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■アート|村上隆の軌跡

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「たんたん坊」2001年

村上隆氏は、アート実業家である!

芸術と経済的価値
世界で芸術的価値のみならず、その経済的価値も含めて認められている日本人アーティストは、数少ないと思うのである。しかも、現役で。その数少ないアーティストのトップをブッチギリで走っているのが、村上隆である。

これに、異論のある人は、そういないはずである。

なにしろ、その経済的価値、すなわちいくらで取引されているか、これが日本人アーティストのなかで飛び抜けているのである。

2008年、サザビーズのオークションで村上の「ロンサム・カウボーイ」という作品が約16億円で落札された。現在、これ以上の評価をされている日本人アーテイストはいないだろう。

村上隆ヒストリー

村上隆(以下、村上)は、1962年に生まれている。なんと、屋敷豪太とおなじではないか。またNOKKOともひとつ違いである。ま、それはともかく、村上は、芸大時代は日本画を専攻していたようである。

現代美術のトップを走る現在からすると意外であるが、どうやら現代美術に目覚めたのは遅かったようである。

25歳のとき、当時注目されていた芸術家、大竹伸朗の展覧会を観て既成概念の枠から抜け出ることが必要であると触発されたようである。

この展覧会は、佐賀町エキジビットスペースという旧・食料取引所?を改築した建物で行われた。なかなか趣のある建物であったと記憶している。

26歳のとき、ニューヨークへアンゼルム・キーファーの展覧会を観に行っている。このとき、ジェフ・クーンズの展覧会を遠くから覗き、品の悪い造形物だと思ったそうである。しかし、後に当時は現代美術のルールを分かってなかったと反省している。

27歳のとき、なんと芝浦ゴールドのエントランスワークの助手を努めている。

28歳のとき、作品を持って画廊に売り込みに回るが、歯牙にもかけてもらえなかった。

29歳のとき。「ポリリズム」という合成樹脂の固まりに田宮模型の兵隊をくっ付けた作品を発表する。これは、初期の成功作品として現在でも語られることになる。

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31歳のとき、芸大初の日本画博士号を取得。「ロマンスの夕べ」展において自身初のアイコンとなる「DOB君」を発表する。しかし、周囲は冷ややかであったそうだ。

32歳のとき、奨学制度でニューヨークへ。この当時、いかに自分が井の中の蛙であったか、思い知ったようだ。

33歳のとき、ニューヨーク滞在。阪神淡路大震災、オウム事件が起きる。「ヒロポンちゃん」というアイコンの立体化を進める。帰国後、埼玉県朝霞市にスタジオを設立する。

34歳のとき、ヒロポンファクトリーを設立。自身のみならず、若手アーティストのマネジメントも行う。

35歳のとき、製作難航していたヒロポンちゃんの変わりに、別の立体作品を発表するも大した評価もされなかった。

36歳のとき、NYフィチャーインクの個展において、「ヒロポンちゃん」の立体作品が好評を得て売れる。初めて作品の値段が、100万円を超えた。

38歳のとき、「スーパーフラット」展を企画・キュレーションする。日本文化における平面性の特徴を捉えたその概念は注目を浴びた。以降、この概念をさらに進展させていく。

39歳のとき、ロスの現代美術館で行われた「スーパーフラット」展が好評を博す。スーパーフラットの概念が世界に認められる。

40歳のとき、アートのコンペティション「GEISAI」を主催する。「ヒロポンちゃん」のフィギュアがクリスティーズのオークションで約5,000万円で落札された。


「ロンサムカウボーイ」と「DOB君」

41歳のとき、ヴィトンとコラボしたバッグが発売される。六本木ヒルズのオープニングを飾るキャクターをデザインする。ロックフェラーセンター・ビルの玄関口にオブジェを設置する。

サザビーズで日本人作家の作品として過去最高額で落札される。

44歳のとき、「リトルボーイ」展が、国際美術批評家連盟米国支部の優秀賞を受賞。

サザビーズで作品が、1億4,400万円で落札される。「芸術起業論」を出版する。

45歳のとき、ロスアンジェルス現代美術館で「MURAKAMI」展を開催。同展は以降、ブルックリン、フランクフルト、ビルバオ等を巡回する。

46歳のとき、サザビーズで「マイ・ロンサム・カウボーイ」が約16億円で落札される。

元麻布に「カイカイキキ・ギャラリー」をオープン。タイム誌の「世界で影響力がある100人」に京大の中山教授とともに選ばれる。

48歳のとき、パリのヴェルサイユ宮殿を会場とした個展を開催する。これにより、村上のブランド力はさらに飛躍した。

49歳のとき、東日本大震災チャリティー・オークションを開催。約7億円を売り上げる。

50歳のとき、カタールのドーハにおいて「MURAKAMI-EGO」展を開催する。これは、同国の王女が村上ファンであることから実現した。そして、現在に至る。

日本人アーティストがここまで評価されたのは、イサム・ノグチ以来ではないか。しかも村上は、すでにノグチをも超えたかも知れない。今後も、益々活躍を期待したいアーティストである。


ヴェルサイユ宮殿に設置されたオブジェ

参考文献:芸術新潮 2012.5 村上隆特集

芸術新潮 2012年 05月号

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