パックスアメリカーナの時代がはじまった
■アメリカン・グラフィティの日々、赤狩りと水爆とロックンロール
「ザ・フィフティーズ」は、アメリカの50年代の栄光と翳りを、政治の裏面史、伝説の起業家たち、一世を風靡した人気TV番組など、様々な切り口で「アメリカが最も輝いていた時代」の全体像を浮かび上がらせるユニークな現代史である。
1950年代は、端的にいえばアメリカの時代であった。第二次世界大戦が終了し新しい世界構造として冷戦の時代となっていた。アメリカとソ連(現ロシア)は、それぞれの影響力を駆使して世界の主導権を争うようになった。
アメリカでは、民主党トルーマンから共和党アイゼンハワー大統領へと変わり、政治体制は保守化の傾向が顕著となっていた。そして、世界の覇権国家としてはっきりとパックスアメリカーナの時代が始まっていた。
1900年代初頭からすでにアメリカの世紀は始まっていたが、大英帝国はまだそれを認めていなかった。第二次世界大戦へのアメリカ参戦によって、枢軸国を破り勝利したことで誰もがアメリカの力を認めざるを得なくなった。
1920年代、アメリカは空前の好景気(バブル)に湧いていた。しかし、それは1929年の株価の下落(ウォール街大暴落)によって、あっという間に奈落の底へと落ちてしまった。アメリカは暗くて長いトンネルに入っていくことに。
そして、1920年代から30年を経て、50年代のアメリカは再び好景気の時代となっていた。1920年代では、「ジャズエイジの時代」といわれた様にばか騒ぎの度が過ぎていたが、1950年代は果たしてどうであったか?。
1950〜60年代 激動のアメリカと時代を彩った名曲
1920年代と1950年代に共通するもの
■1920年代 楽園の乱痴気騒ぎの果て
はじめにお断りしておきますが、この項目は書籍にはありません。当方が勝手に解釈したことであることをご了承ください。
アメリカという国は、なんだか不思議な国である。あれほど知識の集積・利用に熱心なのに、なぜか変なことをすることがある。1920年代でもそれは行われていた。何かといえば、それは言わずと知れた「禁酒法」である。
この禁酒法は、宗教からきた倫理観によって成立したようであるが、一方ではマフィア(ギャング)を巨大化させるのに役立ってしまった。現在のアメリカの反社勢力の基盤は、このときに出来上がったといっても過言ではない。
好景気に浮かれてパーティーに明け暮れた20年代では、当然の様に酒が欠かせなかった。しかし、世の中は禁酒法である。それでも、おかまいなしに酒は飲まれていた。その酒は、闇で流通していたのは言うまでもない。
アンタッチャブルで有名な捜査官、エリオット・ネスはこの闇酒の流通を取り締まっていた。映画やテレビで見る限り、そのアクションは面白いが一旦視点を変えてみるとなんだか変である。禁酒法がなければ、マフィアの興隆もアンタッチャブルも存在しなかった。そもそも必要だったの?と思うばかりだ。
しかし、それは現代に生きているせいかもしれないが。
■1950年代 冷戦が生んだ狂気が猛威を振るう
そして、1950年代のアメリカも負けてはいない。30年振りの好景気である、どこか浮かれても可笑しくはないが、それよりも変な方向にいくのがアメリカである。そして、それは20年代の「禁酒法」にも負けないものであった。
それが何かといえば、冷戦構造の産物であった「赤狩り」である。レッドパージともいわれる、この活動は50年代のアメリカを象徴した出来事であった。赤狩りとは、共産主義を排除することを意味していた。
これが変だったのは、一部の保守的な考えしか認めなかったことにある。「禁酒法」とおなじく、なんとも偏った考えであった。
赤狩りは、共産主義は言うまでもなく、自由主義、リベラル、フェミニストなども赤として摘発していた。しかも、摘発の判断は一部の権力者の手に委ねられていた。有名なのはマッカーシーとその配下のものたちであった。
このようにアメリカは、ときどきなんだか利に適わないことに夢中になることがある。それが何に起因しているかよく分からないが、これ以降もベトナムにのめり込んでいったことは記憶に新しいことである。
もはや、このようなことはアメリカの癖としか言い様がないのかもしれない。
50年代のアメリカでは、新しい文化が生まれ光り輝いた
■アメリカが、最も豊かさを享受した時代
前述した「赤狩り」のような負の側面がある一方で、何故か文化の領域では限りなく明るい様相に満ちていた。50年代ティストの代表といえば、テールフィン(車の後部に突き出た翼のようなもの)の車が思い出される。何の役にも立たないが、なんだか格好がいいもの、それが重要視されたようである。
デザインが商業的に重要視されたのも50年代であった。アメリカでは、インダリストリアルデザイン(工業デザイン)が注目されて、デザインによる差別化により多くの製品が造られるようになった。
何でもかんでも流線型にしたりすることが流行っていた。レイモンド・ローウイというデザイナーは一躍ときの人となり注文が殺到していた。いまでも人気の高いイームズも50年代に活躍したデザイナーであった。
50年代のデザインは、冷戦や赤狩りとは関係なく、何故か明るく、そしてハートウォーミング(心優しい)な趣がある。ある意味では好景気故の成せる技だったのかもしれない、その実態は知る由もないが。
娯楽の世界では、テレビが登場し瞬く間に浸透していた。ラジオはあっという間に駆逐されそうになり、やがては映画もそれに続くことになった。
テレビの登場によって、アメリカではライフスタイルも変化していく。リビングの中心にはテレビがあり、その周りにソファーが置かれるという具合である。そして、一家団欒はテレビの周りで行われていくようになった。
これは、やがて日本でもおなじことが繰り返されたのは言うまでもない。
映画の世界では、テレビの登場で危機にあったがそれでもまだ健在であった。カリスマ的なスターが登場していたからである。マリリン・モンロー、ジェームス・ディーン、マーロン・ブランドなど、いまや伝説的なスターが誕生していた。
一方では、前述した赤狩りによって多くの映画関係者が摘発されて映画界から追放されていた。これもやがて映画の黄昏を呼び込むことに繋がっていく。
音楽、とくに大衆音楽の世界では、言うまでもなくロックの神様、エルビス・プレスリーの登場で新しい時代を迎えていた。ロックのはじまりであった。当時はその熱狂ぶりに大人達は、プレスリーに非難を浴びせていた。しかし、若者達はその音楽の魅力に触れたあとは、もう戻ることはなかった。
現在の大衆音楽は、50年代のロックに端を発して現在に至っているのは、ほぼ間違いないだろう。
アートの分野では、抽象表現主義というアメリカ発の芸術運動によって、芸術の都パリからアメリカのニューヨークが現代美術の殿堂となった。
他にも、50年代のアメリカが生んだ特色は多数あるが、とにかくアメリカがもっとも明るく、元気であり、しかも一般大衆も利益を享受できた最後の時代であったようである。(80年代以降、一部富裕層に利益が偏っていく)
しかし、その裏では相変わらず変なこともしていたアメリカであった。
最後に一言、水爆という地球破壊兵器(原爆の数百倍)を生んだのも50年代であった。その背景には、冷戦のなかでのソ連との軍拡競争と、狂気の科学者の存在にあったのは言うまでもない。
■ザ・フィフティーズ/概要
トルーマン(民主党)からアイク(共和党)の時代へ。第二次大戦が終わり、世界的に未曾有の繁栄を突っ走るビッグ・アメリカの50年代はどんな時代だったのか。アメリカの光と影を浮かび上がらせる。
<著者:ディビッド・ハルバースタム>
1934年ニューヨーク生れ。ハーヴァード大学卒業。ニューヨークタイムズの海外特派員として活躍。’64年ベトナム戦争報道で、ピュリッツァー賞を受賞。政治・経済・社会を徹底取材するアメリカを代表するジャーナリスト 。
他の著書:ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争
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