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■コラム|オジサンの妄想はとまらない5 中高年と中高生の違いを考察する

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中高生より、中高年の方が圧倒的に多いぞ

「中高年と中高生が違うのは当たり前だろ」「何を馬鹿なことを言ってるんだ」と憤る方も多いと思います。たしかにその通りですが、字面を見てみれば分かるように、たった1文字違いでしかありません。

「中高生のみんな集まれー」などと声をかければ、中高年がきっと何人か混じっているはずである。違うか。さらに広告チラシなんかで中高生を対象に訴求した場合、多くの中高年がおれのことか、と思うに違いない。

 なぜなら、老眼だからチラシの文字の中高生が中高年に見えるからだ。

 例えば、「ー中高生ー中高年ー」、この違いは、老眼の中高年には判別し難いはずだ。あれ、おれってどっちだったけ、と戸惑う中高年がきっと多いはずだ。

 それに中高年は、いつまでも若いと思ってる。まだまだ中高生とあまり違ってないぞ、と大きな勘違いをしている。まさか、と思うが当方の推測リサーチではそういう結果がでているぞ。ただし、あまり当てにはならないが…。

■日本の出生数推移

中高生と中高年の違い

 花に例えれば、中高生はまだ蕾であり、花が咲くのはだいぶ先である。一方、中高年はすでに花は咲いてしまって、あとは枯れていくだけである。(すでに枯れた人もいるが)イノチの水は限りなく少ないのは言うまでもない。

 さらにいえば、中高生は青春期の真っ只中にあり、そして未来は開けている。一方、中高年は、青春期はすでに遠い彼方へと消え去っていて、あとは限りあるイノチの灯火が消える日を待つばかりである。

 いまさら言うまでもないが、その差は実に大きいと言わざるをえない。「未来に大きな希望がある」のと、「未来への希望がない」とではえらい違いだ。

 そして、重ねて言うまでもなく、圧倒的に数が多いのが中高年である。年齢の幅があるので当たり前といえば、その通りであるが。一方、中高生は昨今、その数が著しく減少しているのは否めない。

中高生=だいたい13歳〜18歳
中高年=40歳〜65歳(なお、35歳〜70歳ぐらいまでとする説もあり)

 中高年というのは、かなり大雑把な括りである。一般的に若者とされるのは34歳までという説が有力である。とすれば、35歳からすでに中年ということだ。

 しかし、現在35歳の人々はもう若くはないと感じてはいても、けっして中年ではないぞ、と思っているはずだ。ところが、もはや中年ですから残念でした。

■日本の人口構成図

人口構成図=赤い枠線が中高年、青い枠線が中高生のボリュームゾーン

<中高生の人口>
中学生=約335万人(2016年)
高校生=約330万人(2016年)

<中高年の人口/統計の関係上40〜64歳、2017年4月現在>
40〜44歳=957万人
45〜49歳=937万人
50〜54歳=798万人
55〜59歳=755万人
60〜64歳=795万人

 40〜49歳の人口が比較的多いのは、第二次ベビーブームによる人口増が含まれているからだ。この世代を最後?にして、日本の人口は一気に下降していった。なんでも、50年後の未来では日本の人口は1億人を大きく割り込むといわれる。

 ちなみに、第一次ベビーブーム世代(1947〜1949年ごろ)、いわゆる団塊の世代は、すでに紛うことなき老人となっている。


画像引用:誰でも想像できる40年後の日本はこんな感じ・・・より

 いまから50年後、現在の中高生は、中高年の一番てっぺんに上り詰めている。そのとき、中高生の現状はどうなっているだろうか。

 2016年で中高生は約665万人であるが、50年後にはさらに減少すると思われる。これには日本の未来に暗雲が垂れ込めている、としか言いようがない。

 なにしろ中高生は、やがて国の将来を担う役割があるからだ、まさに国家存亡の危機にあると言っても過言ではない。

参考:子供の数1571万人、36年連続減 少子化加速、東京のみ増

中高生と中高年の意識・価値観

 実は中高生のことをあまり理解していない。したがって、推測リサーチ(勝手な想像)を中心にして考察することをご了承ください。なにしろ中高生とは、まったく接点がないから致し方がない。残念ながら…。

中高生の意識・価値観

画像引用:女子中高生の胸キュンランキングより

 中高生は、わずか6年間のあっという間の人生の時間であり、思春期と青春期(初期)という人生で掛け替えのない時期である。この時期をいかに過ごすかで、未来はかなり違ってくるはずだ。

ー中高生の関心のあることー
あなたは、今、どんなことに関心をもっていますか。
中学生・高校生の生活と意識調査・2012」より一部抜粋

(回答率:左から全体、中学生、高校生の順となっています)

成績、受験…………44.6% 42.6% 47.8%
友だちづきあい……55.1% 50.5% 60.0%
異性とのつきあい…10.9% 5.4% 16.2%
スポーツ……………35.7% 38.8% 33.4%
音楽…………………50.3% 44.2% 56.2%
テレビ番組…………29.5% 31.2% 28.2%
マンガ………………26.2% 26.1% 26.4%
ゲーム………………28.4% 32.1% 24.4%
ファッション………29.4% 23.7% 35.5%
芸能界の動き………11.0% 9.6% 12.6%
世の中の動き………16.9% 14.6% 19.7%
将来のこと…………48.6% 40.5% 57.3%

調査有効数(率)
生徒数1,142 人(63.4%)
中学生570人、高校生557人 

 中高生とは、いわばまだ子供の範疇にあるといえる。子供とは何かといえば、それは自分でまだ稼いで生活していない、大人によって保護されている存在である。したがって、親や学校、社会によって自由さがある程度は規制されている。

 一番関心が高いのが、「友達づきあい」となっている。中高生はまだ自我が確立されていないから、集団に依存することが安心に繋がるのではないか。LINEなどでいつでも、どこでも繋がっていないと不安でしょうがないのかもしれない。

「音楽」への関心も高いが、昨今ではCD不況といわれるように音楽は売れていない。たぶん中高生のあいだでは視聴の手段が違っているのだろう。音楽への関心の高さは、かつての若者とたいして変わりはないようだ。

 意外なのは、「異性とのつきあい」への関心が低いようだ。これは中高年からするとそんなはずはない、と思うはずだが。しかし、高校生になると格段に関心が高くなる傾向にはあるようだ。そりゃそうだろうなー、と思う。

 この時期に異性に目覚めなければ、いつ目覚めるのか、というしかない。「君の名は。」のようなストーリーさえも成り立たなくなるというもんだ。この様子だと少子高齢化の傾向は、まだまだ続きそうだ。

「マンガ」と「ゲーム」への関心度の高さはこんなものであろうか。意外と少ないと感じたがどうだろうか。スマホ依存が高いと思われる中高生がこの程度であれば、ゲーム業界の明日が知れるというもんだ。違うか。

「芸能界の動き」より、「社会の動き」への関心が高いのは、最近の社会動向が揺れているせいであろうか。不安の裏返しということもできる。将来への漠然とした不安が、昨今ではリアルに感じられるからだろう。

 いまの中高生は、むかしと違ってより多くのことに晒されて、また考えている。それはネット社会の進展と無関係ではないだろう。ネットのバーチャルリアルと、現実のはざまで揺れる世代、それがいまの中高生ということができる。

参考:中高生が思い描く将来についての意識調査2017
中高生の約7割が「10年後が不安」、今の大人に対しては「疲れている」「楽しくなさそう」とネガティブなイメージ。

 中高生が、将来に不安を抱えているようでは国家の未来はとても暗い。政治家をはじめ大人の責任は重いというしかない。

中高年の意識・価値観


外国の中高年、なんて格好いいんだ!、と思うしかない
引用:https://otokomaeken.com/wp-content/uploads/2017/01/f261ee76dd4af09a36d3c143ff2b9ba7-13.jpg

経験は、中高年の生きる糧か。

 中高年といっても、その年齢の幅は中高生と違ってかなり広がりがある。したがって、簡単にひとくくりにはできない。概ね、中高年になると社会での責任も重くなり、プレッシャーを受けるようになってくる。

 会社では中間管理職となり、部下を指導、管理するようになる。そして、判断力が求められ、それが負担となってブラック上司となる場合もある。

 人にもよるが、たいがいの中高年は新しい創造性に欠けてくる。そして、過去の経験則に頼った判断基準に陥っていく、それが宿命であるかのように。

 中高年というとネガティブな要素ばかりが思い浮かぶが、前述したことと相反するが、唯一ポジティブな要素が生きてきた証である経験である。なぜならば、中高生や若者に唯一欠けているもの、それが経験だからだ。

 経験こそは、中高年ならではの意識・価値観の根底にあるものといえる。

■中高年のネガティブ要素
とりあえず思いつく項目を以下に列挙しました。一部重複する内容がありますが、分かり易くするためにあえて残してあります。ご了承ください。

判断力に欠けてくる…柔軟性や臨機応変さより保身を考える

自己中心性が強くなる…経験則、経験が判断基準になる

創造性が欠如する…新しい発見などの創造性が失われてくる

なにかと否定する…新しいモノやコトを受け入れられなくなる

頑固、前例踏襲…いわゆるネガティブさが目立ってくる

怒っている、機嫌が悪い…いつも不機嫌さが漂っている

■中高年のポジティブ要素
ポジティブな要素が、あまり思い浮かびませんでした。あしからず。
誰か、もっと教えてくれませんか!

経験値が高い…生きてきた年月分、経験が積み重なっている

経済的な余裕、ゆとりがある…経済性に支えられた心の余裕がうまれる

精神的な深さ、寛容さががある…知識と実体験の蓄積により寛容さがうまれる

 すべての中高年にあてはまる訳ではないが、ポジティブ要素としては上記した「経験、余裕、寛容」の3要素が満たされるとナイスな中高年といえるだろう。

 しかし、そんな中高年は、実はそんなにはいないはずだ。中高年の実態は、その加齢臭とおなじく汚れちまった悲しみにもっと満ちている。

 見た目も内面も、格好いい、渋いといわれる中高年は案外少なく、醜くもずぶとく生き続けている中高年の方が圧倒的に多いはずだ。

 愛人を囲ってリア充な生活をする中高年もいるが、一方では、好きな女性には素気無くされ、会社では上長からもっと売上をと叱咤され、妻からは夜の営みを拒否され、娘や息子とは会話もなく、そんな中高年がわんさかといるはずだ。

 それでも中高年は生きていくのだ。汚れも厭わずに…。

 なぜなら、中高年の置かれた境遇を考えてみれば一目瞭然である。家族を養っていくには、先立つものが必要だ。稼いでゆくには、汚れも厭わない姿勢もときには必要だ。体も汚れたが、心はもっと汚れたのが中高年といえる。

 汚れちまった中高年も、かつては中高生であった。中高年の汚れちまった心と体はもうもどることはない。あとはそれを自覚して、どう生きるかだけである。

中高生と中高年、その大きな違い

汚れの差は幾年月

中身があるようで、実はないのが中高年。

清楚や純情そうで、実はビッチなのが中高生。

おれは違うでー、あたしは違うでー、というが、

おれもあんたもおなじ穴のムジナだ。

どうせ限りあるイノチだ。生き様を見せてやろうぜ。

汚れちまった悲しみに、中高年は仕方がないとうなだれる。

まだ汚れてない中高生も、いずれおなじ汚れになる。

それが人生の、宿命というやつだ。

おれもあんたも、人生に二度はない。

だから、残された時間はおろそかにはできない。

そうだろー、違うかー。

中高生と中高年、その差は大きいが、実は時間軸が違うだけでおなじだぞ。

いやはや。拙い文章であしからず。

これにて、おしまい。

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いとしのレイラ
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