■映画|映画宝島 地獄のハリウッド

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ハリウッド・ゴシップで、満腹だ!

スキャンダルの世界史
スキャンダルの世界史。ギリシア・ローマ時代から現代まで、破廉恥だからこそ、のぞきたくなる、権力とセックスにまみれた裏世界史。

随分と昔であるが、「映画宝島」という雑誌があった。いや、現在でもあるのか。それはともかく、雑誌というより正確には、ムックというのだろうか。とにかく、不定期に出る雑誌のようなものであった。これの90年代初頭に出版されたものを持っているのである。

そのなかから、地獄のハリウッドと題されたハリウッドスキャンダル特集号を参考にいくつか紹介したい、と思うのである。

ちなみにこの本は、現在では映画評論家である町山智宏が編集長であった。また、映画雑誌のなかでは、独自の路線を邁進する変な雑誌でもあった。しかし、他では見られない濃い情報にファンも多くいたはずである。この路線は、現在、「映画秘宝」に受け継がれている。

秘密の花園、ロリコン・スキャンダル

アメリカには、ゴシップを専門に扱う雑誌がたーくさんあるようである。とにかく、スキャンダルがお好きなようだ。ともかく、需要があるから、その存在は確立されたといって過言ではないだろう。しかし、ハリウッドはスキャンダルの生産地としては、とてもエクセレントである。日々、精進した賜物であるかも知れない。

さて、本題である。なんとロリコン・スキャンダルを連続して紹介したい。たぶん、日本でこのようなスキャンダルが発覚しようものなら二度と立ち直れないだろう。しかし、かの国では何度も立ち上がるのだ。さすが、肉食人種は違うと思わざるを得ないのである。

まず、ロリコンの語源であるが、これは有名なナボコフの小説「ロリータ」である。1955年に出版されている。これ以降、ロリータ・コンプレックスという用語?が定着した。しかし、ロリコンが用語として定着する以前から、そのような趣向はあったのである。

その代表格がハリウッドの活劇俳優として有名であった、エロール・フリンである。かれは、10代の女性ばかりを愛人にしていたそうである。それが、あまりに度が過ぎたのか知らないが、1942年に訴えられている。しかし、無罪となった。これに懲りずにまた未成年者に手を出して、50年に訴えられる。またも無罪となる。

普通はこれぐらいで性根を入れ替えるが、58年に未成年者誘拐で訴えられる。なんとも、懲りない人である。しかし、この人にはなんとなく愛嬌が感じられるのである。単なるエロおやじであって、かれはロリコンではないという人もいる。

真のロリコン?、チャップリン

今度は、あの喜劇王チャップリンである。この人の才能は申し分ないものである。しかし、どうも未成年の女性にやたら興味を抱いたようである。実際のところどうであったか。1918年、最初の妻ミルドレットとは彼女が16歳のとき結婚した。できちゃった婚であった。

これは、スキャンダルを避ける目的であった。よって、まもなく離婚する。24年、次の妻リタとは彼女が、やはり16歳のとき結婚した。またも出来ちゃった婚である。このリタは子役上がりである。12歳のときに「キッド」に出演している。

そのころから、チャップリンは目を付けていたとされる。したがって16歳より、かなり早い時期に関係を持ったようである。チャップリンは、この結婚をやはりスキャンダル逃れからしたようである。そのせいもあり、やがて離婚訴訟を起こされる。この裁判過程でチャップリンは、さんざんな目に会う事になった。

妻との極秘密のプライバシーまで暴露されたのである。またゴシップ雑誌の餌食ともなった。27年離婚。

プライバシーを暴露されたあげく、お金をむしり盗られたチャップリンは、3人目の妻として、今度は25歳のポーレット・ゴダードと結婚する。これは、ごくまともである。しかし、女優を続けたいゴダードとの相違から42年離婚。その後、手を出した女優から妊娠した子供の父親はチャップリンだと訴えられる。

またしても苦境に陥るチャップリンであった。血液検査の結果かれの子供でないことが証明されるが、何故か裁判で敗訴となる。

ここでも、またお金をむしり盗られたのである。そして、43年、作家ユージン・オニールの娘ウーナと結婚する。彼女は17歳であった。このウーナは幸い、過去の同年齢の女性たちとは違いチャップリンを愛し支え続けたようである。ようやく、落ち着ける場所を得たチャップリンであった。

逃亡したロマン・ポランスキー

次なるは、これも有名なポランスキーの未成年者に、ドラッグ、淫行事件である。1977年、ポランスキーは、ジャック・ニコルソン邸にて、男性版ヴォーグのために少女のヌード写真を撮ろうとしていた。あろうことか、モデルとしてやってきた13歳の少女にドラッグ(睡眠薬)を与え、正常な判断力を奪ったうえで襲ったそうである。

これを知った母親が訴訟を起こし、裁判沙汰となった。ポランスキーは同意があったと自己弁護を行う。しかし、カリフォルニア州では、たとえ同意があっても未成年者の場合、法廷強姦罪とされるそうだ。分の悪いポランスキーは、一端釈放された後、すぐに海外へと逃亡を図った。

それ以降、アメリカの地を踏んでいない。「戦場のピアニスト」でアカデミー賞を獲得したときも、授賞式を欠席した。ポランスキーにも言い分はあった、かれは後に次のように語っている。これは冤罪であり、少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている。

2009年9月、チューリッヒ映画祭の「生涯功労賞」授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の少女への淫行容疑に関連してスイス司法当局に身柄を拘束された。アメリカは身柄引き渡しを要求したがスイスはこれを拒否、2010年7月12日に釈放を決定した。

参考文献:映画宝島 地獄のハリウッド!

以下は、スキャンダルの世界史とハリウッド幻影工場ともに海野弘著。

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