清王朝は滅亡した。

 中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点となった香港では、イギリス政府による植民地統治機関である香港政庁のもとで、19世紀末から20世紀初にかけて華南貿易の基地として発展する。

 1865年、イギリス資本の香港上海銀行が創設される、その後イギリスが植民地統治下においていた極東最大の銀行に発展していく。

 1941年-45年の太平洋戦争のあいだ香港は日本帝国陸軍の統治下におかれた。

 太平洋戦争後、香港はふたたびイギリスの統治下にもどる。1949年、中華人民共和国が成立したが、共産主義を嫌った中国人が多く香港に逃れてきた。

 イギリスを中心とした外国資本や華人資本も上海から香港に本拠を移し、香港のさらなる経済発展に大きく寄与することになった。

 1970年代からは繊維産業を中心とする輸出型の軽工業が発達し、さらに、1960年代以降の旅客機のジェット化、大型化を受けて、航空機による人と貨物の輸送量が急上昇し、香港が東南アジアにおける流通のハブ的地位を確立した。

 その後1980年代に入ると中華人民共和国の改革開放政策が進展し、香港の製造業は国境を越えて中華人民共和国側に進出、香港は金融、商業、観光都市となっていった。

 租借地新界の租借期限が次第に近付いてくるため、イギリス政府は新界租借の延長を中華人民共和国に求めたが、中華人民共和国は応じなかった。

 イギリスが引き続き香港を植民地支配下におけるよう求めていたが、中華人民共和国は「港人治港(香港の人が香港を治める)」を要求してこれに応じず、鄧小平はサッチャー首相に対し「イギリスがどうしても応じない場合は、武力行使や水の供給の停止などの実力行使もありうる」と示唆した。

 そしてイギリスは、1997年に香港の主権を中華人民共和国に主権移譲し、香港は中華人民共和国の一特別行政区となることが明らかにされた。

 この中で中華人民共和国政府は鄧小平が提示した「一国二制度」政策をもとに社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。

 1997年7月1日、香港は正式にイギリスから中華人民共和国に主権を移譲した。

大英帝国の黒歴史としてのアヘン戦争

 清に不条理な言いがかりを付けてアヘン戦争を起こしたイギリスであるが、一応反対意見もあったようである。それが、以下に引用したグラッドストーン(のちに首相)という政治家の演説である。

 シナには、アヘン貿易をやめさせる権利がある。それなのにシナの正当な権利を踏みにじって、我が国の外務大臣は不正な貿易を援助した。

 これほど不正な、恥さらしな戦争はかつて聞いたことがない。大英帝国の国旗ユニオン・ジャックは、かつては正義のために、圧政の敵であり、民族の権利、公正な商業のために戦ってきたのに、醜悪なアヘン貿易を保護するためにかかげられることとなった。国旗の名誉は汚された。

 もはや、我々はユニオン・ジャックがひるがえるのを見ても、血わき肉おどるような感激はおぼえないであろう。

 というような演説が議場で行われたようだが、それでもアヘン戦争は多くの賛同を得て実行された。戦争の動機としては、最低のレベルであるのは間違いない。

おまけ|香港と金融とタックスヘイブン

 香港では、国内資本・企業・産業の保護といった制度・政策がほとんどなく、どんな国の企業でも、どのような人々でも、きわめて平等かつ自由に競争できる社会が用意されているそうです。

 圧倒的な税負担の少なさも加わることで、国際レベルの大企業・金融機関から、本当に個人レベルの実業家・投資家まで、「ひとつ勝負をしてやろう」という人々が流れ込み、結果的に世界中から(香港政府の思惑どおりに)ヒト・モノ・カネが集まってくるという状況になっている。

 投資案件・金融商品などについても世界中から集まり、それぞれが厳しい販売競争を繰り広げていますので、他の地域ではなかなか利用できない、案件・商品が存在する可能性も高いといわれます。

 いわゆる参入障壁についても極限まで取り除かれているので、たとえ外国人であっても、こうした案件・商品を自由に利用することが可能となっている。

 なお、香港の現在の繁栄は、その低税率によるところが大きいのも事実ですが、そのメリットは、基本的に香港に本拠地を置いて活動する企業や人だけが享受できるものだそうです。

参考・引用:なぜ「香港」には「ヒト・モノ・カネ」が集まってくるのか?
参考:ウィキペディア、封印された中国近現代史、その他
画像:ウィキペディア

追記:
香港政府、追い詰められ「最終手段」=緊急条例、混乱拡大リスクも
香港政府は10月4日、マスク禁止の「緊急条例」を発動した。
立法手順を得ないこの条例は、行政長官に委ねられた最も強力な手段といわれる。当然、民主派は反発し、さらなる混乱に拍車がかかりそうである。

【新装版】封印された中国近現代史
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