バレエ・リュスという肉体的芸術!
見よ!この肉体を。バレエ・リュスの看板スター、ニジンスキーである。たぶん!
1911年から1929年まで「バレエ・リュス」というバレエ団があったらしい。大変有名であるのでご存知の方も多いと思うが、個人的には海野弘の著作によって初めて知った次第である。それは約20年前ぐらいと思うが、定かではない。とにかく、伝説的なバレエ団として、いまでも語られる存在である。
ちなみに、リュスとはロシアを意味するらしく、したがってロシアのバレエ団という意味であるらしい。ニジンスキーやレオニード・マシーンといったダンサーの名前を一度は聞いたことがあると思うが、いかがですか。
伝説のバレエ団ロシアに生まれる
「バレエ・リュス」は、ロシア帝政の末期、モスクワにおいてディアギレフという天才的なプロデューサーによって、ボリショイ劇場等の座員たちを中心に結成された。しかし、当初は、「セゾン・リュス」と称していたようである。
この当時は、どうやら、座員の多くが既存の劇場に所属していたので、劇場のシーズンオフにしか座員を集めることが出来なかったようである。そして、1911年になって、ようやく年間を通して公演できる体制を確立する。このときから、「バレエ・リュス」としての本格的な活動が開始された。
何故、「バレエ・リュス」が伝説的なバレエ団となったか。それは、その革新性にあったようである。それまでの古色蒼然としたバレエから、ダイナミックでかつ艶かしい生き生きとしたバレエを確立したからである。実際に観た事は無いが、なんでもニジンスキーやマシーンの強靭な肉体性を活かした演出は当時の観客を驚かしたらしい。いまでも、かれらのそのジャンプ力の凄さは伝説として語り継がれている。
また、プロデューサーであるディアギレフは、その独特の美意識から舞台美術、衣装などを19世紀的なものから一新させる。当時の第一線の革新的美術家を動員して、造り上げられたその舞台は従来のバレエの概念を大きく超えて新しい領域を創造していた。そして、それは伝説となったのである。
画家レオン・バクスト「牧神の午後」のニジンスキー。
なんともエロチックな感じが漂うダンサーである。
このバレエ団は、主催者であるディアギレフの存在を抜きには語れない。なんでもかれは、ホモセクシャルであったそうだ。そのせいかどうか知らないが、その表現性もどこか性的要素を感じさせるものが多くあったと云われている。しかし、ゲイの人たちはなんで創造性が豊かなんだろうか。ま、それはともかく、ディアギレフは男性の座員に結婚を許可しなかったそうだ。
そのせいで、やがて看板スターのニジンスキーは退団してしまう。そして、変わってマシーンが看板スターとなるのである。なんだか、異性との恋愛禁止てのは、どこかのアイドルみたいだなと思うが、アイドルの恋愛禁止とは古今東西変わらぬことらしい。当時のニジンスキーなどの写真を見ると、なんと艶かしい姿形であることか。現在のバレエに感じる印象とは、だいぶ異なっているのが分かるのである。みなさんは、どうですか。
バレエ・リュスの消滅
ロシア革命や第一世界大戦という、世界の枠組みが大きく変化する中をなんとか生き抜いてきた「バレエ・リュス」であったが、1929年に創立者ディアギレフの死去により、存続できずに消滅したのである。しかし、その功績は大きく評価されており、現在のモダンバレエの基礎を築いたと考えられている。また、舞踊、美術、音楽というものが結実した芸術を多く残したことでも評価が高いのである。
個人的には、「パラード」という1917年に公演されたものが興味深いのである。これは、ジャン・コクトーが台本を、ピカソが美術を、そして音楽をサティが担当するという、なんとも豪華な顔ぶれの制作陣である。これを指揮するディアギレフの能力は大したものと云わざる得ない。いまさらであるが、なんで、ゲイは創造性が豊かなんだろうか。どうにも疑問である。
ちなみに、このバレエ団は、ロシアが発祥であるにも関わらず一度もロシアでは公演しなかったそうである。これは、政治的な要因であるが、そのため流浪のバレエ団とも云われたようである。今回のテーマは、モスクワであったが、少しも話題がなかったようだ。次の機会にモスクワについて触れたいと思う。では、この辺で、ロシアより愛を込めて!。
ピカソ作のパラードの衣装と舞台装置?。
なんとも妖しい雰囲気と艶かしさ漂う演出である。
以下は、ニジンスキーの伝記漫画!とドキュメンタリー映画である。
<牧神の午後 /内容紹介>
”翼を持ったものには腕がない” ”腕がある者には翼がない” 20世紀初頭、パリの人々を驚かせたロシアバレエ団の伝説的ダンサー、ニジンスキーの生涯を描いた傑作。
<バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び/内容紹介>
1909年パリで誕生した「バレエ・リュス」。伝説のダンサー、ニジンスキーを生むものの、天才興行師セルジュ・ディアギレフの死後1929年に解散。その遺志を継いだダンサー達はロシア革命、2つの世界大戦を経て、激動の20世紀を旅する。しかし、ツアーのコスト増大、内部の確執などが原因で幕を下ろす。その後、2000年に開催された同窓会には100人近くの元団員が集まり、過酷な状況下でもバレエへの純粋な情熱に満たされ、踊る歓び、生きる歓びを語る。
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