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■音楽|マービンゲイ ホワッツ・ゴーイング・オン

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モータウンの愛の伝道師、反戦を歌う

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すべてを愛に捧げたR&Bの貴公子、マービンゲイ

なんの映画であったか忘れたが、アフリカ系米国人の親子が車のなかで口喧嘩を始めた。ムカついた息子は親父のCDを掴むと車の外に投げ捨てた。親父は、あーオレのマービンが…と嘆いたのであった。それを見た息子は、オレには必要ないとばかりにラップを聴き始めるのであった。

アメリカでは、親父世代(なかでもアフリカ系米国人)のカリスマ、それがマービンゲイであった。息子世代は、当然のようにラップやその他の流行音楽に浸っている。それは、時の流れの成す術としか言いようの無い出来事である。しかし、マービンゲイの残した優れた楽曲は、密かにいまの音楽に影響を与えているはずである。

60年代に多くのラブソングをヒットさせたマービンは、モータウンレコード(黒人音楽の総本家)の貴公子と言われた。また、女性R&Bシンガーのタミー・テレルとデュエットしたラブソングは、伝説的でさえある。それは、公私ともに良い関係を築いていたからであった。しかし、マービンにとって欠かせない存在であったタミーが若くして亡くなってしまう。

その後のマービンは、酒に溺れた荒んだ生活をしていたそうである。彼は、多くのクリエイターがそうであるように、繊細であった。特に彼はそれが顕著であったようである。黒人といえばマッチョというイメージとは対極にいたのである。

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タミー・テレルとマービンゲイ

ラブソングの貴公子、反戦を歌う

荒んだ生活をした後、70年代になってマービンは突如、反戦や社会問題を主題としたアルバムを発表する。それが、「ホワッツ・ゴーイング・オン」(71年)であった。このアルバムには、一曲もラブソングは収録されていなかった。しかし、彼はこのアルバムによって単なるヒットシンガーから、音楽史に残る偉大なシンガーとして認知され現在に至っている。

何故、突然のように反戦ソングか。それは、実弟がベトナム戦争から帰還し、その出来事を聞くうちに楽曲の構想が出来上がったようである。当時の状況を考えればある意味では必然であったのかもしれない。彼としては、このときでしか出来ないことをしたまであった。その理由に、次のアルバムではまったく違う方向性となったのである。


ホワッツ・ゴーイング・オン

愛の行く末は、性の極致まで。そして離婚伝説へ

彼の存在感を高めた「ホワッツ・ゴーイング・オン」の後、なんと彼は、愛するが故の性への欲求をあからさまに表現したアルバムを発表する。それが「レッツ・ゲット・イット・オン」(74年)であった。その楽曲は、まるでポルノのようだとまで言われた。これまで押し殺してきた愛の言葉が、扉をこじ開けるかの如く率直に放たれている。

それは、本当にいいのか、この表現でと思わずにはいられない程である。

「肌と肌を重ねて、体と体で愛し合おう」「君の愛を溢れさせてみろよ、愛の力を信じているなら」等々、これでもかという愛の率直な表現が満ちあふれている。何故、このような表現になったか、それは彼が不倫していたからであった。妻のある身でありながら、バックコーラスの女性と恋仲になってしまったのだ。

このアルバムによって、彼は、セクシーシンボルと化した。そして、当然のように妻とは離婚することになったのである。この離婚問題で元妻から多額の慰謝料を請求された彼は、その痛い思いを今度もあからさまに表現する。それが、なんと「離婚伝説」というアルバムである。そのままやないか、と思わず言いたくなるほどに率直である。しかし、見事なクリエイター魂である。

そんなこんなで70年代を終えたマービンは、82年にレコード会社を移籍し新しいアルバムを発表した。それが「ミッドナイト・ラブ」(82年)であった。それはグラミー賞を獲得し彼の復活を表したものであった。しかし、そのわずか2年後、84年に父親との諍いの末射殺されるという事件が起きた。彼は、そのとき44歳であった。そして伝説となったのである。

<アマゾンレビューより>
私はMARVIN GAYEのアルバムは聴いたことが無かったのですが、TV CMでも使われている「Mercy Mercy Me」を耳にして、この曲聴きたいと思い買い求めました。Radioで聴いたことがある曲もたくさん入っていたけど、驚いたのは音の良さでした。こんなに24ビット・デジタルリマスターと云うものがハイテク録音という事は知りませんでした。私は通ではないので、ともかく買ってよかった!の一語に尽きます。今の音楽が自分の耳に合わないと思い初めて、彼の声を聴くと天国にでも逝けたかのようにほっとしました。残念なことに84年に逝去されたとクレジットに書いてありましたが、それが残念でなりません。30年も経っている曲でありながらスーッと心の中に入ってくるそんなアルバムでした。

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