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■デザイン|レトロ建築と近代建築 失われゆく歴史の生き証人としての建築群

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レトロ建築とはなにか

 最近、レトロ建築の意味をグーグル検索してみたが、それに該当するページが見つからなかった。その代りに近代建築に関するページが並んでいた。レトロ建築という呼称は一般化しているはずだが、違ったか。

 そこで仕方がないので、自分なりにレトロ建築の意味を整理してみた。ちなみに、建築史とは関係なく、一般に通用している概念を基準とした。

レトロ建築=近代建築ではない

 レトロ建築を端的にいえば、「歴史が感じられる古い建物」のことである。

 さらに付け加えれば、明治、大正、昭和期に建てられた西洋の建築様式に影響を受けた建物といえるだろう。例えば、東京駅がその代表である。

 それらの建築を日本では近代建築というようだ。しかし、西洋の建築史にある近代建築の概念とは、多少違っている。西洋の建築史では、近代建築とは産業革命以後の建築であり、それまでの歴史様式とは違ったものを指している。

 ところが、日本の明治期以降に建てられた近代建築は、西洋の歴史様式を模倣、あるいは引用している。東京駅や、その他のレトロ建築もおなじくである。

 西洋の歴史様式とは、ギリシャ、ローマ、ゴシック、バロックといった過去の様式のことだ。一方、近代建築では、コンクリと鉄とガラスという新しい素材を使い、そして機能性や合理性が重視された。

 どうやら、日本でいう近代建築と西洋のそれとでは意味が違うようだ。

日本では、近代建築=モダニズム建築ではない

 近代建築は、英語では「Modern Architecture」という。ところがある文献では、東京駅などは「Modern Architecture」ではないそうだ。西洋の近代建築の概念を、日本に置き換えると、それはモダニズム建築となるらしい。

 ちなみに、日本でいうモダニズム建築は、20世紀以後の建築を指している。

 要するに、若干建築史的にずれが生じているといえる。なぜそうなるかといえば、明治以降になって西洋化が始まったからに他ならない。

 西洋に追いつけとばかり、日本では外国から建築家を招き、日本人建築家の養成をはじめた。そのとき招聘された外国人建築家の多くが、西洋の歴史様式の伝統を受け継ぐ保守的な建築家だったそうだ。

 その影響下にあった明治期の日本人建築家は、こぞって西洋の歴史様式を取り入れた。ある意味では、むべなるかなであった。

 しかし、それでも日本人建築家は、たんなるモノマネではなく、独自の工夫もしていた。それは建築を見れば一目瞭然であるが、どこか西洋とは違った趣が漂っていた。それは、日本の風土に合わせた洋風建築といえた。

和の心と洋の合理性

 日本の西洋化を一言でいえば「和洋折衷」ということができる。和の心と、洋の合理性とをミックスさせた日本独自の考え方であった。

 それは建築のみならず、日本の社会で広く取り入れられた。例えば、和洋折衷結婚式、モボ・モガなどが社会の流行となり、和風スパゲッティ、肉じゃが、洋食、和風デザート、あんパン、シベリア (菓子)など食品や食事を変化させていた。

 他に、「和魂洋才」という似たような言葉もあった。それは、西洋の知識を取り入れても、日本の精神性を失わないという意味で使われていた。

 日本の近代建築には、和洋折衷様式を多く見ることができる。洋式建築に和風の屋根をかけた帝冠様式、大正時代に多く作られた建物の前面部分だけを洋風にした看板建築、他にも擬洋風建築、西洋館などがある。

 そこには、日本独自の西洋の取り入れ方を見ることができる。

レトロ建築の概念


千葉県木更津市に現存する看板建築 撮影:村田賢比古 クリックで拡大します。

 ようやくレトロ建築の概念および定義をしたいと思います。なお、あくまで個人的な見解であり、必ずしも正解とはいえません。ご了承ください。

 レトロ建築=「歴史が感じられる古い建物」。これは間違いなく、その通りであるが、どこまで古い建物を範疇とするかが問題である。

 そこで以下のように整理することで、レトロ建築を定義したい。

<レトロ建築=日本流の近代建築>
なお、あくまで日本でいう近代建築であり、西洋のそれとは同義ではない。
レトロ建築とは=明治期以降、昭和初期(戦前)までを基準に、それに加えて戦後の高度経済成長期(昭和30年代)までの建物群とする。

ー明治期ー
・西洋の歴史様式建築=西洋館
・和洋折衷建築=帝冠様式、擬洋風建築など
ー大正期ー
・看板建築、蔵造りの商店など
ー昭和期ー
・昭和モダン様式、アールデコ様式のビルや邸宅など

副次的に、江戸時代の町屋や農家の古民家も含むものとする。
ただし、江戸時代の家屋には「古民家」というジャンルがあるので、正確にはレトロ建築ではないと思われる。(たしかではないが)

レトロ建築・原宿駅解体のあと


引用:ウィキペディアより

原宿駅解体にみる、歴史への尊敬のなさ

 レトロ建築として名高い原宿駅が解体されるそうだ。原宿駅は1924年に建てられてから約100年、原宿のランドマークとなってきた。

 原宿は、80年代以後、若者たちの流行発信地として注目されて、その存在価値を高めてきた。東京在住者よりも、むしろ地方からの来訪者の方が多かったに違いない。原宿を訪れた人々は、駅舎を原宿の象徴と捉えていたはずだ。

 現在では、あまりに多くの乗降客がいることから、より現代的で合理的な駅舎にすることをJR東日本は決めたようだ。現代的で合理的とは、駅中にショッピングモールを併設して、テナント料を徴収することである。

 つまりJR東日本は、原宿駅の歴史を尊重するより、そこにいる乗客(顧客)をもっと収益につなげようという魂胆であるといえる。

 JR東日本が考える現代的な駅舎とはなんだろう、それは渋谷や恵比寿、品川や新宿のようなものではないか、と想像する。

 いずれも駅中にルミネやアトレがあり、買い物ができる。それを原宿でも踏襲するに違いない。なんとも代わり映えしない駅舎になりそうだ。

 ちなみに原宿駅は、東京の山手線で唯一無二の歴史を残す、時代の生き証人であった。

「原宿駅解体」が示す日本的観光政策の大問題
観光客が見たいのは最新鋭のビルじゃない
日本のランドマークとも言える、JR原宿駅もそのひとつだ。この木製の駅は、1924年に建てられて以来、約100年間持ちこたえ、今や東京でもっともヒップなエリアへと導く玄関口となっている。

これこそ、日本の素晴しい才能が、日本の過去と現在、そして未来をつないだ生きた証拠である。原宿駅は、歴史的、文化的、経済的に非常に大きな価値を持っている。原宿駅は、日本のいたるところで見られる古いものと新しいものの融合という、日本独特の文化の象徴なのである。

その原宿駅が、「もったいない」の象徴にもなろうとしている。日本人はまったく無関心だが、JR東日本がこの駅を建て替えることに決めたからだ。

分別がなく、聞く耳を持たず、不作法なJR東日本の重役たちは、現在の建物を退屈な「近代的」建物に変えようとしているのだ。究極の皮肉は、経団連の観光委員長が、JR東日本社長兼CEOの冨田哲郎氏であるということだ。事実上、冨田氏は東京の最高に価値あるもののひとつを破壊する責任を持っているのである。

 JR東日本が、その収益を最大化したいと考えるのは、間違いとは思わない。しかし、その一方で歴史を次代へ継承する役目もあるはずだ。

 そのひとつは、歴史を尊重し価値のある建物を後世に引き継ぐことである。なぜなら、JRの前身は旧国鉄であるからだ。国の資産を受け継いでいるからだ。

 日本企業の悪弊であるスクラップ&ビルドは、もう古い考えだ。時代は変わっている、いまはリノベーションとストックの時代だ。違うだろうか。価値あるものは、長く使うのが当たり前の時代になっている。

 それが、原宿駅のような歴史のある公共の建物であり、人々に愛され、かつ建築的にも価値があれば至極当然であろう。

 JR東日本は、解体の考えを変えるつもりはないようだ。実に残念である。


新・原宿駅のイメージ
引用:https://www.huffingtonpost.jp/2016/06/08/renovation-for-olympic_n_10364434.html

廃工場が生まれ変わったリノベーション事例

「ROUTE89 BLDG.」

 東京には、リノベーションで生まれ変わった多くの商業施設がある。東京・上野にも廃工場をリノベーションして生まれ変わった場所があるそうだ。

 再生させたのは、新進気鋭の工務店「ゆくい堂」という会社である。

 ここに紹介する物件は、ものの見方や考え方次第で、建物は再生するし、またその可能性も秘めている、それを証明する見本のような事例である。

ROUTE89 BLDG.

出典: route-books.com
引用:http://www.yukuido.com/hacopro/route89-bldg

fukadaso

 こちらも「ゆくい堂」によるリノベーション物件です。

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