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■社会|日本の今風景 何処も同じ景色である

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地方では、車という極私的空間で大移動している!

地方の衰退とロードサイド文化のあいだには

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日本では、政治・企業・文化の東京への一極集中化という現象が、かねてより問題視されてきた。しかし、それは一向に是正されないまま今日に至っている。それは、狭い国土であるから、分散より集中の方が合理的である証なのかもしれない。しかし、さすがに昨今の地方の衰退は目に余るのが現状ではないか。いまや、中心地は消滅しシャッター街など珍しくもない。ごく当たり前の出来事と化している。

かつては、地方でも商店街が賑わい、街の界隈性も存在していたはずである。そぞろ歩きを楽しみながら買い物をする光景が見られたと思うが、如何に。しかし、昨今の地方では、商店街という存在は無きに等しいだろう。武蔵小杉や下丸子の商店街は有名だが、残念ながら大都会東京である。東京から一時間も車で走れば、そこはすでにシャッター商店街の宝庫である。

思いつくだけでも、千葉、埼玉、茨城、栃木、神奈川など、何処も同じである。

そこでは、人っ子一人いない通りに奇妙なデジャブ感を味わうことができる。いつか、どこかで見たような気がするのは、どこか地方の街で見た光景と同じだからである。100円ショップのような均一価格があるからといって、何も景観まで均一にしなくても、と思うのは当該ユーザーだけではないはずだ。また、行政という成り行きまかせのお役人仕事は、これになんら打つ手もないようである。

もっとも、借金体質の地方行政にそれを望むのは無理があるか。

都会と地方の一番の違いとは、それは何かといえば交通機関である。都会では網の目のように張り巡らされた公共交通網があり、移動はそれで事足りる。しかし、地方ではそうはいかない。車がある意味では、必需品となっている。それは、地方行政が公共交通網を整備できなかったからである。しかし、それよりも道路利権こそが、本当の理由だったのではないかと思う次第である。現在の日本では、車も滅多に通る事もない立派な道路が全国津々浦々にある。

道路=流通網の充実化を理由に、地方の道路はどんどん整備された。都会では、道路を造る土地がないが、地方にはいくらでもあった。道路を造れば、土建業界が潤う、それに関連する族議員も同じように潤うという仕組みだ。また、自動車業界も車を多く販売する機会が訪れる。一石2丁どころか3丁、4丁と言ったところか。しかし、それでも道路が整備されたおかげで、流通網は充実したのは事実である。

いわゆる輸送網は整備されたが、その反面、地方のドーナツ化現象が顕著となったのである。地方都市から中心地が消えたのである。

ドーナツ化現象とは、核がないという意味である、つまり、地方都市では、駅前商店街を中心とした繁華街が無くなって、整備された幹線道路沿いにショッピングモールなどの全国均一に展開する商業施設ができた。かつての中心地は空洞化し、ロードサイドという周辺に人は集まるようになった。人は集まったが、核の無い道路沿いでは中心にはなれない。しかも、そこには車で行くしかない。

そして、そこにあるのは、その土地特有の歴史性の欠片も無い、ただ均一な形態をしたモールという風景があるだけである。


都道府県別自家用乗用車の100世帯当たり保有台数(2012年3月末現在)

地方では、都会と違って移動も車が中心である。いや、車しかないと言っていいだろう。しかも、その車には都市とは違う地方特有の現象があるようだ。それは、車が私的空間の大事な要素となっているのだ。たえず、車で移動する地方の人々は、もはや車はもっとも身近な存在である。家、部屋の延長として車が存在している。会社にも、買い物に行くにも家の延長にある私的空間と常に一緒という訳である。

このような地方の車文化は、何処に向かうのか。都会と違い、一家に2台、3台の車があるのが普通である。とても効率がいいとは思えない地方の交通事情である。ガソリンの消費量は、都会の住民と比べて格段に多いに違いない。たぶん、自動車会社は、省エネ自動車の普及には地方が優先すると踏んでいるはずだ。そして、その選択は、正しいと思わざる得ないのである。

車は多く走っているが、人の気配がしない地方都市に不気味さを感じる次第である、何か、未来の日本の姿を象徴しているのは東京ではなく、地方都市の現状ではないかと。このままでは、如何だろうとは思いますが、とにかく問題がややこしい。元を正さねば、ますます地方は疲弊していくだろうと思うが、如何に。

当該テーマに、個人的な結論は特にありません。あくまで地方特有の均一化した現象を捉えたに過ぎません。あしからず。なお、リンクした記事では、より詳細に地方の車事情とロードサイドに触れています。ご参照ください。
 

「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 」三浦展著
のどかな地方は幻想でしかない!地方はいまや固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店などが建ち並ぶ、全国一律の「ファスト風土」的大衆消費社会となった。このファスト風土化が、昔からのコミュニティや街並みを崩壊させ、人々の生活、家族のあり方、人間関係のあり方もことごとく変質させ、ひいては人々の心をも変容させたのではないか。ファスト風土化がもたらす現代日本の病理を解き明かす。

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