シャープ経営陣の功罪は、万死に値するか
いい気になったシャープ、ホンハイに一杯食わされる
シャープと買収先企業に決まった鴻海(ホンハイ)とのあいだでは、出資額の減額で揺れていた。しかし、ようやく1000億円の減額で決まったと新聞が報じている。後がないシャープはやれやれと思っているに違いない。
しかし、これから先が見通せないのは言うまでもない。主導権はホンハイが握っている。シャープの意のままにならないのが判ったからだ。
シャープ経営陣の体たらくには、社員の怨嗟の声が聞こえてきそうだ。シャープは、約7000億円を出資する鴻海を買収先企業として選択したが、あにはからんや、ホンハイはあれこれと難癖を付けて出資額を減額するとした。
これは、素人でも予想できたことであり、やっぱりねと多くの人が思っている。
シャープ経営陣と銀行筋(主にみずほ、三菱は意見が違ったとか)は、総額約7000億円という甘い蜜に吸い寄せられてしまった。シャープ経営陣は、あれこれと都合のいい条件をホンハイに承諾させようとした。
ところが、これまた相手の方が一枚も二枚も上手であった。ホンハイはシャープの財務リスクを理由に正式契約を拒んだ。これをきっかけに出資額の減額、銀行保有株式の買い取りの先送り、さらに3000億円規模の追加融資を求めている。
シャープにしてみれば、約束が違うということだが、ホンハイにしてみればしてやったり、予定調和でしかない。これが戦略があるかないかの違いだ。
もともと、ホンハイのシャープへの買収条件は破格のものだといわれていた。現実的とは思われなかった。しかし、シャープ経営陣と銀行は、やすやすとそれに乗っかってしまった。本来の価値を見誤っていたというしかない。
ホンハイをさすがというべきか。シャープ経営陣を無能というべきか。それはどちらも当てはまるに違いないだろう。
シャープは買いたたかれて、やがて解体される運命か。ホンハイは、利用できるもの以外は売却し、投資額の回収を図るに違いない。何故なら、シャープに多額の投資をしても、再建に値するブランド力が有るとは思えないからだ。
シャープは、選択と集中の方向性を誤ってから、それを修正できなかった。そして、それは経営陣の無能さがもたらす「原因と結果」をあからさまに歴史に残した。他の企業は、これを教訓とすべきなのは言うまでもない。
<ホンハイの第三者割当増資における出資総額/当初のスキーム>
ホンハイが提示した第三者割当増資における出資総額は、普通株とC種種類株をあわせて合計4890億円に上る。さらに、みずほ銀行と三菱東京UFJ銀行が保有している総額2000億円の優先株を鴻海が1000億円で買い取る。
さらに、ホンハイがシャープに対して取り決めた額を支払わない場合、デポジット(前払い金)として1000億円を没収できるという内容だった。
さらに、シャープは買収に条件を突きつけていた。それが以下の内容である。シャープの上から目線ここに極まれりであり、いやはやである。その後の経過をみると恥ずかしい限りというしかない。
<シャープがホンハイに付けた買収後の条件>
(1)経営の独立性
当社およびその子会社の経営の独立性を維持・尊重すること
(2)一体性の維持
当社およびその子会社の各事業の一体的な運営を維持し、当社の希望する第三者との提携についても十分なサポートを提供すること
(3)従業員の雇用維持
既存の従業員の雇用維持という原則にコミットし、組織体制の最適化に関する当社の自律的判断を尊重することその他の項目は、リンク先を参照ください。
ホンハイが、シャープの条件を反故にするのは必然と言っても過言ではない。したがって、これから過酷なリストラ地獄となるだろう。
経営陣とは、どんな能力を基準に選ばれているか
2008年、シャープの経営トップ(当時)は、「オンリーワンは創意である」という本を上梓した。当時マスメディアは、これを持ち上げていたのは記憶に新しいことである。それから、僅か8年余りでシャープは買収されてしまった。
これには、隔世の感を禁じ得ないというしかない。シャープ、東芝は言うに及ばず、それ以前にはソニー、パナソニック、サンヨーなどの家電メーカーが苦境に陥った。そして、すでにブランドが無くなった企業もある。
これらの企業で共通するのは、経営トップおよび関係者による舵取りの失敗にあったことは言うまでもない。その後、日本では大企業だけでなく、多くの企業で、経営トップの選定に変化があったかといえば、そうでもないようだ。
あいかわらず、一部の権力者によって経営トップと経営陣が選ばれている。そこでは、前トップのお気に入りが選ばれることが習わしとなっている。
日本では、いまでも相変わらず空気を読むことに長けた人材しか重用されない。一方、マスメディアおよび企業では、ダイバーシティなる考えを積極的に推進するといって憚らない。しかし、それは口先だけで終わるに違いない。
<ダイバーシティとは>
多様な人材を積極的に活用しようという考え方のこと。 もとは、社会的マイノリティの就業機会拡大を意図して使われていた。現在では、性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れ、広く人材を活用することで生産性を高めようとするマネジメントについていう。(コトバンクより)
日本の企業では、ずいぶん前から個性を備えた能力ある人材が求められていた。しかし、それはあくまでマスコミ向けの良い格好しいであり、イメージ付けでしかなかった。あいかわらず、学歴偏重でしか人材は選考されていない。
それは日本だけではないかもしれないが、人材の個性を殺すことにかけては世界一なのは間違い無いだろう。違うだろうか。
企業では空気を読むことが何よりも求められる。それは「協調性」という言葉に置き換えられて重宝されている。そうでないと異端として疎んじられてしまう。
あるポジション以上になると実力だけでは上がれない、それがいまの日本企業のシステムである。そこに至るには、「みんなで渡ればこわくない」の仲間になる他はない。そして、異論を挟まずに数値を追い求めていくのである。
ところが、そんな日本の企業経営システムが綻びはじめて久しい。しかし、まだ従来どおりのシステムは温存されたままである。
いつになったらそれが是正されるのか。それは知る由もないが、シャープ、東芝、その他の苦境にある企業の多くが、従来型の経営システムであった。
それを垣間見ていながらも、なんの対策も施さない企業には、明日のシャープ、東芝になる日が、すぐそばまで来ていると言っても過言ではないだろう。
経営トップの選定に、選挙方式を導入したらどうか?
日本の企業では、次代の経営トップは、概ね現経営トップが気に入る人材を登用する場合がほとんどである。経営トップの選定に、一般社員が介在する余地はまったくない。権力の頂点、もしくは近い関係者のみでトップは選ばれる。
シャープや東芝の例を出すまでもなく、企業の業績悪化や不祥事は、概ね既存の経営システムに原因がある。それは経営トップの選定に、誤りがあると言っても過言ではないはずだ。問題の根幹はそこにある。
だったら、いっそのこと経営トップおよび経営幹部は、すべて選挙で選べばいいだろう。そこでは、事業戦略のビジョン、具体的な戦略方針、社員へのコミットメントなどが各候補者から発表され、それをもとに投票を実施すればいい。
全社員が選んだトップなら、会社も一丸となるに違いないと思うが。
もちろん、それには弊害もあるだろうが、既存システムの「逆もまた真なり」であるはず。とにかくやってみたらどうだろうか。まだ、どこもそんなことやって無い様な気がするが、どうだろうか。
とにかく、いま日本企業の経営システムには変化が求められている。それは間違いないと思われるがいかに。
冒頭写真:ウィキペディアより
追記:思えば、東京電力が福島原発をメルトダウンさせたのも、当時の経営トップと経営幹部にあったのは言うまでもない。
それを考えると、既存の経営システムがいかに危ういかを物語っているはずだ。日本の経営システムの是正、改革は待ったなしといえるに違いない。
オンリーワンは創意である (文春新書)
選択と集中は間違いではないが、すべてではない!
ある意味、失敗事例として読んでみるのはありかもしれない。
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