オンリーワンの創意とは何だったのか?
シャープ崖っぷち、オンリーワンは時代遅れか
シャープは、かつて「選択と集中」の優等生として、マスメディアから揃って持ち上げられていた。それは、ほんの数年前のことである。2008年、シャープの選択と集中を推進した元社長・会長の町田勝彦氏は、「オンリーワンは創意である」という本を上梓した。これをメディアは経営の教則本の如く褒めていたはずだ。
それから、わずか8年足らずでシャープは瓦解しようとしている。一応、買収するホンハイ(現時点ではその可能性が高い)は、シャープの独立性を保つとしているが、そんなの誰も信じないだろう。いいとこ取りして、あとは清算するに違いない。それが、買収された企業の行く末である。
しかし、それは非難には値しない。何よりも非難されるのは、シャープの経営陣であるのは言うまでもない。液晶に過大投資したのは、ワンマンとなった経営トップとその関係者にあったのは、間違いないところである。
このシャープの転落具合は、まるでジェットコースターのフジヤマのごとく急角度であった。今後は、経営学の授業等で事例として多く扱われるはずだ。ただし、「オンリーワンの創意」ではなく、「オンリーワンの失敗」としてである。経営判断がもたらした失敗例として、これ以上ない参考事例だろう。
「オンリーワンは創意である」
他社に「マネされる」独創的な商品を作るという指針の下で、シャープをトップブランドに育てた会長の経営論。
部門ごとの壁を取り払い、技術を融合させて「液晶テレビ」「カメラ付き携帯電話」などそれまでにない「オンリーワン」の商品を生み出した。
それを可能にしたのは他業界や顧客などから、積極的に学び続ける企業の「風土」という。社員は最も重要な経営資源であるため、リストラは決してせずに国内でのモノづくりにこだわり続ける。
商品以外でも普通より長い「90秒CM」や、技術者によるクレーム対応など、他社にない「創意」を現場の声を参考に積み重ねた。それが独創性を生み、競争に生き残る普遍的な秘訣と説く。
(書籍の案内文より)
上記した書籍の概要をみると一見すばらしいと思うが、それが実態どおりではなかった。液晶テレビも携帯もあっという間にサムソンに抜かれているし、数年後にはリストラも余儀なくされている。他業界や顧客から積極的に学ぶこともなく、液晶への選択と集中に固執して墓穴を掘ったといえる。
それは、一旦築いた「オンリーワン」でも、けっして永遠ではない。ということを意味している。
シャープには、時代の変わり目を読むという経営者の視点、または眼力が欠けていたと思わざるを得ない。また、ワンマン体制を構築してしまったことで、下からの意見等は届く訳も無かったに違いない。イエスマンで固めれば、トップはさぞ気持ちがいいに決まってるが、それ故に弊害が付きまとうのが常である。
かつて、ソニーの創設者であり会長を務めた盛田昭夫氏は、次のように語っている。
「判断のすべてが経営幹部のみに集中している会社は発展しない、というのが日本では一つの常識である。社員の一人ひとりが意思決定に貢献できることが大事であって、工場労働者といえども、その働きを単なる肉体労働や機械的労働にとどめておくべきではない。それは彼ら自身のためにもならない。」
現在、日本の経営者は、グローバル化のなかでアメリカナイズされてしまったようだ。それで結果が良ければいいが、はたしてどうだろうか?。上記した盛田氏の考え方は、もう通じないのだろうか。どうしてグローバル・スタンダードに右へならえをしなければいけないのか、それが少々疑問であるが。
選択と集中は、単なるリストラのいい訳か
最近あのソニーが、意外にも好調というニュースがあった。(2016年3月期決算は1400億円の最終黒字を見込んでいる)2015年、半導体部品「CMOSイメージセンサー」は世界で5割近いシェアを獲得し、ゲーム機「PS4」も全世界で好調な売上を記録した。イメージセンサーというデバイスは、製品ではなく一部品(装置)であり、かつてのソニーなら、それを使って製品化したもので売上としたはずだ。
いまのソニーは、もはやそんなこと言ってる場合ではないのだろう。マスメディアは、ここでも「選択と集中」の結果と褒めそやす論調にある。もっと判りやすく、リストラの結果といえばいいのに、と思うばかりである。
「選択と集中」の結果なら、数年前に携帯に集中投資して駄目だったのは如何にである。イメージセンサーは、たまたま残っていた技術が陽の目を見ただけではないか。もっと穿った見方をすれば、リストラしそこなった技術が大化けしただけに過ぎないような気がするが。したがって、あまり戦略性は見えてこない。
ところが、直近ではイメージセンサーが急減速しているとか。
ソニーの動向に詳しいフリーの某ジャーナリストは、増収増益でもソニーの未来が見えてこないと書いていた。それが何を意味するか、「金融」「エンタメ」「デバイス」「不動産」というソニーが集中投資する事業間には、いまひとつ脈絡がないような気がするが、それは気のせいか…。
どうでもいいことではあるが、少し気になりました。
「選択と集中」といえば、90年代に倒産間際にあったアップルも、ジョブズ復帰後に行っていた。それは、広がり過ぎて間延びした商品群を「4つの商品群」に選択・集中するというものだった。ただし、ソニーと違ってPC(やがてはインターネットへ)を核に密接に関連する商品群であった。
その結果、崖っぷちのアップルは、iMacの大ヒットがあり一息付く事ができた。それ以降は、選択と集中の幅を拡げていく。iPod、iTune、iPad、iPhoneという具合にである。選択と集中にも、その先があり、それをアップルは行っていた。要するに経営者に先が見えていたということができる。
ちなみに、アップルの当時の経営者ジョブズ氏は、超ワンマンであり他人の言う事なんかに聞く耳をもたない、そんな人だったらしい。しかし、一方では他人のアイデアをちゃっかり自分のものにするという特異な才能を見せていた。そのおかげで、結果的には単なるワンマンを超えた発想と戦略となっていたようです。
あまり確かではないが、当たらずとも遠からずと思われます。
シャープ、またはソニーには先(未来)を見据えての計画性が見えていなかった。あくまで想像でしかないが、そうとしか思えない。
とにかく、アップルの選択と集中と、シャープやソニーのそれとは大きな違いがあるのは間違いない。アップルのそれには関連性があり、シャープやソニーには脈絡がないと思われるがいかに。
この「選択と集中」に関しては、以下の記事を参考にしました。
「選択と集中」のまやかし シャープ失墜より考察(ビジネスジャーナル)
苦境続くシャープとパナが陥った、選択と集中の“罠”〜一極集中を突き進んだ誤算(同上)
新 クリエイティブ資本論—才能が経済と都市の主役となる
クリエイティブ経済はすでに現実となった。新たな時代に、社会、経済、人々の行動はどう変わるかーー未来に向けた、新しい資本論。
コメント