いま日本から界隈が消えている?
人が集まるのは界隈から、箱ものビルに変わった
この「界隈」というイメージには、かつて賑わった商店街を中心とした街の営みを思い起こさせるものがある。そこには、川の本流ともいうべき人が集まる中心があり、そこから枝分かれして支流へと人は流れていった。
かい‐わい【界隈】
そのあたり一帯。付近。近辺。例:銀座界隈
上記の意味からすれば、いまでも界隈は存在する。しかし、何故かその意味合いがもたらすイメージが違っている。界隈がもたらすイメージとは、そぞろ歩きでいける場所であった。また、目的の場所にいくためには行く通りもの道筋があった。それもまた魅力であり、今日はどの道筋でいこうかという楽しみがあった。
いまそんな界隈があるのは、東京をはじめ大都市の数カ所でしかないと思われる。違うだろうか。日本中を隈無く訪ねた訳ではないが、概ね間違いないだろう。何故なら、地方では移動手段がクルマオンリーに変わってから、街の商店街は壊滅し郊外の基幹道路沿いに大型ショッピングセンターをはじめ、大手量販・飲食チェーンの箱もの施設ばかりとなったからだ。
そこに行くには、歩いてはいけない。また、広い駐車場のせいでそぞろ歩きの楽しみもない。まるでコンクリートの箱の中で楽しめと強制されたかのようだ。だだっ広い箱もの施設のなかには、あらゆるモノが揃っている。しかし、何かが違っている。それが何かといえば、人の温もりではないかと想像する。
そして、巨大な箱ものを出るとそこは底抜けな空虚感が漂っている。殺風景で殺伐とした景色が広がっている。巨大な看板と箱もの施設が、街道沿いに自己主張する様は豊かさとは違った様相を感じさせる。美しいという意識がどこか欠如している。そんな気がしてくる地方の街道沿いの光景である。
クルマがあれば便利だろうという街づくりに、はたして魅力があるのだろうか。とても疑問である。街道沿いに行けばなんでもある。そんな便利なはずの地方が疲弊しているのは、また人口が減少しているのは、何故か?。そこにいるはずの若い人が、こぞって東京や大都会に出ていくのは、何故かである。
昨今いわれるジモティーは、地方の最後の足掻きのように聞こえる。
冒頭の写真:原宿同潤会アパート(90年代後半)村田賢比古
地方都市の均一化 それは100円ショップの如く
地方に行くとデジャブ感覚が押し寄せるのは何故か!
中心を失った地方都市のドーナツ化現象が著しい。これはずいぶん前からの現象だが、それを是正しようという地方の動きは鈍いようだ。地方行政は、金がないせいもあるが、スクラップ&ビルドのほうが利権があるからに違いない。そんな穿った見方がしたくなるほどに、地方の均一化が進んでいる。
どこに行っても、「あれ!ここはどこだっけ?」という思いに駆られる。遠くまで来たつもりが、どこかの近隣地区かと思う様子である。10万人以上の地方都市では、街道沿いに行けば概ねイオンとユニクロ、そして100円ショップの大型店があるだろう。そして、その他の大手量販・飲食チェーンがあるのは言うまでもない。
きっとそこに住む人々は、田舎ではないと思っているかもしれない。東京にあるものは、ここにもあると。しかし、それは大きな勘違いである。豊かさとはモノが揃っているというだけでは十分ではない。そこにある文化度も大事である。ショッピングセンターに行くためにクルマが必需の地方では、その豊かさが歪んでいる。
地方のクルマの使い方は、概ねショッピングに必要不可欠だからだ。違うか。これは何か変だ。クルマ会社の思うつぼにハマッたとしか思えない。あるいは道路行政のそれにである。現在の均一化した地方都市を造り上げたのは、行政とクルマ会社と言ってもいいかもしれない。
大都市の若者はクルマを必要としない。何故なら、クルマがなくとも不便を感じないからである。駐車場代がバカ高いということもあるが。とにかく、歩けばたいていのことはこと足りる。ある意味では、クルマ中心の地方より健康的かもしれない。歩いてこと足りる環境と、クルマが必需の環境とではどっちが豊かだろうか。
個人差はあれど、都会の環境の豊かさに地方都市は敵わない。なんせ、都会の環境は一朝一夕にしてできたものではない。長い年月と莫大な投資の結果である。それに比べれば、地方都市の現状は100円ショップのごとくなり。要するに長期的な視点に欠けていたのは否めない。
なお、100円ショップは悪くない。100円ショップの利点は、モノの選択肢を広げたことにある。そこには使い捨ててもいいという発想があるのは違いない。しかし、地方都市は使い捨てにはできないしろものである。簡単に捨てる訳にはいかない。
それなのに、均一化する道を選んだ地方行政はいかに。それは、みんなで渡れば怖く無いという人任せの発想にあるのは違いないだろう。なお、断っておきますが、けっして地方を揶揄するつもりではありません。
界隈は東京でも曲がり角にきている
2020年の東京は様変わりしている?そのとき界隈はいかに!
現在の東京では、2020年の東京オリンピックに向けて建設ラッシュにある。もう少しすると国立競技場も建て替えられるはずである。そして、宇宙からの侵略者の基地のような建造物が現れる日も近いだろう。建築やその他デザイン関係者からの評判がすこぶる悪いが、そのまま強行突破で建てられるようだ。
その建物は、約2000億円以上といわれている。しかし、どうせいつの間にか3000億円になりましたとか言いそうだ。これは、ほぼ間違いないだろう。これまでだって行政が絡んだ箱ものはいつだって予算をオーバーしてきたからだ。
現在、国立競技場周辺では建物の解体とともに多くの樹木が刈り取られているとか。その理由は環境整備の調査という名目らしいが、たぶんただ単に邪魔だからであろう。それは、建物の建築が進むに従って分かってくると思われるが、現状の環境とは大きく様変わりすることになりそうである。
この建物の影の主役である安藤忠雄氏は、神宮の樹木を切り倒すことはしないと名言していたそうだ。しかし、それはどうも嘘だったようだ。どうやら、安藤氏はかつての自然派ではない、変容したとしか思えない。
新国立競技場は、当初はさんざん貶されたエッフェル塔のように都市の顔として認知されるのか否や。それには、だいぶ時が必要だ。
思えば、安藤氏が設計した原宿の表参道ヒルズも環境を大きく変えていた。いまの表参道が魅力的かどうかは、人それぞれだろう。若い人には概ね好評なのかもしれない。しかし、その若い人たちはかつての表参道を知らないと思われる。
何故、東京ではパリやロンドン、ドイツの都市のような古い街並が残せないのか。ドイツは大戦後に街並を昔どおりに再現しているぐらいだ。たしか、そのようなことを読んだ記憶がある。それに比べて東京はとにかく新しくすることが優先する。なんでもかんでも新しくである。それが課せられた宿命でもあるかの如くに。
その結果、東京ならではの界隈も少しずつ失われている。脇道は無くなり、そこら一帯はまとめて地上げされてビルが建てられていく。経済の原則を考えれば、それが正解なのかもしれないが、何か腑に落ちないものがある。
表参道および原宿界隈には、いくつもの脇道がいまでもある。そこには、いつの間にか小さなお店が狭い通り沿いに出来ていた。そんな通りがいくつか出来て、いまの原宿の魅力を形作ってきた。けっして表参道沿いのブランド店だけで原宿が成り立っている訳ではない。
原宿の魅力は、界隈にあり!
界隈なくして原宿の隆盛は無かったと言っていいだろう。そぞろ歩きでどこまでも行きたい。そんな気分にさせてくれる街は、いまの日本には少ないと思われる。東京だって少なくなった。かつての渋谷はそうだったが、いまや箱もの中心となっている。それでも、まだ下北沢が残されている。しかし、ここも再開発が近いか。
長々と書いてきましたが、とくに結論というものはありません。ただ、なんだかなーという想いだけで書いてみました。最後にこのテーマを取り上げるきっかけとなった文章を以下に紹介しておきます。
Shibuya, Shibuya, Tokyo 2009 今は無い店舗群
2009/02/12 浜野安宏
ライフスタイルセンターの中核はストリートと界隈である。生活地とライフスタイルセンターはワンセットである。
生活地の中心に「アーケードのないストリート」「界隈」
私が主張し続けてきたライフスタイルセンターである。
生活地からかけ離れた広域道路沿いのSCに取って付けられる
ものではない。すでに20年も前からアメリカのカリフォルニアなどでは
模索されて来た生活地の商業空間であるが、LA郊外の
住宅地パサディナに「ワン・コロラド」「パセオ・コロラド」
アメリカでは成功者が街に帰ってきて、古く荒んだ街区や、
使われなくなった駅などをライフスタイル・センターとして
再開発、リモデリング、リノベーションすることが始まっていた。また、アメリカでは税制の違いで資産家のスケールと寄付や
投資のできるスケールが大きいので、金とセンスのある人が
着目して再生できそうな街を安価で買い上げ、計画的に
ライフスタイル・センターを育て始めている。1軒の美味いレストランからでも、カフェからでも、
映画館からでも、ギャラリーとアーティストのアトリエから
でもいい、かつてビビッドな歴史のあった街にあらたな歴史の
火をともすのである。名門大学周辺界隈、校門前ストリートなども資産家が集中的に
レストラン、バー、インターネット・カフェ、映画館などを
オープンさせて,広い空地にパーキング、自然食マーケット、
住宅などを自主経営、資本導入などで発展させて行くのである。広域モビリティーの急速進展で、日本では大切に育てれば
最高の空間が生まれたはずの駅前商店街、城下町界隈などの
歴史的な商環境をほとんど捨て去って来た。街づくり三法などでも後押しするが、重要なのは
大手SCデベロッパーなどではない、ストリートや界隈形成に
ビジネスの情熱を感じられるオーナーが不可欠である。今こそ、眠っている資金を
ライフスタイルセンター・デベロプメントに
注ぐべきであろう。
浜野氏は、言わずと知れた商業・建築等のプロデューサーであり、その多くで卓越したコンセプトワークを行ってきた。古くは南青山のフロムファーストビル、そして東急ハンズのコンセプトもそうだ。渋谷駅前のツタヤの入るビルもそうである。
そんな浜野氏が、最近の東京、そして地方の街のあり方に危機感を感じているようだ。ごく最近では新国立競技場とその周辺開発に異論を唱えていた。それが以下のリンク記事である。よろしければご覧下さい。
新国立競技場に関して、かつて六本木のアクシスビルで仕事を共にした安藤忠雄氏を非難している。かつての盟友もいつのまにか袂を分かれたのか。それは知る由もないが…。
写真:村田賢比古 Kai-Wai 散策より
http://kai-wai.jp/
ここで掲載した写真は、村田賢比古さんの作品です。東京および近郊都市の風景を魅力的に撮っています。興味有る方はぜひ上のリンク先でご覧ください。
<人があつまる―浜野安宏ストリート派宣言 界隈・生活地・棲息都市 >
一本の道からでも都市はつくれる。今最大の危機は自然の中では川であり、街の中ではストリートである。人にとって快適なストリートを再生し、創造し続ける。著者が30年の沈黙を破り、再び人間の街路を守る。
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