■時代と流行|文化大革命 権力と欲望の歴史は変わらず

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中国4000年の歴史、体制は変われども欲望に変化なし

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造反有理の嵐が起こった!

1966年、中国において既存価値の変革を目指す運動、通称「文化大革命」が起こった。正式には、無産階級文化大革命というらしい。既存価値とは、いわば歴史を通して形成されてきたものである。文化大革命は、この歴史性を壊して新しい社会主義体制を創ることを目指した。

しかし、その実態は権力の奪還という欲望を達成するためであった。これは中国以外の国では史実として、いまでは常識となっている。しかし、文革当時では世界各国の一部知識層のあいだでは、これを支持する人達が多くいた。

かれらは文化的進歩人としてマスコミを通して文革を擁護し、それを見習う様に勧めた。それが、世界の行く末を示しているかの様にである。実態を捉える事無く、見せかけの改革運動を善としてそれを支援したのである。

とくに欧米の一部知識人のあいだでは、文革を主導した毛沢東を欲の無い人格者であり、真の革命家として誤解していた。有名な中国通のジャーナリストであったエドガー・スノーはその代表である。スノーが書いた中国関連本は多くの誤解を一般人に与えた。

それはさておき、文化大革命の発端は何であったか。これを明確にすることなく、いまの中国を理解することは難しいに違いない。そして、中国4000年の歴史が何ら変わる事無く続いていることも同じくである。

文化大革命の発端は、如何に

毛沢東を中国共産党の創立者として感じている人も多くいるに違いない。しかし、かれは共産党の創立者のひとりであって、そこから出世して主席にまで上り詰めたのであった。そこまで成り上がっただけでも凄いが、けっして毛沢東が作り上げたものではない。しかし、その権力構造は彼が作り上げたものであった。

20世紀には多くの独裁者が生まれたが、毛沢東のみならず、ヒトラー、スターリンも創立者ではなく、いわば叩き上げとして成り上がった独裁者であった。しかし、現在でも神格化が続くのは毛沢東のみである。

悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東 (幻冬舎新書)

たしかに1949年に中華人民共和国を樹立したのは、毛沢東の主導に他ならないだろうが、共産党のそれとは同じではなかった。国家樹立から現在に至るまで毛沢東は神格化されてきた。何故そこまで神格化されたのか謎である。いや、謎にしなければならなかったというべきか。

1949年に中華人民共和国を樹立したあと、毛沢東は大躍進政策を進めていく。これは、わずか数年でアメリカやイギリスを追い越すという途方も無い農業・工業の大増産計画であった。

一見合理的に見えたその計画は、人心や自然、経済原則を無視した数字の計画でしかなかった。その結果、ノルマを課せられた幹部達は成果の粉飾に走った。その結果、さらなるノルマを課せられるという悪循環に陥り、ついには行き詰まってしまった。

大躍進政策は、大失敗に終わった。その結果は散々たるものであった。約4000万人(諸説あり)の人々が餓死したと言われている。この計画は、中国だけでなく何故かアフリカ諸国にも同じく災厄をもたらした。

それは何故かといえば、一見合理的に見えたのが災いしてアフリカ諸国が真似をしたのである。その結果は言うまでもなかった。ソマリア、モザンビーク、アンゴラ、エチオピアなどは、これが元で農業を崩壊させてしまった。ソマリアはいまでもその影響から抜け出せないでいる。

この失敗の教訓は、国家、企業問わずに当てはまるに違いない。人心や自然を無視した無謀な計画は、いかに合理的(見掛け)であっても失敗する。ノルマ達成が見込めない幹部は粉飾に走り、それは恒常化し実態は闇に埋もれる。

当時の幹部達の行いは、中国の現状かと見間違うほどよく似ている。なんのことはない国家樹立時からなんら変わらぬことであったという訳である。

1959年、大躍進政策の失敗を機に毛沢東は、国家主席を辞任する。(党主席はそのまま)

新しい国家主席には、劉少奇が任命された。かれは過去の計画経済の失敗から、柔軟な調整政策と呼ばれる経済政策を実行していく。しかし、これが後に修正主義、あるいは資本主義化していると言われる様になる。

劉少奇をはじめとした幹部達は、国家の立て直しという大命題を実質的な方法で行おうとしていた。それが、毛沢東はじめとした原理主義者には修正主義と写り、攻撃の対象となっていた。劉少奇により国家が持ち直せば、毛沢東の面目は失われることになる。

そこで毛沢東は、自らの復権願望は表には出さず、周囲の賛同者を使って劉少奇と実権派を追いつめて行く。それは徐々に激しくなっていた。

文化大革命はじまる

1966年、毛沢東は劉少奇の名指しこそしなかったが「司令部を砲撃せよ」という論文を党内に配った。これは言わずとも劉少奇とその幹部達を指していた。そして、「中国共産党中央委員会のプロレタリア文化大革命についての決定」(16か条)で文化大革命の定義が明らかにされた。

そこから、一気に劉への攻撃は強まる。毛沢東に次ぐ党の序列2位だったのが、序列8位に下げられた。(毛沢東は国家主席は辞任したが、なお党の序列1位であった)

1967年、劉少奇の自宅に文革派が押し寄せて批判を浴びせた。そのあげく電話線を切断し外部との連絡を絶ってしまう。その後、文革派はかれを外に連れ出し大衆の面前で罵倒し、暴行した。

1968年、劉少奇は、抗日戦争時にしたことがスパイ行為であるという罪状を課せられて党を永久に除籍された。これにより劉少奇は失脚した。

その後の劉が受けた仕打ちは想像を絶する。自宅軟禁にあった劉は、散髪や入浴も許されず、監視にあたる警備員からは暴行や暴言を受けていた。その結果、歯は抜け落ちており、糞尿も垂れ流しであった。また、部屋には至る所に劉を非難するビラが貼られていた。

1969年、河南省に移送された劉は、寝台に縛られた状態でコンクリートむき出しの暖房のない倉庫に監禁された。そして、そこで病気の治療もたいして施されないまま死亡した。(意図的に治療しなかった)

文化大革命では、経済より革命の成就が優先された。その結果、生産性は劣化していき経済は混迷を深めた。劉少奇以外にも多くの党幹部が修正主義者として吊るし上げられて失脚した。他にも、地主等の富裕層、アカデミックな学者などの知識層、さらに歴史と文化も攻撃の対象となった。

歴史と文化を否定し、新しい秩序を創ることを目指した文化大革命は、暴力を否定しなかった。目的が文革理論に沿っていれば何をしてもいいとされた。やがて行き詰まるのは目に見えていたが、毛沢東がいるかぎり、それは続けざる得ない状態となっていた。

1976年、毛沢東死去。同年、文革を煽動した毛主席の妻である江青をはじめ党幹部4人組が逮捕された。そして、文化大革命はここに終結した。

1980年、毛沢東の死去(1976年)とほぼ同時に文革が終了してから数年が経っていた。実質的な指導者となった鄧小平が率いる共産党は、劉少奇の除名処分を撤回し名誉回復を果たした。

こうして無産階級文化大革命は失敗に終わったが、ただひとり毛沢東のみは自らの神格化をさらに深化させることに成功した。

毛沢東は、いまでも神格化され続けて、その実態に触れるのはタブーである。

紅衛兵の傍若無人

文化大革命といえば、紅衛兵というぐらい密接な関係にある。かれらは、毛沢東の手足となり、実行の現場で猛威を振るった。紅衛兵は、文革時に設立された学生を主体とする毛沢東原理主義の造反派のグループである。

かれらは、造反有理という錦の旗を掲げて、たいした理由も無く党の幹部、知識人、企業幹部、学校の先生などを襲った。

罵倒しつつ外を連れ回し、あげくに殴る、蹴るなどやりたい放題であった。公衆の面前で吊るし上げて晒す行為が日常茶飯事で行われていた。

かれらの標的は、修正主義や資本主義的な考え方や行為だけでなく、中国の歴史にも向けられた。この当時、無惨にも壊された歴史的価値のあるものは多数あると言われる。

中国の文化と経済活動を破壊し尽くした紅衛兵は、毛沢東の死去と同時にその存在価値は失われた。これは、毛沢東に異を訴える勢力を撲滅することが、紅衛兵の使命だったことを意味している。

変わらぬ中国の権力と欲望

最近であるが、「項羽と劉邦」というDVDを観た。ちなみに、これを製作したのは中国の映画会社である。中国を統一した最初の王朝「秦」滅亡後の天下取りを描いた物語である。

中国の映像作品は反日姿勢が鮮明と言われるが、さすがに古典にまでは手がおよばないようだ。それはさておき、映像作品としては見応えのある出来映えであった。広い中国には優秀な監督が多くいるようである。

知っている人には今更であるが、「項羽と劉邦」の内容は疑心暗鬼と裏切りの物語である。権力を得た人はどんな強い力をもっていても、疑心暗鬼に陥るようだ。いつ寝首をかかれるか分からないという訳である。

劉邦は、項羽を決戦の場で倒しついに漢王朝を築くが、やがて側近の部下達に疑心暗鬼を抱く様になる。そして、ひとり、またひとりと自分を皇帝にするに貢献した側近を排除していく。権力とはこれでいいと思う事がないようだ。

これは、まさに毛沢東と同じではないか。映画を観ながらそう思っていた。歴史映画ではあるが、もしかすると現状批判の映画ではないか。しかし、それは気のせいか。中国はなにしろ検閲がきびしいらしい。少しでも批判的であれば製作も公開もされないだろう。

ただし、これは歴史映画です。と製作側が強行に主張すれば通るかもしれない。なんせ、世界でも知られた史実(文献によれば)であり、有名な出来事である。

とにかく、映画の内容が史実どうりであろうが、なかろうが描かれた権力者の欲望がいかに暗く濁っているかを表現していたのは間違いない。

変わったようでいて、実は中身は変わっていない。それが中国である。そんな感じを強く受けた次第である。

ちなみに、中国では現在、主席をトップに抱く主流派(太子党)と既得権益を守ろうとする上海閥、共産党青年団閥の間で権力闘争が行われているらしい。果たして、その行方は如何に。

中国に安定した日々は来るのか、こないのか。それは神のみぞ知るところ成り。

参考文献:「毛沢東の真実」、ウィキペディア(文化大革命)ほか
冒頭写真:紅衛兵の絵(ウィキペディアより)

<中国がひた隠す毛沢東の真実>
中国共産党の古参幹部が、「建国の父」毛沢東の実像と失政の実態を明らかにする。厳しい言論統制の中、ペンネームで香港のオピニオン誌「争鳴」に綴った文章24編をまとめた。

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