■社会|イケメン・美人とブサイクの境界 その美の境目を考察する

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イケメン・美人には、なんだか得があるそうだ

人間は、何故その形状にこだわるか

■イケメン、美人と現代アートの美の価値基準

一般的に、イケメンや美人である方が生涯で得があるのは否めないだろう。ブサイクには、けっして経験することのない何かがきっとあると想像する。当方も、どちらかといえば、ブサイク組(謙遜と受け取ってもらえると幸い)だからどんな得があるのか実感することができない。

何をもってイケメン、美人とするか。それは顔の形状にあるのは言うまでもない。

イケメンや美人の基準は、意外と昔からあまり変わっていない。何故なら、その基準が主に顔の形状にあるからだ。たかが形状である。しかし、それが問題となるのはいかに。人が判断する顔の形状の基準は、何故変わらないのだろうか。

アート、とくに現代美術の世界では美の基準は一定したものではない。いまや、基準などはないに等しいだろう。美術といいながら、醜さを売りにしたアートが世を席巻する時代となっている。例えば、ダミアン・ハーストなどは豚やサメを半分にちょんぎってホルマリン?に付け込んだ作品などで名を馳せた。

ニューペンティングの画家バスキアやシュナーベルの作品もイケメンや美人の基準とは大きく異なる作品である。しかし、その価値はものすごく高いのは言うまでもない。何故、一般の美の基準と、アートの美の基準は違うのか。

それから、ピカソもそうであった。誰もピカソの作品からイケメンや美人とおなじ美の基準があるとは思わないだろう。

それは何故かといえば、現代アートの世界では、美の価値として表層の美しさをあまり重要視していないからである。美の価値を判断するのは、その内容(考え方に通じる)とオリジナリティ(唯一性)、さらに問題意識(または時代意識)などではないかと思われる。なお、これを一概に当てはめるのは難しいが。

とにかく、アートの世界では美しさを最大の価値とはしていない。これは間違いないだろう。ある意味ではアートの美は進化、または深化したともいえる。

イケメン、美人と、アートの価値基準を対比するのはどうかとも思うが、どちらも美という要素の物差しがあるのは否めない。しかし、その価値基準が大きく異なっているのは歴然である。いやはや。

一方は、時代は変われどもあまり変化せず、もう一方はその基準を大きく変化させている。

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現代アートの美 バスキアの作品

イケメン、美人とブサイクの境界はどこに

■人間は美しくなければいけないのか?

イケメン、美人とブサイクとでは、恋愛格差、就職格差など世の中のあらゆるところで格差が生じているとか。とくに最近ではそれが顕著であるそうだ。

昔から似たようなことはあったが、最近巷でいわれるほど騒がれたことはなかったと思われる。とくに就職格差ってなんだかよく分からない。イケメン、美人ばかり求める会社って何だ。ローマ時代の皇帝のようにイケメン、美人を侍らして悦に入るのだろうか。

たしか、某インターネット企業では、高級キャバクラかと見間違うような美人ぞろいだと誰かが言っていた。また、男性社員もイケメン風が多いそうである。これは、何を目的にした人材選択なのか。穿った見方をすれば、営業先を凋落するに美人またはイケメンの方が好意を獲得しやすいからと考えられる。

そういえば、当方も思い当たることがある。かつて在籍した会社の社長室では、何故かイケメン風が多かった。美人については記憶が曖昧だが。イケメン風の社長室社員は、その多くが社長から寵愛を受けて出世した。それが、何を意味するかは想像におまかせする。

それはさておき、イケメン、美人とブサイクでは生涯収入に大きな差があるといわれる。アメリカの労働経済学者、ダニエル・S・ハマーメッシュは『美貌格差 生まれつき不平等の経済学』のなかでそう断言している。そして、その生涯収入差は2700万円だそうである。しかし、その根拠がいまいちであるが。

とにかく、その先生は約20年間かけて「美貌と経済学」の関係を調べたそうだ。

「見栄えのいい人の方が稼ぎがいい、誰もがそう思っている」
「美人プレミアムや醜人ペナルティが一般的にどれくらいの大きさか、かなりよくわかっている」

とのことだが、ブサイクにしてみたらなんとも理不尽極まりないことだ。

ブサイク・レボリューションが待たれる?

格差社会といわれて久しいが、ついに顔の美醜にまで格差社会が広がるとはいかに。これを世も末と決めつけるのは簡単であるが、それでもブサイクは生き延びなければならない。いやはや大変である。 

ブサイクに残された道はただひとつ、現代アートとおなじく美の基準に革命を起こすことだ。これまでの価値基準を転換させれば、明日からブサイクの天下となる。イケメン、美人は過去の産物となり、イケテナイねといわれる。

その具体的方法論であるが、残念ながら当方には思い当たらない。実に残念であるとしか言いようがない。これをもし考案できれば、ノーベル賞ものか?。それは知る由もないが…誰か研究する人はいないだろうか。

それはさておき、このイケメン、美人とブサイクの問題は、人間の他より優れていたい、または上にいたいという欲望の産物であるに違いないだろう。そして、それは中国4000年(これは関係ないか)の歴史の中でも変わること無く、現在に至っている。

美人・イケメンとブサイクの収入に2700万円の差!?「美貌格差社会」の残酷

ブサイクの独り言から

イケメン、ブサイクで検索したところ、「教えてgoo!」に面白い内容のものを発見した。それはまるで崇高な詩のようでもあり、切実なブサイクの叫びでもあった。以下をご覧ください。

ブサイクはイケメンにかてない(教えてgoo!より)

イケメン+ヲタク=かわいい
イケメン+臭い=男らしい
イケメン+ダサファッション=かわいい
イケメン+高学歴=結婚したい
イケメン+痴漢=うれしい

ブサメン+ヲタク=キモヲタ
ブサメン+臭い=死ねキモイ
ブサメン+ダサファッション=超キモイ
ブサメン+高学歴=なんかキモイ
ブサメン=痴漢

イケメン →失敗してもドンマイドンマイ
ブサメン→一つの失敗が命取り

キモメン不細工ガン見チラ見→好かれてたらキモイ 睨むな
イケメンガン見チラ見→惚れちゃうやめて!

ぼっち
イケメン:女「一匹狼みたいでかっこいい!」
ブサメン:女「友達いないとか死ねばいいのに」

ブサイク革命には、まだだいぶ遠そうな雲行きである。いやはや。とはいえ、栄枯盛衰は世の常、いつ革命が起こるか分からない。しかーし、中国4000年(関係ない)の歴史でもいまだそれは成らずなのは言うまでもない。

かつて、美人は薄命といわれた。しかし、昨今のイケメン、美人は自己主張が強いように感じるが、それは当方だけであろうか。

冒頭写真:ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学
美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

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