ファーンズワース邸
巨匠、愛人?に訴えられる!
さて、いよいよ20世紀建築界の巨匠シリーズの最後を締めくくるに相応しいこの人の登場です。ジャーン、巨匠!ミース・ファン・デル・ローエです。(以下、ミース)ミースのどこがすごいか、分かりやすく説明するのは難しいが、一応試みてみよう。
まず、ライトとコルビは、20世紀建築に多大な影響を与えた巨匠ではあるが、実は高層建築を設計していない。正確には、何度も構想レベルのアイデアを発表はするが実現に至っていない。
コルビは、国連ビルの原案段階で事実上の敗退(異論はあるだろう)をしており設計者とされてはいない。また、ライトもコルビも、NYのシーグラムビルの開発段階で候補者に上がるが、もう過去の人、または芸術的すぎるとして退けられた。
そして、ミースである。彼は、シーグラムビルの設計者となり、今日のビル建築の基本構造を確立した。その鉄骨とガラスとコンクリートによるビルは現在でも影響力を固持している。
特にカーテンウォール(ガラスの壁面)と云われる手法を初めて?確立したのである。この功績によって20世紀建築の巨匠入りが確定したと云っても過言ではない。
ファーンズワース邸(1951年竣工)
依頼主のファーンズワースは女性の医者であり、ミースの愛人だった?と云われている。この建物は、依頼主の別荘として建てられたものである。が、しかし、出来上がった建物には問題があった。何と全面ガラス張りであり、周囲から建物のなかが丸見えだった。これが、ミースの名を世に高めたファーンズワース邸であった。
ミースは確信犯であった、最初からこの構想があったのだ。ガラスの建物である。鉄骨を使うことで構造的には、壁を取り払うことが出来た。であれば、外壁をガラスにしても構わないじゃないか。という訳でこの革新的な建物ができたのである。
しかし、巨匠には好事魔多し?と云うが、あまりにオープン過ぎるこの家に苛ついたのか、建築費が高かったのか、ファーンズワースはミースを裁判所に訴えたのである。結果は、ミースが勝利した。運もツキもあるミースは、その後は巨匠街道をまっしぐらに突き進んだのであった。
ファンズワース邸
シーグラムビル(1958年竣工)
ニューヨークのマンハッタンに39階建てのブロンズ色に輝く、ひときわシンプルなビルがある。これが世に名高いシーグラムビルである。カーテンウォールと云う手法をはじめて?使用したビルである。これによってミースは、今日まで続く高層建築の基本構造を確立した。また、その研ぎすまされたセンスにより、徹底的に無駄を排除されたミニマルな形状は建築芸術作品の域に達している。
このビルの開発当初では、設計者の候補にコルビ、ライト、ミースの3人が上がっていた。オーナーの娘である開発責任者は、コルビを芸術的過ぎる、ライトを古いとし、ミースに決定したようである。慧眼と云うか、センスのある娘である。なお、古いとされたライトは、1959年竣工されたグッゲンハイム美術館で再評価を受ける。
万博とバルセロナチェア(1929年)
ミースの椅子と云えば、バルセロナチェアと云われるぐらい有名である。この椅子は、1929年、バルセロナ万博におけるドイツ館で、国王を迎える際に使用される椅子として作られた。ドイツ館の設計もミースであり、そのシンプルな形状と大胆な素材の使い方などに特徴がある。その後のファーンズワース邸やその他建築の原型がかい間見えるようである。特に、大理石の使い方が斬新であり美しい。
バルセロナ博/ドイツ館(バルセロナチェアがある)
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