1%の富裕層と99%の下層社会へまっしぐら
■中間層が失われた国家は、はたして豊かといえるか
2015年の日本では、株式市場だけを捉えてみるとバブル期以来の好景気のような趣きだ。しかし、それがなんの実態もないのは言うまでもない。日銀がいくらお金を市場に流しても、株式市場以外には回っていないようだ。企業に設備投資を促しても、消費マインドが冷えたままでは企業だって二の足を踏むしかない。
好景気ならリストラが行われる訳はないと思うが、相変わらず多くの企業で積極的に実施されている。最近ではアパレル大手のワールドが、希望退職を募ったうえで直営店を削減すると発表した。東芝だって、不正会計して利益を水増ししていた。ヤマダ電機は存亡の危機にあり、居酒屋、ファストフードもいい話しはない。
ワールドは、かつてアパレル卸業から製造小売業に転換して成功していた。それがいまではリストラである。同業他社も似たり寄ったりであろう。現在、アパレルで景気がいいのは富裕層(株で儲けた)を顧客にする高級ブランドと、低価格のファストブランドだけではないか。もはや中価格帯のブランドは淘汰されそうな雲行きである。
とにかく消費者の身近なところでは、景気のいい話しは皆無である。景気がいいのは一部の富裕層のみであり、中間層の下層化が進展している。
それとも、これからバブルはやってくるのだろうか?。株高はその先攻指標として表れている証なのか。80年代バブルは、たしか86年頃(記憶が正しければ)から本格化したはずである。歴史は繰り返すの例えどおり、あれから30年を経て2016年からアベノミクスバブルは本格化するのかもしれない。
もしそうであれば政府が、次に打ち出す政策はきっと銀行への融資緩和策だろう。お金をもっと市場に流せとばかりに、とにかく無理してでも金を貸し出せと銀行に対して難題を押し付けて、なんとか好況感を作りだそうとするはずだ。それは80年代バブルがそうであったとおなじくである。いつか来た道に逆もどりだ。
そして、2016年からじゃぶじゃぶと流されるお金は言わずと知れた不動産と株式市場に流れていく。さらに怪しいIT企業や再生エネ事業などにもおなじく。またオリンピックに絡んだ東京の再開発事業も後押ししていくだろう。
そうして、2017年には消費増税10%を実施するという訳だ。その結果どうなるか、それは想像するにも恐ろしいものと思われる。
2020年のオリンピックにバブルは頂点を迎えたあと、2021年には再びバブルは崩壊することになる、それはお決まりの定番コースのようにである。その後は未曾有の後退期が待っているのは80年代バブルとおなじである。
なお、当方は金融にも経済にも詳しくありません。そんなこともあるかもしれないというあくまで想像であり、なんの確証もありません。だったら対案を出せと言われるかもしれないが、専門家でもないのでなんもありません。あしからず。
ついでにいえば、もし民主党政権が続いていたらどうなっていたか。たぶん、いまごろは消費税10%で不景気のどん底だったに違いない。アベノミクスは、それより幾分かましかもしれない。しかし、いまのまま進んでいけば、いずれは元の木阿弥になるような気もするがいかに。
何故なら、いまの株高は大企業と富裕層にしか利益享受できない仕組みだ。それなのに、国家の負債は国民に押し付けようという算段ばかりが進んでいる。マイナンバー制度、派遣法改正、そして消費増税という具合に国民の手足を縛り付けた上で毟り取ろうという政策ばかりだ。
政治家(官僚のいいなり)や官僚は、それが合理的判断基準に沿っていると数値を基に説明するに違いないが、何か腑に落ちないのは言うまでもない。
日本の大人しい国民性が、いつか爆発する日が来てもおかしくはない。
アベノミクスとレーガノミクスに共通する理論
80年代、アメリカのレーガン大統領は、強いアメリカの復活を公約?として掲げて「レーガノミクス」と呼ばれた政策を推進した。その結果、経済は復活し好景気となった。しかし、一方では市場原理主義が跋扈しはじめ格差拡大が始まっていた。それは、80年代以降のアメリカの合理的な選択としていまなお続いている。
現在のアメリカでは、1%に満たない超富裕層の資産が、90%の国民の資産とおなじぐらいあるそうだ。その結果、かつてアメリカの豊かさを象徴していた中間層はいなくなったそうである。
レーガノミクスの市場原理主義を押し進めた背景には、戦後のアメリカの政権中枢を支えていたシンクタンク「ランド研究所」の存在があった。ランド研究所では、合理的選択理論という概念を共有していた。それを基に市場原理主義は生まれたと言われている。
「合理的選択理論」では、「人間は常に合理的に判断する」とされた。これに基づいて、「解決できない問題はない」、また「すべては数値で表すことができる」と考えられていた。そして数値が基本であるから、答えはひとつに収斂されなければならない。数学の答えが、2個も3個も無いようにである。
したがって、消費者=国民にとって不利な政策でも数値上で利に適っていれば良しとされたのである。いわば、国民のことなど知ったことか、国家の最適な判断をただ単に合理的に選択する。それが合理的選択理論の要となっていた。
「個人は利益のために行動する」という利己主義を前提とした、行き過ぎた合理主義的思想の果てには何が待ち構えているか。
ランド研究所の優秀な職員たちは自分たちの考えに固執し、特定の概念から離れられなくなったようだ。まるで邪悪な力に囚われたようにである。
この考え方は、80年代以降のアメリカの政策に強く影響を与えていった。例えば、中東への政策も然り、中国やアジアに対してもそうである。しかし、それらの諸問題はいずれもうまく行っていない。「解決できない問題はない」とされたにも関わらずにである。
中東では、イラクのフセインを排除すればあとはうまくゆくはずが、さらに混迷しただけであった。また中国は豊かになればやがて民主化すると計算したが、逆に共産党の独裁強化と領土拡張へと向かっている。
合理的選択理論には、大きな欠陥があった。それは人間の不可解な部分を数値で示そうとしたところにある。中東や中国の固有の文化を想像することなく、ただ単におなじ数値として推し量ろうとしたところに矛盾があった。
膨大なデータを駆使して未来を推測し、判断を選択しようとしてもはじめの基準が違っていたらどうだろうか。誤った判断になるのは必然と言っていいだろう。
要するに、例え株式市場の予測には使えても、人間の未来の動きを予測するのは容易く無いということができる。
アベノミクスは、このような合理的選択理論の罠に嵌まってやしないかと想像するがいかに。上記した様に数値上の理論は正しくても、その根拠となる基準そのものが間違ってやしないかと、そう思う次第である。
だったら、どうすればいいか?、残念ながらそれは知る由もない。学者先生になんとかしてもらいたいが、合理的選択理論も学者先生が考え出したものであった。
とにかく、アベノミクスがこのまま進展した場合、いまのアメリカとおなじ社会構造になるに違いないと想像できる。それは何とか避けたいという思いになるが、すでに手遅れなのかもしれない。
それでもアメリカほどには、その病理は深く無いと信じたい!。2020年まであと僅かであるが、これから国民性が問われる時期がやって来るに違いない。
参考文献:ランド 世界を支配した研究所 (文春文庫)
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ちなみに、アメリカに皆保険がないのは、ランドがニクソンから依頼されて理論構築して成立させたからである。たぶん、膨大なデータを駆使して問題ないとしたと思われる。それによって潤っているのは、言うまでもなく保険会社である。
日本もやがてそうなる日が近いかもしれない。
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