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■社会|目黒雅叙園、森トラストに買収される

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日本初の結婚式場「目黒雅叙園」の紆余曲折

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日本初の結婚式場

独特の和風建築、そして日本初の結婚式場として名高い「目黒雅叙園」が、外資の元から森トラストに買い取られたそうである。その金額は、約1300億円とか。ちなみに森トラストは、言わずと知れた森ビルに繋がる企業である。

目黒雅叙園は、目黒区下目黒1丁目にある。目黒駅からほど近い場所である。実は当該ユーザーは、約10年以上目黒の地に住んでいた。しかも、一時期は目黒雅叙園と目黒川を挿んで反対側に位置した場所にいた。

住み始めた当時すでにアルコタワー(雅叙園をリニューアルしてできたオフィスビル)はできていたと記憶にある。このアルコタワーと目黒川のあいだには遊歩道があり、そこには毎年桜が満開に咲いていた。中目黒から目黒、五反田に掛けての目黒川沿いは、桜並木が続いていて春先は大変気持ちのよい場所である。

タワーのオフィス階には、外資系が多く入っていた。あのディズニーもそうである。また、ゲームのスクエアも入居していた。

目黒雅叙園といえば、その特異な建築と内装で有名であった。リニューアル後はそれらの面影は薄れたが、それでも結婚式場がある棟(アルコタワーとは別棟)のなかに入れば、その雰囲気はいくらか感じる事ができる。

また、いくつかの施設と美術品は重要文化財に指定されて残っている。しかし、収集された多くの美術品は経営難に乗じて散逸したようだ。

昔のままで残されていたら、どんなに素敵だったかと思うと残念である。しかし、世は移ろい時代は変わる。どんなに一世風靡しても永世に渡って生き残るのは難しい。

そのような栄枯盛衰を象徴する存在であったかもしれない。

長い間、外資が支配していたが、このたび森トラストがすべての権利を獲得したそうである。結婚式場はどこが運営するのか。これまでは、ワタベウェディングが営業権を持っていたそうだ。

創業家の面影はいまでは、もはや無いに等しいか。

関連記事:目黒雅叙園買収の舞台裏 時代と創業家に翻弄された歴史が残した訴訟リスク

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目黒雅叙園と雅叙園観光とは

80年代のバブル時代に世を騒がせたイトマン事件があった。その首謀者であった伊藤某が、イトマンの前に暗躍したのが雅叙園観光の物件であった。

同じ雅叙園で紛らわしいが、雅叙園観光は目黒雅叙園とは関係ないとか。しかし、元は一緒であり、敷地も同じだそうである。いろいろと訳ありで、別会社となった。何故、雅叙園観光がバブル期にうさんくさい連中の標的となったか。

それは、よくあるお家騒動だそうである。社長が亡くなって身内で揉め、そこに株を買い占めた輩が現れたという訳である。株を買い占めたのが、有名な地上げ師であった池田某(後に行方不明)のコスモポリタンであった。

しかし、池田某のコスモポリタンは資金繰りに窮して株を手放した。その株を手にしたのが、伊藤某やその他のバブル紳士たちであった。

それからの雅叙園観光は、もう魑魅魍魎の巣靴と化したとか。伊藤某をはじめバブル紳士たちは、あらゆる手を打ち資金を回収しようとした。もはや事業などそっちのけである。とにかく金にしたいだけ、目的はそこにしかなかった。

一方、目黒雅叙園も身内のすったもんだで経営難に陥り、外資の手のうちに落ちた。外資は、また外資に売り飛ばし、それを今度は森トラストが買ったということである。

外資は、果たして高値で売る事ができたのだろうか。それはいまいちよく分からない。リーマンショック以降は買い手がいなかったそうだ。

ちなみに、森トラストは目黒雅叙園だけでなく雅叙園観光の部分まで含めて取得したそうである。したがって、ひさしぶりに目黒雅叙園は一体化したことになる。

80年代バブル、雅叙園観光と闇の使い手たち

雅叙園観光は、目黒雅叙園から分離してできた。その雅叙園観光は、80年代バブル期に仕手戦の舞台となった。その結果、元山口組系組長だった池田某が率いるコスモポリタンに乗っ取られた。

しかし87年のブラックマンデーで株価は急落し、池田某は資金繰りに窮した。その結果、やみくもに手形を切って資金調達を図った。そのとき、資金を提供したのが、その後のイトマン事件で騒がした伊藤某と許栄中などであった。ともに反社勢力のフロントと言われた人物である。

88年、池田某は失踪する。その後はいまだに行方知れずである。

そして、今度は資金を提供した伊藤某と許栄中などが窮することになった。資金を回収しなければ、自らも連鎖倒産の憂き目に合う。それを避けるために、雅叙園観光の手形をなんとかしなければならなかった。

そこで手形の穴埋め先として目を付けられたのが、イトマン(住友系の商社)であった。イトマンを伊藤某に紹介したのは住友銀行だそうである。

イトマンの社長であった川村と伊藤は気があったのか。それは知る由もないが、イトマン川村社長は、伊藤を不動産担当の常務として迎える。そこからが闇の紳士の本領発揮であった。

伊藤は、次々と不動産案件にイトマンの資金を引き出して行く。当然のごとく雅叙園観光もそのなかにあった。イトマン川村社長は、取引の一部をキックバックさせる方法で完全に伊藤の術中に嵌っていた。

さらに、伊藤は絵画取引をイトマンに紹介する。その首謀者は許栄中であった。許は、イトマンとの絵画取引で500億円以上を売り上げた。その価格は市場価格よりベラボーに高かったのは言うまでもない。

イトマンは、不動産、絵画へと次々と資金を流し込んだ。その結果、3000億円とも5000億円ともいわれる資金が闇に消えた。いまだに、その総額は確かになっていない。

イトマンが資金を溶かしたが、そこに資金を供給していたのは住友銀行である。よって損失もおなじくであった。元はと言えば、伊藤某をイトマンに紹介したのも住友銀行であった。いやはや。

バブルの時代は、欲を描いたものほど滅亡の淵に陥るというまるで絵に描いたような地獄絵図であった。

伊藤某と許栄中は、その後イトマン事件の発覚で逮捕された。許栄中は現在は、韓国にいるらしい。ちなみに、彼は日本には入国できない。

<イトマン事件の概要>

百年の歴史を誇る中堅商社イトマンは、80年代後半に裏社会のエースたちの巧みな仕掛けによって、不動産、絵画、ゴルフ場などの物件に莫大な金額を投資し、その大部分を溶かしてしまった。

イトマンに融資した住友銀行は、多額の不正融資を抱えた。その金額は、総額で約5500億円以上。そのうち3000億円以上が裏社会に消えたと言われている。しかし、その金額はいまだ確かなものではない。

参考資料:「企業舎弟 闇の抗争」より(有森隆/講談社)
冒頭写真:ウィキペディアより

<行人坂の魔物――みずほ銀行とハゲタカ・ファンドに取り憑いた「呪縛」>
買収、乗っ取り、債権飛ばし…明和の大火以来の凶事の地、目黒・行人坂でいま何が起こっているのか?数々の経済事件の舞台となった目黒雅叙園を巡って、バブル崩壊後も翻弄され続ける金融機関の宿痾。昂奮のサスペンス・ノンフィクション。

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