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■社会|都会と地方の格差 その根源は如何に

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田舎者をバカにする都会人も、その多くは元は田舎者である

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地方の未来は何処に、ある地方都市の矛盾した光景

都会と地方の格差が拡大していると言われて久しい。少子高齢化もあって地方の一部では地域存続の危機が迫っているところもあるとか。当該ユーザーの出身地でも、バブル崩壊後には日本一地価が下落したと言われていた。そしてその後、賑わいをみせた駅前商店街はシャッター街となり果ててしまった。

それから約20年が経ったいまでは、街の中心にぽっかりと空洞があるような、見事なまでのドーナツ化の街が形成されている。郊外の街道沿いには大手チェーンストアによる飲食や小売り、その他サービス業が、かつては田んぼや畑だった地をコンクリで固めて広い駐車スペースにして出店している。

このような光景は、いまでは地方の特徴となっている。したがって、ある意味では地方の風景を均一化したともいえるだろう。何故そうなったかといえば、大店法の緩和とそれによる個人商店の淘汰にある。駅前商店街は主に個人商店によって形成されていた。しかし、街道沿いに出店した大型店に客を奪われたのはあっという間であった。その背景には、地方のクルマ社会の進展があったのは言うまでもない。

個人商店の経営努力が足りなかったこともあるだろうが、地域の活性化を鵜呑みにして大型店の誘致に動いた地方行政には、未来があまり見えていなかった。一時的には潤っても、地域の人口が減ればあっという間に大型店は撤退してしまう。何故なら、地域に根ざしていないからである。大型チェーン店は収益によってスクラップ&ビルドを繰り返すのが当たり前である。

そして、郊外の街道沿いに大型店のシャッター街ができる訳である。もちろん、駅前もそのままシャッター街であるのは変わらない。これが、地方の近未来の姿である。壮絶なまでの殺風景を絵に描いたようなこの光景は、地域に根ざした商業をおざなりにした行政の怠慢としか言い様が無い。違うか。

ところで、いったいどこの地域かといえば、東京のお隣である某県のK市周辺のことである。実は、このK市は東京湾を横断する道路ができたことで、ものすごく寂れた街として有名だった。地価の下落率も全国で最も大きかったほどである。

その後、横断道路の料金を3000円から800円にしたことで様相が変わってきた。いまでは、この地域で唯一人口が増えているそうである。しかし、それでも駅前周辺のシャッター街は変わることはない。郊外の街道沿いや、山を崩して大型店が出店しているが、その将来は必ずしも明るいとは言えない。

何故なら近隣の地域の衰退が激しくなっているからだ。K市のお隣のF市などは人口減から歳入が減って、夕張並みに厳しいと言われている。また、かつて出店していた大型店も次々と撤退、または縮小している。近いうちに総撤退も噂されている。このF市は、この地域の有名政治家であったハマコー氏の地元である。

彼が存命中はその政治力を活かして大型店誘致に活躍したのではと想像する。しかし、F市はあまり発展することなく現在に至っている。大型店を出店した企業も話が違うと思っているかもしれない。いやはや。

現在、K市には、アウトレットモール、イオンモールの2大集客施設ができている。他にも、ドンキやニトリ、ユニクロなどの小売りチェーンがあり、飲食の大手チェーンの大半はあるだろう。無いのは百貨店とセレクトショップぐらいか。

とにかく、だいたいのものは揃っているが、そのどれもが郊外の街道沿いにある。駅の周辺は相変わらず閑散としていて、びっくりするぐらい寂れている。なにか事件や事故でもあったのかと思うぐらいである。とにかく人が少ないのだ。駅前の幅の広い歩道を歩く人は僅かであり、ときには人を見かけないとか。

まるでSFホラー映画「28日後」のように、いまにもゾンビがでそうである。とても奇妙で、なんだか不思議な光景である。(あくまで個人の感想である)
当該ブログ過去記事/映画「28日後・・・」

ちなみに、このK市は東京からごく近いにも関わらず、意外と田舎だということで最近では「都田舎」と言われているそうである。その意味は、田舎にも、都会というイメージにもそぐわないないからだ。

つまりは、中途半端な地方都市であることに他ならないだろう。違うか。

<「都田舎」の特徴>
・殺伐とした雰囲気の風景(街道沿いの看板の乱立、歩く人の少なさ)
・歴史的建造物がない(街の歴史を感じさせる建造物がほとんどない)
・文化的な要素に乏しい(文化=無駄の意識か)
・クルマが異様に多い(一家にクルマ2〜3台は当たり前)
・情緒性がない(本当の田舎にはあるが、都田舎にはない)

他にもあると思うが、とりあえずは以上まで。なお、あくまで個人の意見であります。あしからず。

田舎はエコロジーとは縁遠い車社会である!

当該ユーザーは、前述した都田舎K市に約20年、東京に約30年住んでいる。東京では、郊外を知らない。だいたい23区内を転々とした。中野、世田谷、目黒などである。あまり田舎には帰る事はしなかったが、それでもたまに帰るとその変貌に戸惑うばかりであった。いや、ショックと言ってもいいか。

子供の頃は賑わっていた駅前もいまでは人の少なさが目立つばかりである。一等地であったはずのビルには入居者募集の張り紙が貼られて久しい。なんともまー変わり果てたもんだと思うしかない。

ところが、駅から徒歩で15分ぐらい郊外に向かって行くと様相は変わる。古くからある街道沿いには、大手チェーンストアが出店しており、それぞれが広い駐車場を完備している。元は田んぼか畑であった場所である。

さらに郊外にいくと新しく出来た道路と山を整地して出来た新興住宅街があり、それに付随するように大手チェーンストアが出店している。それらの店舗は郊外にいけばいくほどその規模はでかくなる。元は山であったところである。

これらの郊外にできた大型チェーンストアに行くにはクルマが必需である。なんせ元は山であったから坂道が急であり、徒歩で行くには不便なところである。したがって、駐車場が必需でありまた広い面積を有している。

繰り返すが、元は山であり緑が茂っていた場所である。

世の中はだいぶ前からエコロジーという自然にやさしい生活環境をという流れにある。自然を大切にしよう、緑豊かな環境をという訳である。しかーし、地方に行ってみるとエコロジーの概念が根底のところでねじ曲がっている。

すべての地方がそうとは思わないが、少なくとも前述したK市近辺では山を崩して宅地開発が盛んである。また一方ではクルマなくては生活できない環境が整備されている。K市に限らず地方都市ではおおかれ少なかれそうではないか。

クルマは一家に2台どころか、3台ぐらいあるのは普通かも知れない。クルマのガソリン消費量はもしかしたら、東京より多いのではないかと思ってしまう。コンビニやレンタルビデオ屋にもクルマでいくのである。それどころか、どこへ行くにもクルマである。これは東京に住んでいると信じられないだろう。

しかし、クルマが3台あるから収入も多いとは限らない。なんせ、バイトやパートにもクルマで行くしかないのだ。

地方には、東京と違って公共の交通機関が少なく、クルマしか移動手段がないからである。しかし、もっと違った街づくりはできなかったのか、と思わずにはいられない。何故か道路ばかりが優先されて、クルマ(自家用)での移動を前提とした地方都市ばかりが作られたのは、政治家と道路業者の陰謀ではないかと勘ぐりたくなる。

とにかく、はじめから都市計画に公共交通という観点が著しく欠けているとしか思えない。地方の財源不足ということもあろうと思うが、リニアなどに莫大な投資(これは民間の自費だったか?)をするよりも公共交通の充実化の方が地方のためである。何故なら交通の利便化が人を引き寄せて街を活性化させるかもしれないからだ。

では具体的にはどうすればいいか。それが問題である。これを考えると大変難しいとしか言えない。なんせ、すでに出来上がってしまったシステムがあるからだ。いまのシステム(地方のクルマ社会)が、行き詰まるまで待つしかないか。そして、ガラガラポンして一からやり直しである。いやはや。

<まとめ>
・田舎はエコロジーではない
・地方では、クルマがないと生活が不便
・クルマ依存社会は、時代にそぐわない
・山を崩し、森林を伐採する開発主義はいかがなもんか
・地方は、反環境主義に陥っている

矛盾に満ちた田舎の姿は、今後何処に向かうのか!?

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