パスワードは一万年愛す。タイムレスなスタイルは、過去も未来も時を超えてゆく!

■デザイン|リオ閉会式で行われた東京五輪のプレゼンが意外とよかった

この記事は約8分で読めます。

日本の良質なクリエイティブ性が活かされたか

 これまで2020東京五輪に絡んだ各種クリエイティブには、あまり感心しなかった。新国立競技場しかり、エンブレムもおなじく、東京都のボランティア・ユニフォームなんて見てる方が恥ずかしくなるレベルだった。

 あくまで個人的な見解ではあるが、おなじように感じた人は多いと思われる。そんな訳で、今回のセレモニーには何も期待はしていなかった。

 ところが、これが意外にもクリエイティブ性を十分に発揮した出来栄えだった。

 これまでいわば肩透かしを食わされてきたので、余計にそう感じたのかもしれない。意外というとセレモニーの制作に携わったクリエイターに失礼だが、事実だからしょーがない。とにかく、流石でしたということで許してください。

冒頭動画:東京五輪セレモニー映像
スマホでは、広告が表示されますが╳印をクリックすれば消えます。

これは1964年東京オリンピックへのオマージュか

img1471847533
映像の冒頭シーン
引用:http://i0.wp.com/kaigai-matome.net/wp-content/uploads/2016/08/img1471847533.jpeg

 この東京五輪のセレモニーは、たぶん電通あたりが制作したものだろう。クリエイティブ・スーパーバイザーに佐々木宏氏(電通のクリエイティブ会社シンガタ)が就いていることから、そのように想像する。

 佐々木氏は、ソフトバンクの広告を一手に仕切っているやり手である。そのクリエイティブ能力は高く評価されている。電通は、2020東京五輪に多方面で関わっているはずであるが、これまでクリエイティブであまり評価はされていない。(たぶん)したがって電通も仕切り直しが必要だったはずだ。

 当方などは、2020東京五輪はかなりダサいことになりそうだ、と思っていた。さすがに電通もこのままではやばいと思ったか、安定感のある佐々木氏をスーパーバイザーに据えてクリエイティブの向上を図ったのではないか。

東京五輪プレゼン ネットで好評「もう一つの理由」
 セレモニー全体のクリエイティブ・スーパーバイザーを務めたのは、日本の代表的クリエイティブ・ディレクターである佐々木宏さんと、歌手の椎名林檎さんだ。椎名さんは音楽監督も務めた。また、総合演出・演舞振付には「Perfume」「BABYMETAL」の振付でもおなじみのMIKIKOさんが、クリエイティブ・ディレクターにはテクノロジーとメディア表現の分野で活躍する菅野薫さんが名を連ねた。

<セレモニーのクリエイティブ・スタッフ>
佐々木宏…クリエイティブ・スーパーバイザー
椎名林檎…同上および音楽監督
MIKIKO…総合演出・振付
菅野薫…クリエイティブ・ディレクター
中田ヤスタカ…音楽
真鍋大度…テクノロジー・アート

 スーパーバイザーの佐々木氏が映像を、おなじく椎名氏がパフォーマンスを統括したのではないかと想像します。映像はなんとなく、佐々木氏が手がけたJR東海「そうだ京都、行こう」などに通じる雰囲気があり、パフォーマンスは、椎名氏のMVのスタイルに近いものがある、と感じました。

 映像とパフォーマンス、どちらも一部に違和感はあれど、全体を通して見れば秀逸な出来栄えだったのではないでしょうか。

 2020東京五輪のこれまでの経過を顧みると、てんでんばらばらのイメージしか浮かんできません。それは理念やコンセプトを具現化するにあたって、統合したディレクションが不在だったせいと思われます。

 たとえば、新国立では安藤忠雄氏が、エンブレムではデザイン界の重鎮が、東京都は関係なく勝手に進めた、という具合で統括するディレクターがいなかった。

 いや、JOCやJSCとか、東京五輪組織委員会の長が判断したというかもしれない。しかし、かれらはクリエイティブの専門家ではない。政治家や官僚にイメージのディレクションができる訳がないのは言うまでもありません。(かつてヒトラーはやりましたが)

 オリンピックぐらいでかいイベントとなれば、すべてのイメージを統括しコントロールするディレクターの存在なくしては、方向性を失うのは当然である。

 今回のセレモニーでは、ようやくその存在が見えてきたようだ。佐々木氏がこのままスーパーバイザーになるのかは不明だが、ひとつの方向性は示したと思われる。

 1964年の東京五輪では、亀倉雄策氏のデザインが作り上げたイメージが印象的である。当時は、亀倉氏が統括ディレクションという立場だったか不明であるが、長い時を経ても、そのイメージは強く残されているのは間違いない。

 セレモニーのなかで映像が披露されたが、そのなかで各種競技者がクローズアップされるシーンがある。そのシーンのスタイルは、まぎれもなく亀倉氏の1964年東京オリンピックで表現されたイメージを彷彿させていた。

 このセレモニーは、1964年の東京五輪と携わった人たち、それを支えた一般市民へのオマージュだったのではないか、と想像しました。これを観た多くの人たちには、はたしてどう映ったでしょうか。

 終戦から復興し、東京五輪を開催するまでになった1964年当時の日本の姿には、いまさらながらに感動するしかありません。現在の日本は低迷期にあるが、2020年に向かって新たな一歩を踏み出す意外に方法はないでしょう。

 1964年を顧みながら、2020年の新たな道を示す。それが現代に生きる日本人に課せられた使命である…というようなメッセージ性をセレモニーを観て想像しました。なお、あくまで個人的な見解ですので、確かなものではありません。

 ともかく、なかなか秀逸なセレモニーだったのは間違いありません。安倍総理がマリオとなって登場したシーンは、ご愛嬌でしたが。

 ところで、2020東京五輪の開会式の総合演出がだれになるか、まだ決まっていないそうです。秋元康氏などが巷では噂になっていますが、それはなんとか勘弁してほしいと強く思いますがいかに。

 AKB48やジャニーズ、そしてエグザイルなどが出演するのもいかがなもんか、と思うばかりです。今回のリオ閉会式での東京五輪のプレゼンが、なかなか秀逸だったので、2020年の開会式もおなじメンバーでいいような気がします。

追記:
 ちなみにセレモニーの制作費は、オリンピックとパラリンピック合わせて約12億円といわれています。

28C29IOC-NHK02
映像の陸上競技シーン
引用:http://2015ojisan.up.seesaa.net/image/28C29IOC-NHK02.jpg

018_02
東京大会第2号ポスター(1962)
D/亀倉雄策 フォトディレクター/村越襄 撮影/早崎治
引用:http://mag.sendenkaigi.com/brain/201311/tokyo-olympic2020/000662.php

若手論客、制服JKを性的アイコンだと発言し炎上!

 セレモニー映像の冒頭に登場する女子高生を見て、性的アイコンとしてアピールしていると考えた人がいた。当方はよく知らないが、その人は一部マスコミで仕事をしている若手論客であり、コラムニストらしい。

 女子高生(高校の体操選手)が登場するシーンはとても短い、10秒にも満たないと思われる。その一瞬だけを捉えて、性的アイコンだとする妄想力は「どんだけー!」とばかりに感心するしかない。(古い表現でした…)

 うがった見方をすれば、若手論客の女子高生への感心の高さが伺える。当方も妄想力では、まーまーある方だと自負しているが、あの映像から性的アイコンまで妄想することはなかった。当方の妄想力はまだ未熟ということかもしれない。

 この若手論客は、Twitterとブログに同じ趣旨で書いていたが、炎上してからブログの方は削除したようだ。

 セレモニー映像の冒頭に女子高生とは、若干違和感はあるが、それでも制作者が女子高生を取り上げたのはなんとなく理解できる。なぜなら、90年代以降の日本社会のなかで女子高生は、ある意味で突出した文化を形成してきたからだ。

 カワイイ文化の中心であり、それはいまではクールとされている。かつては、ルーズソックス、プリクラ、携帯、写メール、等々。そして現在では、LINE等のSNSも女子高生抜きには語れないだろう。

 女子高生がイノベーターとなって世に広めたモノやコトは数多いはずだ。

 制作者には、女子高生にいまさら感も強くあったと思うが、いまの日本を描くにはやはり除外できなかったのではないか、と想像しますがいかに。

 ちなみに、80年代は「女子大生」が同じポジションにいた。時は流れ、昨今では女子大生の存在はとても薄くなっている。それは当方の気のせいだろうか。

2020東京五輪に思うこと

 当サイトでは、これまで2020東京五輪に対して疑問を呈してきました。したがって、どちらかといえば「アンチ東京五輪」というスタンスにあります。それは、神宮外苑周縁の再開発などがちらつくからに他なりません。

 この際だから、一緒にやっちゃえとばかりに「みんなで渡ればこわくない」を地でゆく開発の様子が垣間見られるからです。不要な開発で迷惑をこうむるのは一般市民であるのは言うまでもありません。

 端的にいえば、「利権の温床となっているオリンピックなどいらない」と思っています。今回のセレモニーに関しては、東京五輪うんぬんを抜きにして、制作者たちのクリエイティブな姿勢に共感した次第です。

 けっして、手のひら返しをした訳ではありません。

 ちなみにリオ・オリンピックは、ほとんど観ていません。閉会式のセレモニーも実はネットで観ました。今回のオリンピックは、ブラジルの不安に関する話題性ばかりが高く、オリンピックはそうでもなかったように感じますがいかに。

 最近ではオリンピックを開催すると経済が後退していく、というジンクスがあるようです。ギリシャはいうに及ばず、その後の開催国もたしかに後退しています。そういえば、前回大会(ロンドン)を開催した英国は、EUを離脱しました。

 今回大会のブラジルは、すでに借金の山を積み重ねています。さて、次回大会を開催する東京の行く末はいかに!

TOKYOオリンピック物語 (小学館文庫)
TOKYOオリンピック物語 (小学館文庫)

コメント