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■アート|ニューペインティング 80年代のアート・シーン

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80年代、アートはエモーショナルに

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 ニューペインティング(別称トランス・アヴァンギャルド)は、1980年代(70年代後半に現れる)に、大きく花開いたアート・ムーブメントだった。それはアメリカ、ドイツ、イタリア、日本などで同時多発的に発生した。

 その背景には、70年代ではコンセプチュアルアート(概念芸術)が中心となり、その結果として絵を描く行為が放棄されていた反動があった。

 また画廊などアートを供給する側でも、コンセプチュアルアートの売り難さに不満があったといわれる。いわば、アートシーンの需要を喚起する新しい傾向の作品(供給側の商品)が待ち望まれていた。

 ニューペインティングは、「新・表現主義」ともいわれ、20世紀初頭の「表現主義」や50年代の「抽象表現主義」などのように描くことが復活したアートだった。そこには、忘れられていたエモーショナル(情動)な表現が蘇っていた。

20世紀初頭の表現主義とは
 様々な芸術分野(絵画、文学、映像、建築など)において、一般に、感情を作品中に反映させて表現する傾向のことを指す。

抽象表現主義とは
 1940年代後半のアメリカ合衆国で起こり、世界的に注目された美術の動向である。端的にいえば、かつての表現主義を抽象化したものである。

80年代、突如現れたエモーショナルなアート

80年代のアートといえば、ニューペインティングである

 これは、ほぼ間違いないはずである。それは、突如現れたように思われるが、それなりの背景があったようである。

 70年代は、コンセプチュアルアートに代表される生真面目で学究的な現代美術が主流であった。それらのアートのもつ辛気臭さに、一部のアーティストや画廊などは、もう嫌気が指して食傷気味となっていたらしい。

 ある意味では、人間らしさを否定し、言葉を変えれば感情を押し殺したような表現の数々に、もういい加減うんざりしていた。

 コンセプチュアルアートでは、地面にくっついて移動できないもの、どこかで拾ってきたゴミのようなもの、数枚の写真になったパフォーマンス、走り書きされたメッセージなどが作品となっていた。

 画商たちが、それらの作品を売ることに苦慮したのは言うまでもなかった。コンセプチュアルアートの表現方法は、アートの世界に大きな革新と意義をもたらしたが、現代美術は新時代に向けて新しい潮流を用意していた。

 70年代後半から一部のアーティストは、コンセプチュアルアートの作家たちが、捨て去ったはずの情動的な表現様式を、これでもかと鬱憤を晴らすかのごとくキャンバスなどに描き殴るようなことをはじめていた。

 そして、80年代となり機は熟し、ニューペインティングは、あっという間にアートシーンを活性化するスターの座を獲得した。

 アメリカで華々しく登場したニューペインティングの作家には、「ジュリアン・シュナーベル」「デビッド・サーレ」「ジャン・ミッシエル・バスキア」「キース・ヘリング」などが、一躍有名となり大きく注目された。

 また、ヨーロッパでもおなじ動きが見られた。イタリアでは「クレメンテ」「キア」など。ドイツでは「キーファー」「サロメ」などが登場している。

 そのムーブメントは世界中で起こっていた。もちろん、日本でもその動きはあった。大竹伸朗、日比野克彦、タナカノリユキなどが登場している。

 一方、グラフィックの世界でも「ヘタウマ」という傾向が注目された。まさに、エモーショナルなアートが花開いたのが、80年代のアートシーンであった。

関連記事:アートなう(4)新表現主義・ニューペインティング

ニューペインティングの作家たち

ジュリアン・シュナーベル

 シュナーベルは、まさにニューペインティングを代表する画家である。彼は、巨大なキャンバスに割れた皿の破片をくっ付けた作品で有名となった。

 作品の巨大さも然ることながら、その表現方法が斬新であった。彼は、有名になる前はカフェでウエイターをしていたそうだ。その当時は、カフェで皿を運んでいたのでいつも身近な存在だったはずだ。

 そのカフェでは、後にニューペインティングのミューズとなった画廊の女主人メアリー・ブーンと出会っている、と何かで読んだ記憶があるが確かではない。

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いまでは貫禄十分過ぎる、ジュリアン・シュナーベル

デビッド・サーレ

 サーレは、やや控えめながら、知性が感じられる表現が特徴である。情動感はやや抑えめながら、構成された画面からはどこか懐かしい匂いがしてくるのである。

 いつか、どこかで出会ったかのようなデジャブ感に満ちた表現手法である。横尾忠則さんが、どこか似たような表現をしていたと思うが、違うか。

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ジャン・ミッシェル・バスキア

 ニューペインティングのアイコンは、実はバスキアであろう。バスキアは、原始美術を思わせるような表現が特徴である。一見すると子供が描いた絵のようであるが、実はテクニックを有していたようである。

 抽象表現主義のタッチなどを巧みに取り入れると同時に、20世紀初頭の表現主義の耽美的な雰囲気も漂わせていた。(批判的メッセージも含む)

 しかし、彼がアイコンとなったのは、作品も然ることながら彼自身のキャラクターのせいではないか。マドンナやウォーホルと交友があった。27歳で早逝したバスキアは、いまや伝説的な存在となった。死去後、その作品は高値で取引された。

 ちなみに、かれはその作風とは違いとても紳士だった、と来日時にクラブ・ピテカンで出会った桑原茂一氏は語っている。

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キース・ヘリング

 落書きアートをファインアートの世界に持ち込んだのが、キース・ヘリングであった。彼は、この功績によって後世までその名を残すに違いない。キースは日本に滞在し作品を制作したりしている。

 80年代のいつ頃か思い出せないが、青山キラー通りにあるギャラリーワタリの向かいにあった、小さなビルのなかで制作している姿を見たことがある。

 その小さなビルの外壁も彼がペイントしたものであった。彼は、見た目は田舎の人の良い若い人という感じだった。やさしそうな風貌をしていて、我の強いアメリカ人のなかでは異端なのではないか、と感じた次第である。

 のちにエイズで死去している。かれはバスキアが世に出るのを後押ししていた。かれの功績は、グラフィティアート出身の作家が世に出るきっかけを創出した。その流れは、現在注目されるKAUZ(カウズ)などに継承されている。

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地下鉄?で落書きするキース・ヘリング

Keith Haring: 1958-1990: a Life for Art (Taschen 25th Anniversary Special Edition)

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