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■コラム|オジサンの妄想はとまらない4 ブスとブサオの間には、深くて暗い河がある

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ブスとブサオの間には 深くて暗い河がある

誰にも渡れぬ 河なれど

エンヤコラ今夜も 船を出す

ふりかえるな Row&Row

イケメンは三日で飽きるぞ、間違いない

清水さんも言ってるがイケメンはよくないぞ

 いま話題の清水さん(女優:清水富美加)も言っていたが、イケメンはもうこりごりだそうだ。わかるなー、そうだろー、やはりイケメンは自らの容姿に酔ってるだけのナルシストであり、性格がよくないだろう、な。

 清水さんはよく言ったぞ。だいたいイケメンは嫌味なんだよ。なんだよ、その端正な顔つきは、ちょっと小首を傾げるだけで絵になるとか、ブサイクにはありえねーよ。それに、スタイルがシュッとしてたら、さらに嫌味の3倍増し増しだ。

 だいたい、人間の男には顔やスタイル以外にも重要視すべきところがあるはずだ。たとえば、会話が面白いとか、何かの才能があるとか、知識が豊富とかさ。もっといろいろあるだろうけど、いまは思いつかないけど…。

 どうよー、違うか。なに、それだけかって。いや、だからもっとあるって言ってるだろう、ね。それじゃー、言ってやるよ。たとえばー、顔がブサイクなのは、とりあえず笑えるだろー、太ってるのは愛嬌があるだろー、足が短いのは、マンチカンみたいで可愛いだろー、違うか。

 とにかく、イケメンは顔の造作が整っているだけで個性に欠けるよね。イケメンはいずれも似たり寄ったりだ。ところが、ブサイクはどうだ。顔のパーツが少しずれている(大きくずれている場合もあり)だけで、多様な個性を発揮しているぞ。

 イケメンなんてなんの特徴もありはしない。ブサイクなんて特徴だらけだぞ。

 なに、何か言ってることが、ちがうーってか。

 そうか、見解の相違ってやつだな。これは根本的な問題に突き当たったかもしれない。とにかくだなー、イケメンはすぐに飽きるって。端正な顔なんて、ある意味では単に位置関係の問題でしかないだろ。それは判るだろー。

 ブサイクを見ろってんだ。顔のパーツの位置関係がずれているんだから、そのほうがずーと面白くないか。見ていて楽しいし、なんでーという発見がきっとあるはずだ。それが、ブサイクにはあり、端正なイケメンにはないはずだ。

ピカソの絵を見ろ、ブサイクだろ

 ピカソの絵を見ろ、ブサイクな顔を描いたからアートの巨人になったんだぞ。あれが端正なイケメンを描いてたら、いまのピカソはないに等しいだろう。

 モナリザはどうだって、あれは何百年前の美の基準だぞ。現代美術を見てみろ、みーんなブサイクだから、それが現代の美の基準なんだ。

 イケメンなんて、パーツがあるべきところに鎮座してるだけだ。それは時代遅れの古い美の基準でしかない。それでもって、なんでちやほやされるんだ。まったく理解ができないぞ。とにかく時代は変わったんだよ。

 なー、イケメンなんて面白くもなんともないだろー。なー、そうだと言ってよベイビー!、頼むぜベイビー!。なに、どんなに頼まれても、土下座しても屁理屈こいてもイケメンの方が良いって、そんなの間違ってるよ、絶対に!。

 ちくしょう、ブサイクの良さを判ってもらえないかー。でもね、それでもね、ブサイクはブサイクだから存在価値があるのだ。それは間違いない。

 そして、ブサイクは絶対死にましぇーん!から、イケメンよりもずーとしぶとく生きてやるぞ!、こうなったら世界の果てまでいざゆかんーー。

美醜という価値基準


どえらい美人、サラ・ガドン
引用:https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/63/50/8f/63508fbd62cd90b617b1dda6ddc76045.jpg

この世には4種類の人間がいる

 世の中の人間には、「美人と美男」、そして「ブスとブサオ(ブ男)」がいる。美醜を分類カテゴリの基準とした場合、概ねそのようになるはずだ。

 さらにいえば、美人や美男には、その容姿を形容する言葉も多様に用意されている。例えば、以下の様にである。

■美人の場合ーー

立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花

いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)

烏の濡れ羽色(からすのぬればいろ)

小股の切れ上がったいい女

器量よし

小町娘(こまちむすめ)

楚々(そそ)

別嬪(べっぴん)

水も滴るいい女(男)

 …等々、美人は実に様々な言葉の表現を獲得している。美しいことは、何か人々の想像力を掻き立ててやまないものがあるようだ。

 ブルゾンちえみの「女に生まれてよかったー」というフレーズがいま人気であるが、その実際の意味は、「美人に生まれてよかったー」と同義である。

 一方、ブスとブサオについては、形容するのも憚かれるのか、それとも単純にブス、ブサオ以外に表現することができないのか。それは知る由もないが、あまり例えとなる形容詞がないような気がするがいかに。

ブスの意味性ーー
 ブスとは容姿(顔)が醜い人を意味する。ブスは主に女性を対象に使用する(男性の場合、ゲスやブ男(ぶおとこ)が使われる)。

 また、不細工が人の顔以外に物の形や出来が悪いことを意味するように、近年、ブスも人以外の不出来なものをさして使うようになってきている。

 美人については数多くの書物があり、いかに美人が書き手の想像力を刺激してきたかは明らかである。一方、ブスやブサオについて書かれた書物なんて、あまり訊いたこともなく、書き手の想像力の片隅にもないようだ。

 ところが、そんな現状に風穴を開けるかのごとく、ブスがブスであることに意味を見出す書物が発売されていた。それが以下の本である。

 ブスの威力が全開で突っ走る、「ブスの本懐」という本。

ブスの本懐
ブスの本懐

 この本では、「ブスは、ブスという生き物であり、それ以外の何物でもない」という実に潔い生きざまを見せつけているようだ。

『ブスの本懐』盛り込みすぎて、何のことだか分からなくしてしまえ!(篠原かをり)
本書は、ブスの威力を示す具体的なエピソードからブスの種類、ブスの生態、ブスがもつべきマインドに至るまでブスの全てが網羅されている。

著者自身がブスであることを隠さないどころか、臆面もなく繰り出すブストークは自虐のような卑屈さを一切感じさせず、むしろ心地良いほどの破壊力がある。

ちなみに、本書の目次には以下の様な文言が強烈な印象を与えている。

・諦めていないブスにとって、4月はまたとないビッグチャンス

・ブスはブスであること以外、何も続かない

・腹にダイナマイトだけ巻いて突っ込んでくるブスに勝てると思ったら大間違いだ

・珍妙な格好の個性派ブスは、服の方がドブス様の顔の個性に負けている

・「金と労力をかけた結果ブス」という発射失敗ロケットみたいなブス

・「自撮りブスしぐさ」を極めて、そんじょそこらのブスどもに差をつける

 ブスはブスであることに意義がある、とでも言わんばかりのブスの潔さを見せつけているかのようだ。ここまで開き直れば、もはやブスに怖いものはないに違いない。美人は薄明といわれるが、ブスはきっと長生きするだろう。

 ちなみに、ブスをブサオに読み替えてもほとんど意味はおなじと思われる。

 ともあれ、ブスやブサオの明日に幸あれと祈るばかりだ!

追記:
 ところで当方は「イケメン」か、「ブサメン」かであるが、じつはゲイである、なーんてうそである。おじさんの美醜についてはヒ・ミ・ツである。あしからず。

参考:『ブスの本懐』盛り込みすぎて、何のことだか分からなくしてしまえ!(篠原かをり)
HONZ/篠原かをりの書評

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