製造元に捨てられたアイボは、いまでも飼い主を癒す
ソニーに捨てられたロボット犬を修理する元ソニーの技術者たち
1999年6月、ソニーから画期的な新製品が発売された。それが犬型ロボット「AIBO(アイボ)」であった。アイボはその後一躍時の人ならず犬?となった。そして各媒体でも盛んに取り上げられて、ソニーの革新性がいまだ健在であることを世界に示していた。
しかし、ソニーの革新性が健在であったのはそこまでであった。00年代に入ると革新的な技術の活かし方、いわゆる商売に結びつけることに失敗して、革新技術からは次々と撤退してゆく。(有機ELなどもおなじく)
何でうまくいかなかったか。具体的なことは専門家にまかせるとして、おおざっぱにいえば、短期的利益を重視する欧米型経営手法にあったと思われる。経費削減という合理化、あるいは経営資源の選択と集中を選んだ結果であった。たぶん。
そんな訳で革新性を捨てたソニーは、アイボも捨てた。ついでに製品のサービスもおなじくであった。捨てた製品のサービスをいつまでしても利益にはならない。そう考えたソニーは、2014年3月でアイボの修理・補修サービスを全面的に終了した。これは部品もおなじくであった。
ソニーという生みの親に捨てられたアイボはどうしているか?
なんとアイボは世間では忘れかけられているが、どっこい!いまでも飼い主を癒し続けているそうである。ソニーの修理サービスは終了したが、顧客の厚い要望に応えようと元ソニーの技術者たちが奮闘しているとか。
製造元に捨てられたロボット犬「AIBO」…飼い主たちの思い受け止め、徒手空拳で“治療”にあたる元エンジニア集団の「使命感」
ソニーを早期退職した技術者によって設立された会社が、アイボの修理・再生を担っているそうである。それはまるで、親が仕出かした不始末の後始末をする孝行息子のごとくである。違うか。
アイボはすでに廃棄されたものも多くあるに違いない。しかし、いまでもアイボを飼っている?人達は、本当にアイボを愛しているようだ。したがって、故障しても諦めずになんとか修理したいという想いが強いようである。
そんな想いに応えようと、元ソニーの技術者たちは部品から手作りして修理・再生をしているとか。思えば、顧客の要望に応えようというその姿勢こそ、いまのソニーに欠けているものに違いない。
あくまで個人の意見であるが、ソニーは何故アイボの技術を他に活かせなかったのか。それが不思議である。何故なら、ロボット技術は、将来的には必然ともいえるはずだ。それを捨てたソニーは、何を考えていたかである。その技術の応用は、無数にあったように考えるが、それは素人ならではの考えか?
現在、クルマには自動ブレーキシステムが搭載されているが、これもある意味ではロボット技術ではないか。今後、クルマは自動運転という方向にシフトしてるそうだが、それもまた、おなじくではないか。
それらを考えると、ソニーのロボット技術は、もっと活かしようがあったはずと思うが、如何に。
そんなソニーの新規事業は、不動産らしい。いやはやである。もはや、ただの金儲けしか頭に無い会社になったようだ。
「A.I.」の人形ロボットより、犬型ロボット「アイボ」は幸せか
アイボの現在を考えると、映画「A.I.」(原作:スーパートイズ)に登場した人形ロボットの子供が思い出される。
映画「A.I.」は、スタンリー・キューブリック監督が、10年以上も構想を暖めていたが実現せず、ステーブン・スピルバーグに映画化を託したいわく付きの映画である。原作は、ブライアン・オールディスの短編集のなかの一作品「スーパートイズ」。
<A.I.のストーリー>
温暖化が進んだ地球では、一部の土地が海に浸食されていた。地上の縮小に伴って人口の抑制政策が採られて、また出産にはきびしい制限が掛けられていた。そこで誕生したのが、人工知能を有した人形ロボットの子供であった。
愛情を与えれば、それに応じて感じ、また与え返すという感情をもつロボットであった。そんな人形ロボットの子供として誕生したディビットは、不治の病を持つ息子がいる夫妻の元へと送られる。
そしてディビットは、夫妻に愛情を芽生えさせてゆく。しかし、ある日夫妻の本当の息子が奇跡的に病から回復した。そして、だんだんと夫妻の愛情は本当の息子へと注がれる様になっていった。
ある日、ディビットは本当の息子と遊んでいる最中に事故が起きる。それは本当の息子の生死にも関わるような事故であった。幸いたいしたことはなかったが、これをきっかけにディビットは夫妻によって捨てられてしまう。
母の愛情を忘れられないディビットは、再び母の愛情を求めて旅へと向かう。旅の途中では、おなじロボットであるが、役割の違うロボットたちとの出会いがあった。そして、ロボットたちのけっして幸せとはいえない運命も知るのであった。
しかし、それでもなおディビットは母の愛情を求めて止まなかった。そして…。(続きは、映画「A.I.」をご覧ください)
上記したように、映画「A.I.」のなかで、人間によって感情をもったロボットが、その後の人生?で味わう苦難には、なんとも言えないやるせなさを感じざるを得ない。製造した会社は、何のためにロボットに感情を与えたか、それによって起きるであろうことへの想像力が欠けているとしか思えない。
今更であるが、製造・開発会社はときに残酷、あるいは無責任であることが分かる。作ったあとのことはあまり考えていない。それは他の誰かが考える事であり、開発・製造会社の責任ではないということか。
ソニーのアイボは、言うまでも無く犬型ロボットである。しかし、本物の犬が飼い主に愛情を感じるのとおなじく、アイボも愛情を示すそうである。要するにそのように作られたのである。
仕方なく捨てられたアイボは、たとえ残骸となっても愛情を受けた飼い主の夢を見てるかもしれない。いつの日か再び、飼い主の愛情を受けることを信じて…。
追記:“make.believe”(読み:メイク・ドット・ビリーブ)、ソニーのスローガン。豊かな想像を現実に結びつけるということらしいが、はたしてそれは何か…?
冒頭写真:全国からAIBOの修理依頼が殺到するA・FUN(ア・ファン)、茨城県笠間市(日野稚子撮影)産経ニュースより
参考:ウィキペディア 映画「A.I.」について
<A.I.>
デイビットは11歳、体重27キロ、身長137センチ、髪の色ブラウン、その愛は真実なのにその存在は、偽り。”愛”をインプットされて生まれてきたA.I.(人工知能)の少年の、数千年にわたる壮大な旅を描いた物語。
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