それは盗用か、芸術か、その境界線は何処に
オリジナルの消失とコピーの氾濫する時代のアート
■コピー文化をシニカルに表現する、それは現代にも通じるか
ネオポップ、またはシュミレーショニズムといわれるアートの様式は、80年代のニューヨークを中心に発生したといわれる。思えば、80年代のアートシーンは忙しく動いていたようだ。ニューペインティング、フォトリアリズム、そしてこのネオポップである。現在とはだいぶ様相が違っている。
ネオポップは、美術界では「シュミレーション・アート」、あるいは「アプロプリエーション(盗用)・アート」とも呼ばれる。なんだか、舌を噛みそうな名称である。また、なんだか難しいそうなアートをイメージさせるものだ。
それもそのはずで、ジャン・ボードリヤールによるシミュラークル理論をはじめとする、フランスのポスト構造主義哲学を理論的根拠としているそうである。
その意味合いは、引用、盗用、剽窃などであり、オリジナルの消失とコピー文化がテーマとなっている。ネオポップの由来は、60年代ポップアートが大衆消費社会をテーマとしたのと共通項があるからに他ならない。
80年代から俄然注目された音楽DJの手法である、カットアップ(切り取る)、サンプリング(集める)、リミックス(再構成)をアートに取り入れて表現したともいえる。音楽とアート、どちらが、それを先に行ったかはよく分からない。
ネオポップの作家達は、映画のワンシーンや、ありふれた通俗的な光景、またはどこにもある商品・モノをシニカルな目線で捉えて、それを再生産するように表現する。元がなんとなく想像できるが、それを超えて別次元の何かとして訴求してくる。そしてそこには、そこはかとない愁いが感じられる。
それは、引用、盗用、剽窃など、コピー文化ならではの虚しさに通じるものと思われる。オリジナリティが重視されないコピー文化では、人間性もおなじく重視されない。やがてくるコンピューター社会やインターネットの世界を予感していたのかもしれない。
アーティスト、とくに現代作家は時代の変化に鋭敏に反応する。いや、予測または嗅ぎ取ると言ってもいいかもしれない。このネオポップの作家達の作品には、はっきりとは示されていないにしても、来るべき時代を予兆している趣が感じられる。これは当方だけではないと思うがいかに。
なお、ネオポップという呼称は、美術手帖(BT)1992年3月号「ポップ/ネオポップ」から引用いたしました。
ネオポップ/シュレーショニズムのアーティスト
■シンディ・シャーマン
どこかで見た映画のワンシーンのような表現が特徴。それはデジャブのような感覚をもたらす、と同時に何かが起きたことを想像させる。(冒頭作品もおなじく)
Cindy Sherman – “Untitled #96”
■シェリー・レビン
すでに一般に広く認知された有名作家の作品などを撮影して、それを自分の作品として発表したりしている。オリジナルと盗用の境がどこにあるか、そこをあえて提示してみせる。かなり際どいが、そこが狙いともいえる。
1991 シェリー・レヴィン「 Fountain (after Marcel Duchamp)」
デュシャンの泉を引用、または盗用したイメージを再構成した作品。
■ジェフ・クーンズ
引用か、盗用か、物議を呼ぶ作品を次々と発表している。それが災いしてか実際に著作権違反で訴訟を起こされている。そのアートはいまでは、巨大ビジネスと化している。自分を宣伝する広報?を雇っているとか。
MADE IN HEAVEN(1989)
イタリアのポルノ女優チチョリーナと自ら主演?した巨大な作品。ホイットニー美術館のビルボード広告にもなったとか。
Jeff Koons 「Michael Jackson and Bubbles」
■バーバラ・クルーガー
元デザイナーだった経験を生かして、実際の広告かと見間違うような作品を制作している。無名時代のバスキアをサポートしていたことでも知られている。
■ジェニー・ホルツァー
ワードアートともいわれている。言葉をモチーフとして、電光掲示板、ポスター、建物などをメディアとして活用した作品を制作している。
■その他の作家たち
・マイク・ケリー
・リチャード・プリンス
・ジュリアン・オピー
・村上隆(初期の頃)、他
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