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■社会|重厚長大企業の終焉 東芝にみる日本的経営の時代遅れ

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東芝は、日本衰退の象徴か

 重厚長大企業の代表格である東芝が、よもや現在のような苦境に陥ると予想した人がいたであろうか。思えば、いまから約10年前、東芝が米国の原発企業ウェスチングハウス(WH)を買収したとき、マスコミはこぞって喝采したはずだ。

 東芝は、原発企業のトップになったはずだった。しかし、時代は変わり原発の未来は限りなくゼロになってしまった。どうして、東芝とそれを後押しした経済官僚は判断を誤ってしまったか。

 それは長期的視点の欠如にあったと思われる。米国はすでに「原発に未来はない」という長期的視点で捉えていた。一方、日本では近視眼的視点でしか物事を捉えていなかった。その差は想像以上に大きいと思わずにはいられない。

 そして現在、経済全体でも、その差が如実に表れているといえる。

いつまでも変わらない、日本的経営の危機

東芝問題の本質はどこにあるか

 いまでも、大学新卒者は大企業への就職希望を望んでやまない。それがいつまで続くのか、それは知る由もないが、ある意味で日本がイノベーションを生まない土壌となっているのは否めないだろう。

 アメリカでは、優秀な大卒者ほど起業に向かうといわれるのとは、大きな違いである。一方、日本では相変わらず、経団連に属する大企業に就職することが大きな目標とされている。そのために偏差値の高い大学への進学を目指している。

 日本の大企業経営者たちは、口を開けばイノベーションが大事というが、実際はイノベーションが起きることを恐れている。なぜならば、自らの存在価値を脅かすからだ。そして表向きとは裏腹に、会社では社内政治ばかりしている。

 安泰と思われていた重厚長大企業も、社内政治にうつつを抜かしている間に企業の劣化は進んでいた。それは、かつての中国王朝が宦官という鵺に支配されて、やがて滅んだのとよく似ている様相にある。

 結局は、企業の命運を握っているのは人材である(いずれAIになるかもしれないが)のは間違いない。ところが、大企業では、どこもおなじような人材採用基準(大学の偏差値基準)にあるから、金太郎飴のような人材で共通してしまう。

 そのような人材では、他との差異を生み出すイノベーションなど考えるだけ無駄というもんだ。しかし、日本の企業はそれを十年一日のごとく繰り返している。

 なぜ、日本の企業が変われないか、それは人材採用政策が旧態依然にあるからに他ならない。それが分かっていても、実は改善しようとはしない。なぜならば、採用担当である人事部の硬直化によるからだ。

 人事部は、前例踏襲と保身の塊でできている。したがって、過去の例にない人材は、俎上にも上がらずに弾きだされてしまう。人事担当者は、自らの安心と安全を第一に人材採用をしている、と言っても過言ではない。

 それは、大企業だけでなく中小企業もおなじくであり、日本企業の劣化はこのままではどんどん進んでいくと思われる。

 世界でも優秀と思われた建築業の最近の体たらくぶりを垣間みると、それを象徴しているかのように思うがいかに。

東芝問題の裏に隠された本当の問題(宋文洲)
 東芝の凋落は15年前から兆候がありました。東芝のある役員から「宋さん、当社には2千人も博士がいる。人材の宝庫だからもっと伸びてもいいはず。」と言われた時、私は「人材が多すぎて倉庫になったのでは。少しでも我々のような新興企業に分流すればお互いが助かります。」と答えました。

 しかし、名門企業に入った社員が中小企業に来るはずがありません。東電、東芝、シャープ、ソニーなどの名門にいる社員達は「自分が誰か」よりも「自分がどこに属するか」のほうが大切です。自分がどう生きるかではなく、どうやって無事に退職できるか、どうやって組織内のピラミッドをよじ登るかが彼らの目標です。

「人材が多くて倉庫になった」は、実に示唆に富んだ言い方である。いかに井の中の蛙であるか、それを知らないのは当人だけということだ。

 また、言葉を変えれば「宝の持ち腐れ」ということもできる。

プロパーだけの会社組織は、時代遅れか

プロパーしかいない企業とは

 東芝では、中途採用された人材がいないといわれている。それが本当か、知る由もありませんが、あながち嘘でもないようです。

 とすれば、プロパーしかいない企業で何が起きるかです。プロパー(新卒採用の生え抜き社員)は、いわば井の中の蛙とおなじで、他の状況を知らないまま長年会社にいる存在だ。それが何を生み出すか、そこが問題である。

 プロパーは、選ばれた人材として自負があり、また社内事情にも通じている。かつての企業環境であれば、それがいい面として機能していた。しかし、現在では逆になろうとしている。なぜなら、それがイノベーションの壁となるからだ。

 大企業のなかには、危機意識から中途採用を意識的に行っている企業もある。しかし、それが有効に作用しているかといえば、そうでもないようだ。

 実は、当方はかつてある企業でプロパーとヘッドハンティングされた中途採用者との軋轢の現場を垣間みたことがある。

 その企業では、大金を使って中途採用した人材を中途半端なまま現場に送り出していた。そのせいで現場ではプロパーから疎んじられて、いかに優秀な人材といえども役に立っていないことを目撃した。

 大企業ほど、組織内の人材構成は淀んでいる。プロパーは同期や、経験を共有した同志でつるんでいる。そんな現場に、たとえ優秀でも中途採用者がいきなり放り込まれたらどうなるか。それは本人次第と言うこともできるが、それではある意味、運を天に任せるに等しいに違いない。

 そこに企業としての戦略がないことが、日本の企業の危うさとなっている。

(上記リンク先のつづき)
 辞める人がいないため、東芝で中途採用の社員に会ったことがありません。話によると東電の約5万人の社員にも中途入社の社員は一人もいなかったそうです。

 自社しか知らない、自社にしか適応できない社員の中から誕生した社長が、大きな井の中の一番大きな蛙であり、ガラパゴス島の王者です。人脈が広いが、視野が狭い。順風に強いが、逆風に弱い。気が大きいが、肝が小さい・・・。

 現在の企業、とくに大企業の危うさ(シャープ、三菱自工、東芝など)をみると、経営陣はいっそAIに任せたらと思わずにはいられない。

 日本には経団連という経済団体がありますが、もう時代遅れなのは否めない。

 かつて東芝は、その経団連に会長をはじめ幹部の人材を送り出していましたが、それも遠い過去となりました。もはや、東芝の命運は尽きたと同義であり、経営陣の責任が問われますが、日本特有の責任逃れでことが収束すると、また日本企業のイノベーションは、遅れることになるような気がします。

 明日は、こんどはどの企業か、それが問われる昨今であります。いやはや。


ウェスチングハウスの原発(アメリカ)

日本はなぜ「起業後進国」に成り下がったのか
「日本人はリスクを嫌がって起業したがらない。自分で起業する満足感よりも、名の知れた大企業に勤める安定感を求める」というのは、よく聞く話だ。が、実際に日本人に起業家が少ないのは、日本の文化や、日本人の性質のせいだとするのは乱暴ではないだろうか。

 それより問題なのは、日本は米国や欧州に比べて、起業のリスクが高すぎることだ。生涯雇用の慣行は、大昔からあったものではなく、戦後に統制的に導入されたものだ。多くの大企業は従業員の教育に投資した後、その知識や経験を他社に持って行かれるのを好まない。

 はたして、日本が「起業先進国になる日」がやってくるのか否か。

 とにかく、現状維持では衰退する道しか残されていないと思われるがいかに。

東芝の概要ーー
1875年に創業された電気メーカーの老舗企業。かつて日本の電子立国の一翼を担っていたが、昨今では原発事業に注力し、それが仇となってグループ解体の危機を迎えている。

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イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書)
経済の停滞にとどまらず、原発事故のような社会への大打撃を招きかねないイノベーションの喪失。その原因は企業の基礎研究軽視にとどまらず、政策的失敗にあったことをベンチャー支援策に成功した米国との比較から解明する。
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