2020東京五輪は、ここでも闇を深くする
2016年6月にJR東日本は、原宿駅の改築を発表した。これは当然のように2020東京五輪に合わせたものである。この際だから、五輪を口実にやれるものはやってしまおう、という意識が垣間みられる。
一応、JR東日本は現駅舎の保存に含みを持たせている。しかし、一部では現駅舎の解体はすでに決まっている、とまことしやかに囁かれてもいる。
現原宿駅は、歴史的建築の価値も然ることながら、原宿のアイコン、またはランドマークでもあり、いわば原宿文化の象徴でもあった。その象徴を原宿の地から無くすことに、JR東日本や周辺関係者はなんの痛みも感じないらしい。
壊してしまえば、そこにあった文化も歴史も一緒に失われてしまうだろう。壊すことは実にたやすいことだ。一方、創りあげることは比較しがたいほどに難しい。
それを承知の上なのか知る由もないが、新しい駅舎はルミネとか、アトレのような駅ビルになるようだ。それは新しいだけで、特に個性のない均質的な駅ビルである。
それで本当にいいのか、「原宿、東京、日本よ」と思わずにはいられない!
美しい日本はどこにいったか
たしか安倍首相は、かつて「美しい日本」を標榜していたはずだ。
しかし、「美しい日本」とはなんぞや、と思わずにはいられない。昨今の日本を、そして首都東京を取り巻く事象の数々は、とても美しいとは言えないことだらけだ。どこもかしこも、五輪を理由にしてスクラップ&ビルドに勤しんでいる。
それがレガシー(遺産)とやらを方便にして堂々と行なわれている。本当に未来に残すに価する遺産となればいいが、現在のところはなはだ怪しい雲行きでしかない。築地市場の移転も、五輪を理由に急がれているが、肝心の移転先の豊洲市場の出来が悪すぎて移転が延期となってしまった。
豊洲は5千億以上もかけたにも関わらず、この体たらくである。その他のレガシーとやらも推して知るべしであるのは、言うまでもない。
国立競技場は、すでに壊されてしまった。新しい国立競技場は、すったもんだの末に建築計画はできあがったが、またも建築費が倍になる可能性が示唆されている。いったい、何をやっているのか不思議を通り越して唖然とするしかない。
そんなこんなの五輪騒動に乗っかる形で、いわば「みんなで渡ればこわくない」とばかりに、こんどは原宿駅もそのお仲間に入ってきた。
原宿駅建て替えへ 東京五輪までに 現駅舎の保存は未定
JR東日本は8日、山手線の原宿駅(東京都渋谷区)を、東京五輪のある2020年までに建て替えると発表した。近くに五輪会場の国立代々木競技場があり、混雑が見込まれるためだという。JR東によると、現駅舎は1924(大正13)年に建てられた。洋風の木造2階建てで、都内の木造駅舎としては最古とみられる。
原宿駅のスクラップ&ビルドで誰が得をするか、それは言うまでもなくJR東日本であるに違いない。JR東日本は顧客のためと言うかもしれないが、収益性を考えれば効率的に集客できる複合的な商業駅ビルにした方が理に適っている。
ルミネかアトレか知らないが、新駅舎は他にもありそうな趣の建物となるようだ。それが流行りのスタイルかもしれないが、原宿でなくてもよさそうである。
ともかく、原宿駅は1924年に建てられて現在まで使われてきた。もうすぐ100年になろうとしている。いかに修繕しても老朽化は否めないと思われる。それでもなお、残す価値はあるに違いない。なぜなら、歴史の生き証人であり、同時に観光資産でもあるからだ。その解体が噂されるのは何故かと思わずにはいられない。
新原宿駅のデザインイメージ
引用:http://www.decn.co.jp/inc/uploads/201606090401001-1.jpg
原宿駅からほど近い場所に「国土計画」の本社があった。現在、その場所は「ヨドバシ」が保有しているそうだ。そのヨドバシは、そこに高層ビルを計画しているといわれている。しかし、いまのところ当局によって却下されているとか。
「ヨドバシ」でも「ドンキ」でもそうだが、その場所に似合う似合わないは関係なく、隙があればどこにでも出店しようとするのはいかがもんか、と思うばかりである。日本特有の集客して儲かりさえすれば、周辺環境を破壊してもかまわないという利益重視の鵺(化け物)がまかり通っている。
銀座に「ヨドバシ」と「ドンキ」と「アニメイト」が仲良く並んでいたらどうだろうか。銀座の価値も地に堕ちたな、と思うに違いない。
パリのシャンゼリゼにも「ドンキ」は出店できるだろうか。たぶん、パリはそれを許さないと思われるが、なぜなら歴史的見地と美的価値から判断して、その場所にそぐわないのは見るに明らかだからだ。
もしパリやニューヨークで日本とおなじことを強引に行えば、地元住民から猛反発を受けるに違いないだろう。歴史や美意識などを無視することは、文化先進国では受け入れられないと思われる。それは街を見てみれば一目瞭然である。
ところが日本では、口では「美しい日本」などと言っているが、実際の現場ではなり振り構わない開発が堂々と行なわれて止まない。歴史的建築なんて、開発の邪魔でしかない。それが政治家や官僚、そして企業の本音に違いない。
原宿駅舎の解体など、そのほんの一端でしかない。
歴史的建築を解体し、安っぽい合理性だけのコンクリ建築に変えていく現在の日本の行政や企業のやり方にはうんざりするしかない。そのあまりにも近視眼的で短期収益しか頭にない姿勢には、くすんだ未来しか見えてこない。
ほんのすこし、「場(そこには環境と歴史がある)を考える」という思考をするだけで何が必要で、何が不必要かが見えてくる気がするがいかに。
ヒトラーはパリを破壊しようとした
引用:http://travel.rakuten.co.jp/kaigai/special/transit/images/pickup1_top.jpg
パリは良識によって救われたか
第二次大戦の末期、フランスを占領していたドイツ軍は連合国軍に追い詰められて、パリから撤退する準備をしていた。そのとき、パリのドイツ軍司令官には密かにヒトラーから指令が届けられていた。
それは、悠久の時がながれるパリの街を、完全に破壊しろという命令だった。
ヒトラーは、パリの破壊をためらっていなかった。ただ単に、ドイツの破壊された都市と同じ目に合わせてやるという被害者意識だけであり、特別な戦略など何もなかったに等しかった。
しかし、ヒトラーのパリ破壊作戦は実行されなかった。ぎりぎりで当時のドイツ軍司令官が作戦を中止させたからである。
もし破壊作戦が実行されていたら、美しい曲線描くポンヌフの橋も、オペラ座も、ルーブル美術館も、その他多くのパリの歴史的建造物が、現在に残されていなかったかもしれない。
さらには、フランスとドイツの関係も悪化したものとなっていたと思われる。
悠久の都パリには、現在では現代建築も多くあるが、それは特定地域に建設されている。そして歴史的建築はいまだに多くが残されている。
日本はヒトラーの破壊計画を実行しているか
一方、日本では原宿の駅舎でさえ残される可能が低くなっている。それは、コストが優先されるからに他ならない。民間に任せれば、利に走るのはやむおえない、したがって行政である東京都も一部コストを負担するしかないだろう。
東京都が、利権政治家とその開発業者に莫大なお金を投じるのをやめれば、その費用を賄うのはたやすいと思われる。東京都には、将来的により実のあるお金の使い方をしてほしいと切に願うばかりです。
原宿駅舎を残すことは、原宿のアイデンティーを守ることと同義であり、大袈裟かもしれませんが、形が残ればそこには魂がきっと宿るはずです。
原宿の魂(ソウル)を継続することが、この街の繁栄の要であると思います。
ついでにいえば、原宿駅舎を無くした場合、原宿は渋谷の単なる地続きであるB街区でしかなくなる恐れがあります。なぜなら、原宿といえども「象徴」を無くした街となれば、その魅力の価値(強み)が失われるのは必然と思われるからです。
あくまで推測ですが「当たらずとも遠からず」、違うでしょうか…。
映画「パリよ、永遠に」2014年
パリがドイツ軍の破壊から免れた経緯を描いた映画「パリよ、永遠に」について以下に紹介いたします。
<あらすじ>
ナチス・ドイツ軍占領下のフランスを舞台に、パリ破壊を命じられたドイツ軍将校と、パリを愛するスウェーデン総領事が繰りひろげる攻防を描いた歴史ドラマ。実話に基づいたシリル・ゲリーによる戯曲を、「ブリキの太鼓」「シャトーブリアンからの手紙」の名匠フォルカー・シュレンドルフが映画化した。
1944年8月25日。パリ中心部に建つホテル「ル・ムーリス」で、コルティッツ将軍率いるナチス・ドイツ軍が、ヒトラーの命令を受けパリの歴史的建造物を爆破する作戦を立てていた。そこへ、パリで生まれ育ったスウェーデン総領事ノルドリンクが現われ、作戦を食い止めるべく説得を開始する。
しかしコルティッツ将軍は妻子を人質に取られており、作戦を実行せざるを得ない立場にあった。ノルドリンク総領事とコルティッツ将軍を演じるのは、舞台版からの主演コンビである「あるいは裏切りという名の犬」のアンドレ・デュソリエと、「戦火の馬」「真夜中のピアニスト」のニエル・アレストリュプ。
参考:映画.com
引用:http://eiga.com/movie/81274/
冒頭写真:原宿駅(ウィキペディアより)
引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/Harajuku_Station2.jpg/640px-Harajuku_Station2.jpg
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