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■社会|糸井重里氏、広告の限界を語る

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かつての売れっ子コピーライターはかく語りき!

それは、まさに正鵠を射た指摘と言っても過言ではない

もうコピーライターはやめた!?

糸井重里氏が、「コピーライターやめた宣言」をして話題を集めている。あれ、まだコピーライターしていたのか?と思ったのは、当方ばかりではないはずだ。なんせ、糸井氏は、いまではその存在自体がブランドと化し自らが事業体となってしまった。商品を宣伝するだけのコピーなんぞを書かなくても困ることは無いに違いない。

糸井氏は、今回の発言のなかで「自分が薦めたい商品ならいい。でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」と語っている。(朝日新聞デジタル 2015/5/25)

これは、もう魅力の無い商品をコピー一発で売れる商品にするなど、まっぴらごめんということを意味しているはずだ。広告界では禁句のはずのこの発言は、すでに一定の覚悟と次の目論みの算段が出来ている証ではないか。

したがって、「コピーライターやめた宣言」は自らの存在価値を高めることはあっても、下げる要素は無いと判断したと思われる。昨今の広告が、どこか変質していることも考慮済みであろう。それを、広告業界の反発も予想した上で本質を指摘したはずである。これができるのは、糸井氏しかいないはずだ。

何故なら、もう広告界に重点を置いていないからだ。それもかなり前からである。80年代は、広告界のスターとして君臨したが、90年代ではゲーム業界が隆盛のなかでゲーム開発に進出し成功している。そして徐々にコピーライター糸井重里という存在は影を潜めていく、商品開発や文化的事業などへの比重が増していた。

00年代では、コピーライターのという冠は必要がない存在となっていた。何事も時代を見る目がある糸井氏は、ネットへと比重を移していく。「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトは、ネットが普及するかなり早い時期から始められていた。現在では、老舗といっても過言ではない存在を呈している。

そして10年代となりいよいよ時は来た、それが今回の発言だったと推測する。なんでも「ほぼ日刊イトイ新聞」は、上場を目指してるとか。これを考えると90年代初頭から糸井氏は、広告から離れることを決意していたとしか思えない。

ゲーム開発、商品開発、文化人及び事業、サイト運営、ネット通販など約20年を掛けて蓄積したノウハウは、かなり自信の裏打ちとなっているはずである。

もう、売らんかなの商品の宣伝をしなくていい、そう思ったとしてもなんら不思議ではない。それだけの努力と才能を傾けてきたはずだ。いくら広告界で名を馳せていても簡単にできる芸当ではないのは間違いない。

糸井重里さん、コピーライターやめました。(朝日新聞デジタル)

「製品ができてからお客さんの手に渡るまでは、長いドラマがある。広告屋は売るための助け舟を出すのですから、どこかで手伝うことはできます。でも、限界を感じたのです」

「自分が薦めたい商品ならいい。でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」

「エルメスにキャッチコピーはないですよね。よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい」

上記の発言からは、広告制作の根源的な問題が提示されている。しかし、一方では「それをいっちゃーおしまいよ」という声もしてくる。広告の存在価値はあるのか、ないのかの問題でもある。ところが実際には広告は効果があると思われる。だからこそ、「ただ煽るだけ」や「釣るだけ」の広告に疑問を呈したのではないか。

糸井氏は、コピーは辞めるが商品開発に参加しないとは言っていないようだ。穿った見方をすれば、出来上がった商品の広告はしないが、開発から参加するのは吝かではない。たぶん、そのようなことではないかと想像する。

デザイナーの佐藤可士和氏などは、企業のインターナルデザインなど企業の重要な要素を担う仕事をしている。そして、単なるデザイン業務を超えた範疇にも入り込んでいる。それを考えると、糸井氏のコピーライター辞めた発言は、いまさらでもあり、当然の結果ともいえるだろう。

広告がアートに近づいた時代があった

時代と広告の関係性とは

昨今の広告はとにかく面白くない。そう思うのは当方だけではないと思うがいかに。何故面白くないか、それは企業の余裕の無さの表れとも言えるし、顧客の趣味・志向・環境の変化とも言うこともできるだろう。現在の広告は、機能や効能を訴求することが中心である。中には例外もあるが、ほんの一部である。

機能や効能を訴求する広告を端的にいえば、バナナの叩き売りと通じるものがある。栄養価がある、まとめると安い、さらにおまけも付ける。それで買わなきゃ損だと煽る訳である。煽られた顧客は、あとは釣られるしかない。

企業にとっては手っ取り早くめでたしとなる広告、それが昨今では求められている。保険、金融、クスリ、飲料、食品、その他、あらゆるところで同じ手法が使われている。ある業種で一番ならとにかく「ナンバーワン」の連呼である。

一番ではない場合は、なんとかセレクション受賞などが使われる。それがお金で手にしたものであったとしても関係はない。受賞したという文句が使えればそれでいい。そこに焦点を絞って訴求し顧客に安心感を与えて購入に結びつけていく。

事業主体は短期で利益を追求していく。それが主流である。したがって、目的(利益)のためなら手段(手法)は問わない。当然、広告もおなじくである。これは当たらずとも遠からずと思うがいかに。

広告が面白くないのは、ある意味では必然としか言い様がない。

そんな昨今とは違って広告が面白かった時代があった。
それが80年代の広告である、そこではイメージが優先していた。

いいか悪いかは別にして、80年代の広告には人々に夢を与える要素が多くあった。上記に登場した糸井重里氏は言うに及ばず、多くの優秀な広告クリエーターがその才能を競い合う様にして、あの手この手の広告を編み出していた。

それらの多くはイメージが豊かで、中身があり、面白くて、時には考えさせられる。そしてなにより雰囲気に満ちていた。ある種の雰囲気を漂わせるのは、余裕がある証拠であるに違いない。即物的に訴求するのは野暮といわんばかりにイメージが優先していた。

80年代の幕を開けたと言っても過言ではない、「不思議大好き」という西武百貨店の広告はまさに時代を表していた。広告は、これを機にどんどん不思議というアート化が進展していく。そして、そこには面白さが満ちあふれていた。

人々を豊かな気持ちにさせる。そんなイメージの豊潤さがあった。

80年代はバブルの時代であり、それが反映していたともいえる。時代の成せる技であったか否や。それは当方は知る由もないが、面白かったのは間違いないことであった。言葉を変えれば、広告が幸せな時代だったとも言えるだろう。

それに反して昨今の面白くもなんともない、即物的な広告は何故跋扈するのか。それも時代の成せる技なのか否や…。

当サイト過去記事:■80年代|広告批評と80年代の広告

冒頭写真:バーバラ・クルーガー I shop I am(私は私が店=直訳)
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ちなみに広告は面白くないが、何故か音楽PVは優れたものが多い様に思う。音楽業界はCDが売れなくて苦しい現状にあると思われるがいかに。もしかしたら、広告業界でイメージの豊かさが求められていないので、仕方なく音楽PVなどに才能が集約されているのかもしれない。なお、あくまで想像です。

広告を揶揄するような内容となりましたが、言うまでもなく広告にもいい面がたくさんあります。というか、もはや広告なくしては世界は成り立たないかもしれません。企業は広告によってすばやく商品を認知させて、投資回収を早めることができます。それは、ある意味では顧客にも利益をもたらします。

当該サイトもアマゾン、アドセンスが堂々と鎮座しています。これによって多少の経費回収が行われているのは、言うまでもありません。(ほんの僅かです)

思い出したら、思い出になった。 (ほぼ日ブックス)
思い出したら、思い出になった。 (ほぼ日ブックス)

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