■コラム|オジサンの妄想はとまらない7 日日是好日であるように 愛はいずこにありや

ゲッゲ、これはオレではないぞっと

日日是好日

 日日是好日(にちにちこれこうにち)とは、禅語のひとつであり、文字通りには「毎日、毎日が素晴らしい」、または「毎日が良い日となるよう努めるべき」という意味といわれている。

 さらには、「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり、常に今この時が大切なのであり、あるがままを良しとして受け入れることの方が大事である」、とする解釈もなされている。

 ナチュラルっていうことかなー、違うか。ハゲはハゲを受け入れよ、年を食ったらあるがままに、ブサイクは無駄な足掻きはするな、てことかなー。

 まだ枯れていない中高年は、日日是好日とはいまだならずなりーー。

ブサイクは案外ナルシストなり、違うか

 昨年であるが、久しぶりに写真の被写体になった。そして、鏡以外に映る己の姿を見たが、それは想像を絶するまでに自分がイメージする姿と違っていた。

 「えっ、誰だこいつは…」、と思わず心の中で叫んでいた。こんなおっさんは知らんぞ、おれではないなと当方は力なく思っていた。

 そこに写っていたのは、自分に他ならないが、それでも否定できればしたかった。できれば、できればであるが…。そして、とりあえず、見なかったことにしようと考えたーー。(しかし、記憶には残ってしまった)


これが問題の写真だ(ちなみに縮小しています)

もしイケメンだったら、人生は変わっていたか

 女性になんとかモテたい、と男性なら一度は思ったことがあるはずだ。しかし、世の中は不公平にもイケメンとブサイクとで大きな格差を生んでいる。当然のように女性は、イケメンを好んでやまない。ブサイクなんて鼻も引っ掛けてもらえない。それは残酷なまぎれもない真実である。

(たまにブサイク好きもいるが、それは希少である)

 本題に入る前に断っておくが、当方はけっしてブサイクではない。(あくまで自称)それにハゲてもいないぞ。ただし、残念ながら一般的にイケメンといわれる部類ではないのは間違いない。「それをブサイクっていうんじゃなーい」、というあなた、身も蓋もないことを言わないようにね。

 あのね、微差異だから、そこをぜひご理解して頂きたいと切に願います。

 自称、イケメンでもブサイクでもない当方は、もし誰でもが認めるイケメンだったら人生は変わっていたかと、ある日なぜか考えていた。

 イケメンはモテるのは間違いない。若い女性は、イケメンを前にあーだこうだとキャキャーと盛り上がるし、大人の女性なら、イケメンがそばに居るだけでお酒がおいしくなるし、さらにピッチも上がるはずだ。

 イケメンがそんなにいいかー、単なる見た目の問題だろ〜が、なんてモテない男性たちは僻み半分、妬み半分で思っている。しかし、その見た目が女性には問題なのだ。なぜ女性がイケメンに身をよじるかといえば、それは遺伝子に組み込まれた生殖本能のせいではないか、と思うがいかに。

 見た目の美醜を遺伝子の優劣の差として捉えて、女性はイケメンに本能的に反応するのかもしれない。(ちなみに男性にもおなじことがいえるが)

 しかし、本当はどーなんだろーね。女性でも、イケメンでない当方は、身をもって経験したことがないから判らない。

 ところで、もしイケメンに生まれていたら、人生は変わっていたかであるが、たぶん、ブサイクにはない人生の機会があったに違いないと思われる。

 例えば、エンターティメントの世界などでは、ブサイクには芸人という枠があるが、それ以外では圧倒的にイケメンの方が優位にある。

 しかし、一般社会ではどうだろうか。例えば、イケメンでありながら仕事ができないと、周囲にがっかりされないだろうか。しかし、ブサイクなら、それがどこか許されるような気がするが…なんか違うかな。

 イケメンで演技派の俳優である阿部寛さんは、イケメンであるだけでは通じないことを身をもって経験したようだ。阿部さんは、ある時期に俳優の壁に突き当たっていた。そんなとき、つかこうへい劇団の芝居に出演する機会があり、その経験によって俳優として開眼した、と何かで読んだ記憶がある。

 イケメンにも、それなりの努力が必要なのだ。ただそこにいるだけのイケメンは、ただの木偶の坊に過ぎない。イケメンと努力が重ね合ったとき、まさに鬼に金棒となるに違いない。そのときブサイクはどーしたらいいんだと思うばかりだ。

 とにかく、ブサイクがんばれー、とそう言うしかない。いやはや。そして結論は、ブサイクは、ナルシストやってる暇はないぞ、ということである。

追記:
 先日、幼馴染から訊いた話である。知り合いの若い女性が、とあるライブスポットで「おじいさんが演奏していたがとても格好よかった」と言っていたそうだ。

 ところが、なんとそのおじいさんは、幼馴染みとほぼ同年であったそうだ。おじいさんは間違いではないが、心が折れたのは言うまでもなかったそうだ。

お金があれば女性は選べるという説

女性の愛は金次第か

 女性の愛は金次第という考え方は、金色夜叉(例えが違うかも)を例に出すまでもなく一般論として昔から根強くある。

 女性が結婚を餌に初老の独身男性から金を巻き上げるなど、よく訊く話である。しかしその逆もあるので、どっちもどっちということか。

 とにかく、現代では「愛は尊い」という考えは、死語に近いのは間違いない。

男女のサタも金次第/45年の人生をかけて断言する。女はお金で釣れる。
●金で買える女
 お金のある男は、金で自由になるような女を探す。女は自分を養うバカな男を探す。両者の利害がぴったり合ったのがあの事件だ。日本人の男が公金14億円を横領してチリ人妻・アニータに貢いだお話。これほどわかりやすい事件はない。

 何の説明もいらない。どの夫婦も基本的にこれと大同小異だろう。アナタの家庭にもミニ・アニータがいるのではないか?

 例外的に、お金に不自由しない女性は金以外の目的で男を選ぶことがある。レストランのアルバイターと浮気した松田聖子。収入のないミュージシャンと結婚した松坂慶子。しがないADと結婚した松居直美。無名の俳優と結婚した松本明子。マネージャーと結婚した松原のぶえ。いずれも“松”がつくのは偶然か。

 女の人生を語るとき、すぐ頭に浮かぶのがオノ・ヨーコだ。彼女の人生は、女性として考えうる最高の人生ではないだろうか。

 ヨーコは前衛芸術家や事業家として活動するが、どちらもぱっとしない。彼女が手がけた事業でもっとも成功したのは“ジョン・レノンとの結婚”という事業だろう。これで労せずして一躍大きな富と世界的な名声を得ることになる。

 後に不幸にもジョンは凶弾に倒れるが、ヨーコは莫大な遺産や著作権料、名声と息子を受け継ぐ(もしジョンが生存し、離婚でもしたら相続額は激減したはず)。

 好きな作品を作り、好きなことを言い、働かなくても食べていける悠々自適の人生。ジョンがイマジンならヨーコはヒマジンだろう。なんて言ったら怒られるか。

 さて、テーマに戻る。金で女は釣れるか。答えは明らかだ。45年の人生をかけて断言する。女はお金で釣れる。それもヒジョーによく釣れる。もちろん一般論だが。

 女の愛はお金で買える! そうは思いたくないが、現実はそうなっている。

 上記にリンクした記事の作者は、まちがいなくブサイクに違いない。

 なぜなら、当方の考えるブサイクの自我にぴったり一致するからだ。被害妄想過多、ある意味ではナルシスト、判りやすく言えば根性が曲がっている、他人を理解する能力に欠けている、等々。いわば被害妄想的な自己中といえるだろう。

 実は、当方も似たような症状があるので、よく理解できる。いやはや。

 しかし、なんて身も蓋もないことを書くんだろうと、一般人は思うはずだ。

 ところが、そのいわんとするところは、ほぼ正論である。違うか。それがなんとも哀しいとしか言いようがない。残念ながら…。

 作者は(上記リンク先の)、きっと心の中では「ぼくに愛をください」と叫んでいるに違いない。そのように想いますがいかに。

愛は何処へ、それは何処にありますかー!

愛を探して幾千里、しかし愛は探すものではなく、与えるものなり。

それは違うかもしれないが、当たらずとも遠からず。by cragycloud

写真:村田賢比古 写真サイト:Kai-Wai散策

カレンソウサ essentials 2
冒頭動画の「Can’t Help Falling in Love」が収録されたアルバム!
essentials 2

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