デュシャンは語る/マルセル・デュシャン (著)
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それは、泉にはじまった。なんだこれは?
さて、現代美術は皆さんお好きでしょうか。特に興味はない。ま、そうでしょう。美術系の学生さんや、関連する仕事をしている人たち以外は、あまり関心のない領域ではないかと思うのである。それで、特に生活に支障を来す訳でもないのである。現代美術に関する反応は、大きく分けて二つあると思う。
ひとつは、なんだ、これは!、こんなもの訳が分からん。という意見である。そして、もうひとつは、な、なんだこれは!、訳が分からんが面白いぞ!。という意見である。ともに訳が分からんでは共通するが、一方が拒否的態度が顕著であるのに対し、かたや、興味津々という違いがある。だから、どうしたと云われると困るが…。
で、現代美術であるが、何を以てそのように云うのか、何故、現代と云わなくてはいけないか?を探ってみたいと思うのである。いざ、美術界の闇のなかへ。
産業革命に遅れる事100年、美術界に革命が起きる
19世紀後半に印象派という様式が登場するまで、欧州の美術界では写実描写というものが主流であった。いや、それ以外はないといった方が正確か。19世紀当時は、すでに産業革命の真っ最中であった。そのような時期でもまだ、美術界では歴史的または宗教的題材を基に、それを情緒的に表現していたのである。
それらは、古典派、そしてロマン派と云われていた。これらの流派は、現在では保守的と映るが、当時の状況を考えれば当然であったと思われる。なにしろ、それが当たり前の世界であるから。そして、これらの世界観を覆す出来事が起きる。
それは、写真の発明である。写真の発明が世間的に認知されたのは、1837年だそうである。これによって、絵画というものが、写実である必要性が失われた。と云っても過言ではない。さらに、貴族階級に変わる、新しいパトロンの登場である。産業革命に伴って現れた事業家たちである。
かれらは貴族以上の富を蓄えて、次にはステータスを求めた。これらの出来事によって、新しい美術の幕開けの準備は整った。そして、登場したのが、印象派であった。
かれら印象派は、どこが古典派やロマン派と違うのか。当然、観た目が違うのであるが、それ以上に対象に対する態度が違った。印象派の画家たちは、対象をありのまま捉えようと試みたのである。もちろん、写真のようにではない。画家個人の心情に映る、現在の姿を捉えようとしたのである。
この、現在を捉えようとする画家の態度こそ、現代美術の幕開けであった。しかし、2013年の現在でも通じる、現代美術の概念の登場には、いましばらく時を必要としたのである。
デュシャン 泉 1917年 現代美術界に燦然と輝く便器!
マルセル・デュシャンは、まやかしか
1917年、ニューヨーク・アンデパンダン展に、「泉」と題された便器にサインを入れたものが出品された。この作品は、マルセル・デュシャンが変名を使い出品したものであった。この既成の便器にサインを入れた作品は、物議をかもした。そして作品は、結局展示されることはなかったのである。
しかし、このことが却ってこの作品を際立たせる結果となった。デュシャンは、はじめからこの作品が拒否されることを想定し、その後の活動を視野に入れていたようだ。
この騒動の後、新聞に抗議の論文を発表している。さらに、自身が編集を行っていた雑誌に作品の写真とともに次のような声明を出した。「マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ」
この概念こそ、現在に通じる現代美術の基本となる考えを端的に表している。
これまでの芸術とは、描く、造るという行為と密接に結びついていた。また、それらの行為なくては芸術とはなり得なかった。しかし、デュシャンは、描きもせず、造りもせず、あるものを選択し新しい主題を与える行為そのものが芸術である。という概念をもたらしたのである。これは、画期的であった。
それを示す証拠に、デュシャンの前後に現れた、シュールリアリズムやキュビスム、未来派等々の美術運動は、現在ではむしろ懐かしく古典に近い印象である。しかし、デュシャンの提示した概念は、時を超えて今でも燦然と輝いているのである。
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