■NOKKO|ラブソング その調べは甘くない

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スウィートではない愛の歌も悪くない

NOKKOの全身全霊を込めたラブソングである

このラブソングが収録されたアルバム「カラード」は、たしか1994年頃の発売であった。彼女の最初の結婚が破綻した後であったはずである。レベッカ結成以前から知り合いであった元夫とは、レベッカ時代の紆余曲折を経た後に結婚した。そして、渡米後、わずか数年で離婚している。なにがあったか、それは知る由もないが、長い交際期間を経ても埋まらない溝があったようである。

ともかく、そうした経緯を経た後に発表したのが「ラブソング」である。それだけに、この曲がただの愛を歌ったものではないと想像できる。この曲が収録されたアルバム「カラード」のジャケット(上記)に写る彼女のモノクロ写真は、なにか意味深な内容を示唆しているようである。彼女が差し出した左手は、男性の手の上にそっと添えられている。これは、何を意味しているのだろうか。

左手といえば、エンゲージリングを嵌める指がある。それは、結婚という愛の行方の末に辿り着いた証拠を示す手である。うがった見方であるが、今はない愛の証しである左手をそっと男性の手に添えているのは、彼女の当時の気持ちが凝縮されているようで痛い想いが募る。そこには、激しい愛の後の喪失感のようなものが漂っている。妄想過ぎるかもしれないが、そのような事を感じる次第である。


NOKKO ラブソング

彼女は、この歌の中で愛を喪失した後でも愛の歌しか歌えない。そのように宣言するかの如く歌っている。自分自身をさらけ出したと思われる「愛の歌しか歌えない女」というフレーズには、胸が締め付けられる。このラブソングは、けっして未来志向の歌ではない、どちらかといえば、愛に破れた残りかすの想いの歌なのかもしれない。しかし、今日の愛の安売りのような歌と比べ、なんと奥深くまで迫ってくるのか。と個人的には思う次第である。

ちなみに、この歌では男が出て行ったように聴こえるが違うのだろうか。個人的には女性に出て行かれた経験があるので、そのときのなんとも言えない喪失感が思い出される。したがって、この歌に強いシンパシーを感じるのはそのせいのようである。なんともはやである。思い出したくもないが、なんとも切ない。もう遠くの記憶に仕舞われたことであるが、ときには思い出す。そんな感じである。

時代といえば、それまでであるが、昨今の愛はなんと軽いのかとしか思えない。断っておくが、歌の話である。会いたいばかりの愛なんてクソクラエと思うが、如何に。さっさと会いに行けと思った人は多いはずである。これもデジタルの弊害なのだろうか。ゼロかイチかの違いで、その合間に無数にあるであろう感情が欠如しているように感じる次第である。違うかな、実はあまり自信はない。

それにしても「ラブソング」である。これを歌う彼女を想像すると、なんと愛しい女かと思わざるを得ないのである。そして、個人的には、現在の彼女が幸せそうでよかったねという思いで一杯になるのであった。これは、余分だったかもしれないが、まーいいかな。ということで、今回のNOKKOさんのカテゴリは、「ラブソング」をお送りしました。では、またの機会に。

■NOKKO|ラブソング 作詞・作曲・歌:NOKKO

捨てられたハートは 銃の響きのよう

あの人は 夜のあいだに消えた

Oh なんて悲しい朝を迎えているの Too Bad Too Bad

陽のあたる部屋に もう歌は聴こえない

愛の歌しか歌わない女

彼女は聴くの 過ぎた靴音の数

軋むベッドの上で 手紙と写真に

埋もれて眠ってる 醒めた身体で

(以下省略)

以下は、ラブソング収録のアルバム「カラード」94年発売

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