ラスト・タイクーン [DVD]
ラスト・タイクーンは、スコット・フィッツジェラルドの未完の遺作であり、アービング・サルバーグをモデルとしていると云われる。
ハリウッドの100万ドルの椅子!
100年のアメリカ映画史(1930年代)
1920年代後半から30年代にかけてのハリウッドは、大恐慌やトーキー革命のあおりを受けて混乱に陥っていた。そして、ハリウッドの大立物が次々と去っていくなかで、かれらに変わって、新しい大立物達「ハリウッド第2世代」とも呼ぶべき、個性溢れる若い世代が登場してきた。
アーヴィング・サルバーグ、ディヴィッド・セルズニック、ダリル・ザナックの3人がその代表格である。いずれも独特の嗅覚で時代を切り開いた映画製作者である。30年代はじめ、サルバーグは31歳、セルズニックとザナックは28歳であった。かれらが1930年代のハリウッドを牽引していく事になった。
■アーヴィング・サルバーグ
サルバーグは、この時期のハリウッドで、プリンス、または貴公子と呼ばれていた。彼は、生まれながらの天才であり、映画作りにおいては天性の才能があったようである。誰がやってもうまくいかない難題を、いとも簡単にやり遂げたことが続き、それは伝説となった。そして彼の事務所の椅子は、「100万ドルの椅子」と呼ばれた。
彼は、若干24歳のときにMGMの撮影所の副所長となった。
それ以降、グレタ・ガルボ、クラーク・ゲーブル他、多数のスターを発掘、育成し、「夜空の星の数より多いスターをもつ」と云われたMGMの黄金期を創り上げた。朝一番にオフィスにきて、夜は一番遅く帰ったと云われる彼は、過労のため倒れ、一時療養生活を余儀なくされた。そして復帰して約2年後、またも倒れ、今度は撮影所に戻る事は出来なかった。
まだ37歳であった。ハリウッドは、彼の功績を讃えるために「アーヴィング・サルバーグ記念賞」をアカデミー賞に設けた。
■ディヴィッド・セルズニック
セルズニックと云えば、アメリカ映画史に燦然と輝く大作「風と共に去りぬ」を製作したことで知られている。この時期にもっとも成功した独立系の映画製作者である。彼は、父親も映画製作者であり、若い頃から映画製作を学んでいたようである。彼にとって映画製作は、家業のようなものである。
そんな彼は、サルバーグをライバルとしており、MGM時代にはサルバーグと度々確執を起こしたようである。サルバーグが実質的に仕切っているMGMに嫌気が差して、独立してしまう。そして数年後、「風と共に去りぬ」を世に送り出すことになった。
ダリル・ザナックは、次の機会に!
以下は、アメリカ映画の大教科書 上・下
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