日本では芸能事務所が、一方ハリウッドではいかに?
芸能界は誰が主役か、日米の大きな違いとは
2016年、日本の芸能界では大きく世間を騒がせた出来事が立て続けに起きた。スマップ解散騒動、ベッキーさん不倫騒動であるが、共に所属事務所も大きく揺れている。日本ではタレントと事務所は一蓮托生の関係にある。したがって、事務所も不祥事を無視できない様になっている。
スマップ騒動では、事務所側が大きな力(権力)を発揮してタレントを押さえ込んだ。ベッキー騒動では、広告をはじめ事務所側は大きな痛手を被るかもしれない。ベクトルは異なるが、事務所が大きく関係しているのは一緒である。
海の向こう、アメリカの場合はどうか?、例えばハリウッドであるが、かつては映画会社幹部の部屋において、ソファーで秘め事をすることが女優には欠かせなかった時代があったといわれる。しかし、昨今ではだいぶ事情が異なっているようだ。タレントは比較的自由に移籍も可能だそうである。
タレントが自分で自分をプロデュースする“自営業”式ハリウッドの構造
ハリウッドの俳優のほとんどは、タレントエージェンシー(タレント事務所のような存在)と契約している。“所属している”ではなく“契約している”という表現にしたのには意味がある。また“ほとんどは”とした理由は、後述することにしよう。
しかし、日本の芸能事務所と決定的に違うのは、完全コミッション制(出来高制)であること。エージェンシーは、クライアントのギャラの15%程度を取ることで儲けを得、俳優は決まった給料をもらえないし、エージェントもクライアントに対して月いくら、という金額をチャージしたりはしない。
いまのハリウッドでは、タレントは映画会社と契約するのではなく、エージェンシーと契約するのが主流となっている。(このエージェンシーは日本の芸能事務所とおなじではない)したがって、昔のように映画会社(悪名高い7年契約など)の縛りは無く、自由に役柄やギャラを交渉できるようだ。もちろん、交渉はエージェンシーが行う。
日本の様に、事務所が権力を握りタレントを牛耳ることもないようだ。タレントとエージェンシーは、あくまで出来高性であり、かなり明確な線引きがされている。また、エージェンシーは、仕事は取ってくるがタレント個人のマネジメントをする訳ではない。タレントは個人で別にマネージャーや広報を雇っている。
いわゆる分業システムというものが発達しているらしい。日本のように芸能事務所がタレントのあらゆることに手を回すことはない。したがって、タレント自身にプロデュースする能力が必要となってくる。
自分がやりたい役柄や組みたい監督等、エージェンシーに働きかけて実現に向けて努力をしていくことになる。
一方、日本では芸能事務所に所属してそこのルールに従わなければデビューもままならない。そして、売り出した後は長いご奉公仕事が待っている。これなどは、かつてのハリウッドの「7年契約」のようである。
「7年契約」とは…
この契約では、俳優が会社の出した企画が気に入らず出演をキャンセルすると自動的に契約期間が延長された。したがって、俳優は会社の言う通り何でも出演するか、キャンセルして延々と安い給料で働くかを迫られた。
しかし、ハリウッドではそんなタレントの奴隷システムは、随分前に是正されている。そして、有力なタレントはいつの間にか映画会社より強くなった。ヒットした映画を数多く持つタレントなどは、莫大なギャラをもらうようになった。
数十億円を一本の映画でもらうタレントが何人もいる。それが、いまのハリウッドの現状である。それをもたらしたのが、タレントエージェンシー主導の芸能ビジネスのシステムにあるといわれている。
日本にそのようなシステムが輸入されるかどうか、それは何ともいえない。日本は、あらゆるところでアメリカのシステムを導入してきたが、芸能界は特殊な世界である。いかんせん、昔は”やくざ屋さん”が仕切っていたぐらいだ。
その名残でいまでも大手芸能事務所にはその影が付きまとっている。したがって、ことはそう単純にはいきそうにもない。
はたして日本に、タレントが自分でプロデュースできる時代がくるかどうか。いまのところ、それは遠い夢の様な話しでしかない。違うか。
ハリウッドの黒歴史、女優がソファーインした時代
ハリウッドには、無数の黒歴史がある。そのなかで映画会社幹部が必ずしたのが、「配役決めの寝椅子方式」であったといわれる。要するに、女優の配役を自分の部屋(会社の)のソファーの上で行ったのである。どういうことか、詳しく説明する必要はないと思うがいかに。
あのマリリン・モンローでさえ売れない頃は、やっていたといわれる。マリリンは女優として売れっ子になってから、「もう、わたしは映画会社の重役達の○○を○○しなくていいんだわ!」と言ったそうである。(注:○○部分は憚りながら省略しました)
これを最初に考案?したのは、「風と共に去りぬ」を製作したディビット・O・セルズニックの父親でおなじく映画製作者のルイス・J・セルズニックといわれている。ちなみに、1914年頃から行われていたそうである。
その行為が怪し気なことを判っていたのか、彼の部屋に至る廊下には、常に見張りの部下が配置されていたとか。秘め事だけに用意周到である。
また、息子のディビットも負けてはいない。シャーリー・テンプルという有名な子役の女優がいた。彼女が成長して役柄に恵まれなくなった頃、ディビットは役を与える変わりに彼女にさも当然と「配役決めの寝椅子方式」を迫った。
そのとき彼はシャーリー・テンプルに次の様に言ったとか。
「これは、ハリウッドという車輪を円滑に走らせる油のようなもんだよ」
シャーリーは、これを拒絶して役を降ろされた。そして、数年後には彼女はハリウッドを去っていった。その後、結婚し政府関係の仕事(大使など)を歴任している。
現在、ソニーピクチャーズとなっている旧コロンビア映画の創立者ハリー・コーンもかなり盛んに「配役決めの寝椅子方式」をしていたといわれる。
コロンビア映画の作品に出演していたジョン・ウェインは、ある女優と懇ろになった。それを知ったハリー・コーンは、次の様に言ったとか。
「映画の撮影中にズボンのチャックを降ろすんじゃない!」
要するにおれの女に手を出しやがって生意気だということである。これに気分を害したジョン・ウエインは生涯に渡ってハリー・コーンを許さなかったそうである。たぶん、”お前に言われる筋合いはない”ということではないか。
とにかく、ハリウッドもめちゃくちゃな時代があった訳である。
ハリウッドのかつての行いを考えると日本の芸能界の出来事なんか、想定の範囲内ということがよく理解できる。もー、これは仕方ないなーと思うしかないのか。
しかし、日本の芸能界は、いつまで前近代的な仕組みを続けるつもりだろうか。権力者は環境の変化を嫌うといわれます。しかし、それが永遠に続くことがないのは歴史が証明していますが…。
参考文献/アメリカ映画の大教科書〈上〉 (新潮選書)より
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