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小説創作|とうきょうながれもの 其の二:お富降臨

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 有名な歌舞伎の演目に『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)というものがあります。歌舞伎では、世話物といわれているジャンルになります。ちなみに、内容は一種のラブストーリーである。

 嘉永6年(1853年)、江戸中村座(明治時代に廃座)にて初演されました。この年、ペリー提督率いる米国インド艦隊が浦賀に来航(黒船)しています。

 主人公は、『与三郎とお富』である。与三郎は、江戸の大店の息子ですが、なぜかやさぐれて、千葉県某所に流れてきます。通称『切られ与三』として有名です。

 お富は、元深川の芸者であり、ヤクザのお妾さんになっている。そんな二人が運命的な出会いをして愛し合うようになり、それ以後いろいろな出来事が巻き起こる、というものがたりとなっています。

 当該小説は、言うまでもなく、『与話情浮名横櫛』に触発されて創作したものであります。舞台は、原作とおなじく千葉県某所を設定しています。

 この千葉県某所は、江戸時代には、海上交通の拠点として栄えたそうです。房総半島の物流拠点、さらには遊興のまちとして有名だったといわれます。

 昭和の高度経済成長時代までは、地域の拠点として栄えますが、大店法が緩和された70年代以降、徐々に衰退していきます。そして現在、商店街はシャッター街に、かつての繁華街に人の姿を見ることは稀となりました。

 現在、都会と田舎を区別する判断に『まちを歩く人がいるかいないか』、または『繁華街があるかないか』という物差しがあるようです。これを基準にすると、舞台となる某所は、まちがいなく田舎である。

 ちなみに、大都会東京までわずか1時間弱(高速バス)の距離でしかない。さて、みなさん、この千葉県某所とはどこでしょうか。

お富降臨

『午後5時になりました…、こども達は…、地域のみなさまも…』というとぎれとぎれで聴き取りにくい女性によるアナウンスが、どこからか流れていた。

 冬の陽は暮れかかり、もう黄昏時となる頃合いだった。海の彼方の空には、薄いオレンジ色が広がりはじめて、辺りはもうすぐ夕焼けに染まるばかりだ。

 海沿いの公園に人の気配はなく、わずかに聴こえる波の音と、風に揺らぐ樹々の葉の音がしていた。それは情緒があるともいえたが…。

 しかしながら、近くをひきりなしに通るクルマの音と、所々に点在する安普請の建物が、そんな風情を台無しにしていた。

 松林のある公園の端っこに、なんだか人のいる気配がした。ぼんやりとそちらを見つめてみると、どうやら女のようだった。しかも、着物姿の女である。

 後ろ姿の着物姿の女は、松林の中から海の方を見ているようだった。そのとき、女が振り向いた。どうやら向こうも人の気配を感じたようだった。

 振り向いた着物姿の女は、こちらを見つめている。

 なんだか、そのとき魂が揺さぶられたように感じた。オレンジ色の夕陽が着物姿の女のうしろから差し込んで、女の姿を包み込んでいた。それはまるで、後光が差しているようだった。いまにも空に浮かび上がりそうだった。

 おれは、見つめたままその場に動けずにいた。着物姿の女は後光のなから抜け出すように、その場からゆっくり動くと、まちなかの方へと歩き始めていた。

 遠ざかるその姿を、見えなくなるまでしばらく眺めていた。

 そして、『おー、いい女だなー』とつぶやいていた。

昭和レトロな自社ビル

 勤めてたヤミ金融で穴を開けてしまい、この地に逃げてきたが、東京からたいして離れていないので、なんだか気が気でない。いまお世話になっている望月さんは、そんなおれの心の動揺を知ってかしらずか、比較的のんびりしたもんだ。

『きょうは、おれの会社を案内したる』
『あっ、そうですか。よろしくお願いします』

 ガタイのいい初老の望月さんは、見てくれと違って会社の経営者だった。ということは、これからは社長といった方がいいかもしれなかった。しばらくお世話になるので心証をよくしておこうと思った。

 望月社長いうところの『歴史ある建物』である自宅をでると、その前の細い通りをこっちだという社長のあとをついて、しばらく歩き進めると川にぶち当たった。キレイでも汚くもない川だった。矢那川というそうだ。

 その川沿いにある、これまた細い通りをしばらくいくと、昭和の趣をたっぷり含んだ古い三階建てのビルがあった。これが会社のビルだといわれた。エムアンドエス・コーポレーションと港町商事と書かれた看板が取り付けられていた。

 ビルの壁面には、所々クラックが入って抽象的な模様を描いていた。外壁全体の色は、ダークアイボリーか、もっともダークな部分はたんに経年した結果だろう。アイボリーも元はホワイトだったかもしない。

 ビルの隣には、砂利を敷いただけの駐車場があった。軽自動車2台とバイクが停めてあった。バイクは、単気筒のヤマハSR400のようだ。

『ここだ、古いけどさ自社ビルだぞ。近いうちにリノベーションするから、昭和クラシック&モダーンな感じにさ。渋くてかっこええぞ』
『リノベーションですか、それは楽しみですね』と、おれはお世辞を言っていた。

 望月社長は、そう言うとビルの中へ入っていった、おれも続いてビルの中へと入った。入り口脇にはダンボール箱が天井まで積み上げられていた。さらにビルの中を見渡してみると、あっちこっちにダンボール箱が積み上げられていた。

 一階の奥までいくと10坪ほどの部屋に若いオトコとオンナがいた。男は、寝ぐせで乱れた髪を気にせず、デスクトップPCに向かって何かしている。

 一方、若いオンナの方は、でかい画面のデスクトップPCを前にして、心ここに非ずといった感じで所在無げに座っていた。なんとなく猫を感じさせた。

『おう、安よ。紹介しとくな、藤原さんだ』
『あっ、はい。よろしくお願いします。安田です』

『そっちの可愛い子は、萌絵ちゃんだ』
『社長、可愛い子は余分です。それにもう子供じゃないし大人です』

 彼女は、そういうといかにも不機嫌という様子で顔を背けた。その様子もまた猫を感じさせた。社長は、うひゃーとかいいながら、その場を誤魔化していた。

 社長と萌絵ちゃんのあいだには、何かがありそうだった。そして、あとで訊いた話で納得がいった。彼女の父親はこの会社の株主だったのだ。

 萌絵ちゃんは、デザイン学校を卒業した後、東京にでるつもりだったが、両親がそれをゆるさず無理やりこの会社に入れたのだそうだ。

ITオタクとバイク女子

 望月社長は『安田からこの会社の内容は訊いておいてくれ』、といって仕事があるからと三階の社長室にいってしまった。

 安田くんは、名前を錦太郎というそうだ。子供の頃は、きっとキンタマといわれたにちがいない、となんとなく想像ができた。

 安田くんの話では、この会社の業務内容は、簡単に言えば商社のようなものらしい。どこからか仕入れた商品をネットで売ったり、あるいはまとめて流通業者に卸しているらしい。仕入れは、主に社長の業務のようだ。

 ビルの看板に書いてあった『エム&エス・コーポレーション』が流通小売、『港町商事』が卸しを業務としているそうだ。

 安田くんこと通称『ヤス』は、大学卒後の就職がうまくいかず、IT系専門学校に通って技術を習得することにしたそうだ。

 ところが、専門学校卒後も希望する就職先に恵まれず、この会社で通販サイトの責任者を募集しているのを知り、応募し就職したそうだ。現在、IT責任者として、自社通販サイトだけでなく、アマゾンや楽天、その他ネット販売を担っている。

 一方、萌絵ちゃんは、吉国萌絵というそうだ。この会社では、商品開発とデザインを担当している。いまでも隙あれば、東京に出る気があるらしい。

 駐車場にあったSR400の持ち主は、萌絵ちゃんだった。どうやら、バイク女子のようだ。SR400は、乗りづらくないかと尋ねたら、そこがいいんですと即答した。独特のエンジン音とキックスターターしかないところが、いいそうだ。

 ふたりとも一種のオタクにちがいないが、ITオタクとバイク女子、趣向の方向性がまるでちがうオタクである。うまくいってるのか、なんとなく心配になった。

 ところで肝心のブツはなんだろうと気になったので安田くんに訊いてみた。

『ところでさ、商品はどんなの扱ってんの』
『いやー、一概にいえないです。いろんなのがあるんです。うちの社長に一貫性はないですから。でも最近は、アパレルが多いかな、という感じです』

『アパレルって衣料品とかだよね。作ってるわけじゃないだろ』
『詳しくは知らないけど、いわゆる新品の廃棄品のようです』

新品の衣料廃棄品はタダ同然

 安田くんは、詳しくは知らないと言いながら、現在社長が続々と仕入れてくる品物が衣料廃棄処分品と見抜いていた。ビル室内のあちこちにうず高く積まれたダンボール箱の中身の大部分がそれだった。

 想像では、たぶんタダ同然で処分業者から引き取ったにちがいない。それを安価な値付けで販売するという具合だ。廃棄処分を依頼したブランドに知られたら、何かしらのペナルティーがあるかもしれなかった。

 そういえば、闇金やってたときにアパレル製造業者の客がいたのを思い出した。かれらは、ブランドから委託されて製品を製造し在庫品も預かる。

 売れてるときはいいが、売れない時はブランドから在庫の受け取りを拒否されて、さらにそれを処分するようにいわれるそうだ。取引を継続したい業者は、仕方なく自腹を切って廃棄処分をするという具合だ。

 当然のように少しでも金銭に換えたい業者は、なんらかのツテで接触してきた廃棄処分品の買い取り業者に、廃棄処分予定の商品を売却する。そして、それらの商品は、いくつかの小売流通を経たあと、客に販売されていく。

 おれがその業者から訊いたところでは、日本では1年間で約30億着の衣服が供給されているが、半分の約15億着が売れ残っているそうだ。そして、売れ残った多くがブランド価値を保つために廃棄処分されるとか。

 まったく資源の無駄遣いというしかないが。それを考えると、廃棄処分品の再販売は持続可能性ある社会に少しは貢献しているかもしれない。

『できたら商品見せてもらえるかな』
『そうそう、最近男物が入ったんです。コートですけど』

 そういうと、安田くんは部屋を出ていってすぐに戻ってきた。手にはコートらしい、ベージュ色の商品を持ってきた。

 質感も色もいいし、おれはさっそく着てみた。いいじゃないか、そう思い価格はいくらか、と訊いた。安田くんは、500円と言った。

『おい、まじか。これさー、マッキントッシュってタグがあるぞ』
『よく見てください。モッキントッシュです』

『な、なにー、モッキントッシュだー。それじゃ、廃棄処分品じゃなくバッタもんじゃないかー、ちがうかー』
『そのようですね、まちがいなくバッタもんです』

 というとふたりして笑い転げていた。それにつられて、萌絵ちゃんも腹を抱えて笑いだしていた。その笑い声はなんと引き笑いだった。(息を吸いながら笑う)

 ときどきバッタもんが混じっているようだ。バッタもんは違法だから、それはネットでは販売しないと安田くんは言っていた。社長にそれを告げると、その商品はいつのまにかどこかに消えているそうだ。

 望月社長も、それなりに怪しい部分があるのがなんとなくわかった。想像通りだったが、おれがやってた闇金に比べればまだ軽い罪かもしれなかった。

港町のローライダー

 もえたん、といいたくなるのを堪えて、吉国萌絵さんに何歳なのかと訊いた。女性に年齢を尋ねるのは野暮ではあるが、興味の方が優っていた。

『えーと、たしか21歳のはずですわ』

 と、萌絵ちゃんはいいながら、自ら吹き出していた。なにが可笑しいのか、その辺りは不明である。ちょっとした弾みで笑い転げる年頃だから仕方がない。

『21歳か、若いよね、おれはね、34歳なんだ』

 そうなんだ、おれは34歳だ。もう若者とはいえない年になっていた。

 それから、彼女にいくつか質問をした。この会社ではどんな仕事をしてるのかとか、バイクにはどーして乗るようになったのかとか。

 会社での仕事は、一応は商品開発とデザインとなっているが、ほとんどそれらの仕事はなく、主に在庫管理をしているそうだ。『騙された』『嘘ばっかり』『ぜーたい東京いく』とか、不満と愚痴を連発した。

 安田くんは、腕を組んでそれを訊きながら『ふむふむ』と頷いていた。

 バイクに乗るきっかけは、2年ほど前にものすごくかっこいい女性ライダーに出会ったことにあるとか。その女性ライダーは大型バイクのハーレーに乗って、颯爽と海岸通りを疾走していったそうだ。

 その様子があまりに鮮烈でキュンとして、バイクに乗るぞと思ったそうだ。ちなみにSR400は一年ほど前に中古で購入したと言っていた。

 その女性ライダーは、お富さんというらしい。この辺りのバイク乗りには、『港町のローライダー』といわれているそうだ。

 その女性はとても魅力的で、女性として憧れると萌絵ちゃんは熱く語っていた。

 そして、おれに向かって『ぜったい惚れると思うけど、ダメですよ惚れたら…』となんだか矛盾することを言っていた。

『それはどーしてなのか』とおれが訊き返すと、代わりに安田くんがおれに向かって、自分の頬に人差し指をあてて斜めに切るようにした。

 そしてもう一方の手の小指を立てていた。それが何を意味するか、おれは了解したという代わりに頷いていた。

『ところで、その魅力的な女性は和服を着たりするのかな』
『毎日のように着ているはずだわ、とにかくすごーく似合っているの』

 そうかー、あの『後光の女』のことか、うーむ、そうかー、とまたつぶやきながら無精髭が伸びた顎を繰り返し撫でていた。

つづく

小説創作:cragycloud
参考文献:
シャッター通りの死にぞこない 福澤徹三(双葉文庫)
15億着の”売れ残り服” 多くが廃棄される現実…

写真:masahiko murata
冒頭動画:お富のテーマ by cragycloud

シャッター通りの死にぞこない 福澤徹三(双葉文庫)

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