前衛を超えて、それはやってきた!
情動表現を復活させたニューペインティング
「ニューペインティング」は、70年代の後半に登場し、80年代に瞬く間にアートシーンを席巻したアートの表現様式であった。他の名称としては、「新表現主義」、「トランスアバンギャルド」などがある。ここでは、美術史より一般の認識としてニューペインティングとして総称していくことにする。
いずれの名称も、それまで(70年代)のアートシーンで隆盛を誇ったコンセプチュアルやミニマルなどの知性の美術に対抗した意味合いを含んだものと思われる。ここでいう「知性(反情動)」とは、感情を排すると同義語である。
かつての「表現主義」といえば、1910年代?に登場し当時の風潮をあからさまに批判した表現が特徴であった。ゲオルゲ・グロッスなどが有名である。政治、風俗などを題材に暗喩が盛り込まれて、かなり過激な表現様式であった。そのせいで、やがて台頭したナチスによって弾圧された。
ニューペインティングが新表現主義といわれるには、かつての「表現主義」、そして「抽象表現主義」という二つの意味合いが含まれている。そして、もうひとつのトランスアバンギャルドであるが、これは、「前衛を越えて、または変えて」という意味と思われる。何を越えてかといえば、それは知性であったに違いない。なお、あくまで個人的な見解である。
<表現主義とは>
様々な芸術分野(絵画、文学、映像、建築など)において、感情を作品中に反映させて表現する傾向のことを指す。それは、情動的表現ともいえる。
<トランス(trans)とは>
「反対側」「越えて」「変えて」を意味する。
何故ならば、知性こそが前衛の要であったからだ。デュシャン以後の前衛美術は、情動感というものを放棄した。ダダにはじまり、ポップアートやコンセプチュアル、そしてミニマルとそれは続いた。しかし、やがて美術を見る側に違和感が漂う様になっていた。それは何を表現したのか、まるで分からんということだった。
そして、現代美術というものが、理屈ばかりで面白く無いという具合になった。
ほとんどの人々が、知性の美術に飽きていた。そんな頃合いを待ってましたとばかりに登場したのが、「ニューペインティング」という描く行為を前面に打ち出した様式であった。けっして、新しくは無いが、それまでの様式(ミニマルなど)と比べると新規という感じがした訳である。たぶん。
したがって、ニューペインティングは、現代美術の文脈の中で必然的に登場した様式だったといえる。そして、知性(感情を描かない)と情動(感情を描く)の狭間で、いまも現代美術は揺れ動いているように感じるが、いかに。
繰り返しますが、ニューペインティングが越えるべき対象とした「知性(反情動)」は、コンセプチュアルおよびミニマルアートを指しています。
ニューペインティングの代表的な作家たち
当該サイトでは、以前にもニューペインティングを取り上げています。したがって、一部重なる部分があることをご了承ください。
■ジュリアン・シュナーベル(1951年10月26日〜)
ニューペインテイングの旗手といっても過言ではないアーティスト、それがシュナーベルである。かれは、いまでは画家のみならず、映画監督としてもその力量を認められている。なかでも、ジャン=ミッシェル・バスキアの自伝的映画は有名である。興味のある方はぜひご覧になって下さい。
シュナーベルは、概念芸術全盛の時代にあった70年代後半、突如として情動感をさらけ出すような表現様式で一躍注目を集めた。その作品は、何を描いたのか一見すると分からなかった。大画面のなかには、絵具と一緒に割れた皿が埋め込まれていた。離れてそれを見るとポロックのアクションペインティングのようにも見えた。
しかし、近づくと割れた皿が存在感を示す様に凹凸が激しく、特異な表現である事を表していた。シューナベルは、この割れた皿に代表される様に画面に絵具以外のものを取り込む表現を特徴とした。それは、けっして新しい表現ではなかったが、ニューペインティングの旗手として、他に先駆けて認められたのであった。
その後は、新表現主義のリーダー的存在として価値を高めていった。現在でも、その作品は高い価格で取引されている。しかし、一方では商業的(作品を売り込むのがうまい)という批判もあるとか。実際はどうだか、それは知る由もないが。
盟友ともいえるバスキアは、その繊細さ故に自ら墓穴を掘った人生であった。それと比べるとシュナーベルには、ちょっとやそっとでは動じない逞しさが目立つ。この先、どっちが美術史に名を残すか分からないが、現世においてはシュナーベルにどうやら軍配があるのは間違いない。
■ジャン=ミッシェル・バスキア(1960年12月22日 〜1988年8月12日)
シュナーベルが旗手なら、バスキアはニューペインティングのアイコンである。27歳という若さで夭折したこともあり、その存在がなお輝いたのは先人の例とおなじくである。バスキアの作品価値は、いまではシュナーベルより高いかもしれない。なにしろ、新しい作品がないし、数も限られているからだ。
バスキアは、ストリートグラフィティからスタートし、それが徐々に認められるようになった。そして、キース・ヘリングやバーバラ・クルーガーなどのサポートを得て個展を開いている。しかし、大きな成功には繋がらず、あるときアンディ・ウォーホルと出会い、それをきっかけにして道が開けたようだ。
バスキアの作品の特徴は、原始美術を思わせるキャラクター性と抽象表現様式の描き方が融合したものであった。まるで子供の落書きのような線画の背景には、計算されたかのような抽象表現が施されていた。
ある時期のバスキアは、かれの才能に感じ入ったギャラリーオーナーの元で、ギャラリーの地下をアトリエにして作品を作っている。この頃の様子はたしかブルータスなどでも紹介されていたはずだ。作品を背景に、なんだか眠たそうな顔をしたバスキアが写されていた。たぶん、クスリかなんかやってたのかもしれない。
バスキアは精神的に不安定だったようであり、最初のギャラリーとは仲違いかなんかして決別したようだ。その後は、だんだんと評価が下降していく。そして、満を持して新作を発表するも、あまり評価されずに自暴自棄となったようだ。
ちなみにロサンゼルスの個展では、作品が売れたとか。しかし、かれはニューヨークにこだわったようだ。いかんせん、現代美術はニューヨークが殿堂である。
この当時、バスキア作品を集めていたコレクターが、ある美術館に作品を寄贈しようとしたが、美術館に断られたそうである。それぐらい評価が下がっていたようだ。しかし、それからほどなくしてバスキアの評価がぐんと上がったのは言うまでもない。(バスキアのドキュメンタリーDVDより)
そして、それから間もなくしてクスリの大量摂取で亡くなってしまった。まだ27歳だった。それは、あまりにも早過ぎるものであった。かれの死後、ニューペインティングのブームも峠を越えて、徐々にフェードアウトしていった。
冒頭作品:ジャン=ミッシェル・バスキア
■アンゼルム・キーファー(1945年3月8日〜)
キーファーの作品は、どこかボイスと漂う雰囲気が似ていると思っていた。最近になって、キーファーはボイスに師事していたことが分かった。なるほど納得であった。その作品から漂うただならぬ雰囲気は、ボイスゆずりという訳か。
キーファーの作品の特徴は、なんともいえない暗澹とした気持ちになるぐらい暗い。なにしろ、素材も鉛とか使ってるし、とても重々しい表現である。
しかも、題材の多くがドイツの歴史がテーマになっている。当然の様にナチスとかもそこにある。したがって、その意味合いも意味深になってくるのもやむを得ない。しかし、そこがキーファーならではの表現の要となっていて、他の追随を許さないところでもある。とにかく、その作品の迫力は圧倒的である。
ある意味では、新表現主義という名称にもっとも近い作家かもしれない。かつての表現主義の暗喩を継承していると言ってもいいかも。違うか。
ぜひ現物を生で見る事をおすすめします。日本では、原美術館、東京都現代美術館などが所蔵しているようです。
その他の作家たち
■デビッド・サーレ
■ゲオルグ・バゼリッツ
■フランチェスコ・クレメンテ
■A・R・ペンク
他にも多くいますが、省略させて頂きます。なお、日本にもニューペインターがいました。大竹伸朗、日比野克彦などがそうではないかと思います。たぶん。
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