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■社会|書店は消えて、いずれネットに一元化される!?

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一日に一店舗が閉店する書店は、いずれ消滅する運命か?

本棚01

本が売れないと言われて久しいが、それに伴って書店がどんどん減っているようである。とくに地方で、その傾向が顕著であるとか。いまや、ネットでなんでもかんでも購入する時代である。そんな時代にわざわざ店に足を運ばせるには、それ相応の理由がなければならない。

書店が閉店する理由は、まず客がこないということにつきる。何故、客がこないかといえば、いまの書店にはネット以上の情報がないからではないか。とくに個人経営および中規模の書店の場合は概ねそうである。ただ単に取り次ぎから送られてくる本を並べるだけでは、そこで買う動機にはならない。

一昔前(ネット以前)なら、立地および独占的販売(書店でしか買えない)をもって客を呼び寄せることができたが、いまではそれらの利点も無くなってしまった。

唯一の利点は、立ち読みができることぐらいか。しかし、それもやがてはネットで解禁される日が来るに違いない。とすれば、もはや書店は単に本という現物が置いてあるだけの存在でしかない。そこにどれほどの価値があるか、それは客の減少をみれば一目瞭然である。違うか。

何故、書店はここまでになんらかの手を打てなかったか。知恵者はいなかったかである。いや、正確にはいたはずである。それを活かそうとしなかった書店経営者たちの怠慢に、いまの苦境があるはずだ。たぶん。

しかし、書店経営者にも言い分はあろう。

1年間で日本から300もの本屋さんが消えた(newsdig)

書店の仕組みとその功罪、おまかせが命取りになる

書店の仕組みは、本の取り次ぎに保証金を払うことで本を送ってもらい、それを販売していくシステムにある。また、そのシステムの元では返品ができることが書店のメリットであった。(ただし、本の値引きはできない)

いまやどんな商品にもプライスダウンは当たり前の行為であり、商慣習として定着している。しかし、本はこれができない。再販制度(再販売価格維持制度)によって、いわゆる「定価販売」を義務付けられているからだ。(書籍・雑誌・新聞・音楽CD・音楽テープ・レコードの6品目)

再販制度(再販売価格維持制度)とは?

これは時代の潮流に逆行しているのは、今更言うまでもない。しかし、法律で決められたことであり、逆らえば違法である。

それでも、それを覆す知恵者はいた。それが、大手量販店のポイントカードである。これを利用すれば、書籍でもポイントが付いてくる。その結果は割引と同じ効能があるという具合である。しかし、これができるのは資本力があるところに限られる。個人経営では、まず無理なので現在の苦境にある訳である。

しかし、それでも書店経営者の怠慢があったと思われる要因がある。それは、取り次ぎに依存し過ぎて、商品構成をおざなりにしたことである。

普通の書店が苦境にあるなかで、ある書店(正確には少し違う)ではいち早く商品構成を自らで主導し、ある方面に特化した書店としてその存在価値を高めていた。ある方面とは、アニメ、漫画などに関する書籍のことである。

そこに集中特化して、そこに行けばすべてある(ほぼ近い)といえるまでに品揃えしたのである。そうすることで、特定の客の関心を集めることに成功した。

このある書店とは、「アニメイト」のことである。いまや、サブカルチャーのメインはアニメ、漫画であるが、かつては日陰の存在であった。そんな日陰の存在の頃からアニメイトは、すでにそこに特化した書店をやっていた訳である。

なお、「アニメイト」を書店というには違和感を感じるかもしれないが、当方は直接に経営幹部(90年代中頃の)から「基本は本屋ですから」と聞いた話である。当方は、アニメにも漫画にも詳しくない。また「アニメイト」も付き合いはあったが、おなじくである。したがって、これ以上は書くこともない。

それはさておき、「アニメイト」の例で言えるのは、書店の生き残りは、商品構成という商売の基本を取り次ぎから取り戻すか否やにある、と思うが違うだろうか。

商売の基本、商品構成が鍵となる

書店が、本を売るのは当たり前である。しかし、それではいまの時代には通用しない。何故なら、空間の限られた店舗ではおのずと限界があるからだ。限られた空間では、売れ筋や、話題書ばかりが優先されることになる。その結果どうなるかといえば、なんとも変わり映えしない書店の出来上がりである。

変わり映えしない書店、これこそが現在の苦境を象徴する。違うか。取り次ぎから送られてくる本を並べるだけの書店では、なんの訴求力もない。ただ本を陳列しているだけである。そんな書店になんの魅力があろうか。あるはずは無い。(ただし、過疎地や離島等は事情が違う)

これまでの書店には、その書店特有の理念なり、テーマ性が欠けていたように思うが如何に。とにかく本を扱うということで、ひとくくりに文化を提供する云々カンヌンがせいぜいであった。しかし、そのひとくくりはもう通じない。そこから先に何があるかを提示、提供する時代ではないかと思う。

経営者からしたら、なんでも揃える方がいいじゃないか。リスクヘッジにもなるという具合かもしれない。しかし、個人経営の書店が大型店のようになんでも品揃えできる訳が無い。どうせ中途半端な品揃えなら、大型店が出来ないことをするしかない。

ではどうしたらいいか?それが問題である。

(なお以下の提案は、地方都市にある大型書店、コンビニ、ネットに客を奪われている普通の書店を想定しています。過疎地や離島などは除きます)

そこで、「何を売るか」という基本に返ることを提案したい。「本を売る」だけではなく、「本の何を売るか」を考える事からスタートし直す。そこにこそ、鍵があるはずである。(少し抽象的かも、しかし他に思い浮かばない)

キーワードは、「もっと、違うことを考えよう」である。(アップルか!、ぱくりであるのは言うまでもない)さらに付け加えれば、小さくとも地域で一番になることである。限られた空間でも特定のテーマで特化すれば、それが可能である。

何を売るかは、経営者個人の「好き」に依存してもいいだろうし、または、書店の置かれた環境要因も参考になるに違いない。テーマが決まったら、そこから周縁に広げることが肝心である。そうすることで品揃えが自然とできてくる。

やがて核(主テーマ)とカテゴリー(下位テーマ)ができるはずである。それに従って、あとは品揃えをしていくだけである。しかし、実際はたいへんな労力がいるはずである。なにしろ取り次ぎにおまかせとはいかない、自らが情報を集めて選択しなければならない。当然、売れるかどうかも含めてである。

なんでも揃えるから、商品構成をある程度絞る結果として販売機会が狭まるということもあろうと思うが、当方は逆に商圏は広がると考えます。競争の少ないところで勝負すれば、おのずとそこに行かざるを得ない。ただし、マメな訴求(宣伝)を繰り返して認知を高める努力が必要となる。

商品構成を見直すには覚悟がいるし、それに掛かる労力も半端ない。それでも、やるかやらないかで道は別れる。それは生き残るか、そうでないかである。書店経営者もこのままでいいとは思っていないはずである。たぶん。

とにかく、書店経営および関係者の皆様の今後の健闘を切に願います。苦境をチャンスに切り替えることはできると信じて..。

なお、上記した提案は、当たり前であるがなんの保証もありません。あくまで個人的な見解であり、たぶんというあやふやな仮説に基づいたひとつの提案です。しかし、それでもなお、やる価値はあるのではないかと思っています。

何故かといえば、これと似たことを以前行ったことがあるからです。ちなみに書店ではありませんが、業態開発には違いありません。また、再販制度が如何せん動かざること山のごとくですから。できることをするしかありません。

もっと具体的なことを提示したかったのですが、現時点ではここまでしか考えが及びませんでした。無責任なようですが、あしからず。

冒頭写真:zettai-keikan-blogより

<余談>
このテーマとは関係ありませんが、以前にUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のマーケティングが秀逸だという記事を載せたことがあります。

個人的にベタぼめしたのですが、最近のUSJは人気の高さに付け込んで、アトラクション価格帯(セット料金だったか)を高く設定し、一気に収益増を図るという行為に出ているとか。いやはや、火事場のなんとかや、鉄は熱いうちに打てとかを地でゆくようだ。(例えが違うかもしれない?)とにかく、ちょっとがっかりである。

<離島の本屋 22の島で「本屋」の灯りをともす人たち>
北は礼文島から南は与那国島。誰もが知る小笠原諸島から、地元民だけ知る家島まで―22の島で「本屋」に灯りをともす人たち。

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