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■デザイン|デザインの見方(5)ロシア・アバンギャルド

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エル・リシツキー

現代デザインの原点はここにあった

ロシア・アバンギャルドのデザイン革命

1917年、ロシアではロマノフ王朝を崩壊させる革命が起きた。その革命に深く関わる形で突如現れたのが、現在では「ロシア・アバンギャルド」といわれる革新的な芸術的諸活動(美術、文学、演劇など)であった。

とくにデザイン表現の特徴を端的にいえば、それは「言語の視覚化」にあった。この言語の視覚化という概念は、現在ではコンピューターなどのアイコン、その他に活用されている。その概念は、実に100年ほど前に発明されていた。

ロシア・アバンギャルドの芸術は、革命期に相応しい新しい概念を有していた。しかし、後にそれが災いをもたらした。革命が成就し一段落した後は、スターリンによって弾圧されたのであった。独裁者スターリンからすれば、その自由で革新的な考えが、自らの体制(全体主義)を揺るがす危惧を感じていたと思われる。

そして、その結果多くのアーティスト、デザイナー、作家などは、転向または国を脱出し、なかには自殺したものもいた。その後は、その驚異的であった芸術活動の全体像は闇のなかに仕舞われてしまった。ちなみ、現在でも謎に包まれた部分が多いと言われている。なぜなら、弾圧時に多くの資料が失われたからだった。

ロシア・アバンギャルドの歴史的な経緯は別の機会にするとして、ここではその革新的なデザイン表現の概念と、その様式美の一端を紹介したいと思います。

現代デザインのはじまり

現代デザインの発祥はどこにあるか。いろいろ説はあると思うが、あえていえばロシア・アバンギャルドであり、そしてエル・リシツキーが有力ではないかと思われる。

エル・リシツキー(1890−1941)は、その功績により現在では偉大なデザイナーとして認められている。しかし、そこまでの道のりは遠かったと言わざるを得ない。なぜなら旧ソビエト政府によってロシア・アバンギャルドは隠蔽されてきたからである。


リシツキー マヤコフスキー詩集「声のために」1923

リシツキーはマヤコフスキー詩集「声のために」のデザインで、革新的な試みをしている。そのデザインの発想は、その後の現代デザインに大きな影響を与えたと言っても過言ではない。ある意味では、現代デザインの始祖と言ってもいいかもしれない。

この詩集は、集団で朗読することを目的とした前衛詩集であった。そこには、革命期ならではの反権力の思想が隠されていた。それは、これまで権力を象徴していた言語を視覚化し、誰にでも直感的に把握できることを目指していた。何故なら、読み書きの能力は権力の所有物であったからであった。

そして出来上がったデザインは、見事なまでに文字を記号化し視覚言語というものを創りだした。その発想の大胆さはいまでも燦然と輝いている。

そのデザインの革新性を以下の様に整理いたします。

<文字の視覚言語> 右ページを参照
詩集「声のためには」は、当時の一般大衆に向けた芸術的な実験作であった。当時は、一般大衆の識字率は低く、文字は権力(王朝)のものであった。そこで文字のあり方に意義を訴えることが目的とされた。そこから発想されたのが、文字の視覚化であった。

<アイコンメニュー> 右ページを参照
いまから100年ほど前に、現在のコンピューターで使用されるアイコンを彷彿させる検索システムが発想されていた。それが本書にあるページの隅にある記号を配したインデックスである。イメージで目的の詩を検索するという画期的な方法であった。繰り返すが、これは20世紀初頭に発想されていた。

<片持梁レイアウト> 左ページを参照
当時の最新建築に現れていた抽象構成的な要素、いわゆる装飾を配した線と面だけで構成された空間構成を見る事ができる。近代モダン建築の代表的な特徴である片持梁の構造を表現したようなレイアウトである。

<均衡の美学> 左ページを参照
モンドリアンのいう「異質ながら等価な対立の均衡」さながら、緊張感を漂わせた均衡が空間に表現されている。まさに、現代デザインのレイアウトの原風景である。

ちなみに、モンドリアンのいうところの「異質ながら等価な対立の均衡」をもっともよく表したものが以下の作品である。


モンドリアン 赤・青・黄のコンポジション 1930

参考文献:「デザインの読み方」西岡文彦著より


リシツキー プロパガンダ・ポスター「赤いくさびで白を叩きのめせ」


リシツキー プロウンの部屋 1923年

リシツキーは、建築の概念を絵画で表現した「プロウン」という絵画シリーズを制作している。上の作品は、それを立体的に構成したものであり、現代のインスタレーションの先駆けともいえる。

それは、「空間のなかでは見る角度によって形態は異なる」という体験を認識してもらう試みだった。当時としては、実に革新性のあるものだったといえる。

ロシア・アバンギャルドは、いわば頂点を極めたのか。それともまだ途中だったのか。それは弾圧によって終了したので何とも言えないが、同時期に進んでいた美術様式にその一部は引き継がれたと思われる。それは、アールデコ、バウハウス、デ・スティルなどの活動である。

そして、ある意味では記号化や抽象化はさらに進展し、美の様式を体系化するところまでいった。それは、美の工業化と言っても過言ではなかった。

デ・スティルの指導者ドゥースプルフは、「芸術という言葉は、もはや何も意味しない。創造的な法則と確固たる原理に従った、環境の構成こそ求められるべきものである。新しい造形的統一を可能にする体系化こそが必要なのだ」と言っていた。(デザインの読み方より)

このようにロシア・アバンギャルドと同時期の美術様式は、美の体系化=規格化に向かった。これは言わずとも知れた工業デザインのはじまりでもあった。


リシツキー 空間デザイン 1928年
1928年にケルンで開催された「プレッサ(国際報道展)」のソヴィエト・パビリオンのデザイン


ロトチェンコ 展覧会ポスター(日本開催時のもの)


タトリン 第3インターナショナル記念塔

<ロシア・アバンギャルドの主な美術・デザインの作家たち>
ワシリー・カンディンスキー(後にバウハウスへ)
エル・リシツキー
リュボーフィ・ポポーワ
アレクサンドル・ロトチェンコ
パーヴェル・フィローノフ
カジミール・マレーヴィチ その他

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