樹齢150年、あすなろの木の災難
鎮魂は後付けであるに違いない
樹齢150年の「あすなろの木」を伐採し、それを神戸に運び込み、クリスマスツリーにして阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂として捧げる、という世界一のクリスマスツリープロジェクトがネットを中心に物議を呼んでいる。
このプロジェクトは、もとは神戸開港150年記念事業の関連事業として企画されたようだ。しかしなぜ、記念事業で世界一を目指すために樹齢150年の木を伐採しなければならないのか。なんとも疑問を感じざるをえない。
巨木を伐採し神戸に運び込むだけでも大変な手間がかかるだろう。当然費用もばかにならないはずだ。それに対し、クリスマスツリーと鎮魂の結びつきが意味不明だ。それって、イベント屋の後付けだろうと思うしかないが。
そもそもクリスマスは、キリストの降誕を祝うものではないのか。
さらにいえば、なんとなく収益の匂いがするからだ。クリスマスツリーに飾り付けるオーナメントを1個500円で販売するそうだし、クリスマス終了後は樹齢150年の木を裁断しバングルに加工して、1個3800円で販売するとした。(バングルはその後、中止になったようだ)
主催者側の元を取ろうという魂胆が透けてみるようだが、違うか。
めざせ!世界一のクリスマスツリープロジェクト
富山県氷見市で見つかった推定樹齢150年、全長約30メートル、重量約24トンの「あすなろの木」が、新幹線やロケット輸送で用いられる特殊車両と大型船を使い、富山県伏木富山港を出航後、日本海から瀬戸内海を経て神戸まで1000km以上の距離を移動し、神戸メリケンパークにそびえ立ちます。
このなんとも意味不明のプロジェクトに、あの有名文化人である糸井重里氏が関係している、といわれている。糸井氏といえば、著名コピーライターというだけでなく、広くクリエイティブな活動にかかわっている。
さらには社会活動的な行動や意見もメディアを通じて発信している。(自らも「ほぼ日刊イトイ新聞」というメディアを運営している)
糸井氏は、一般的にはどちらかといえば、好イメージにある著名人であった。その発言も個人的には納得するものが多かったが、今回のプロジェクトには、如何ともしがたい不遜で傲慢な匂いがしてならない。
あくまで個人的な意見であるが、みなさんはどうでしょうか。ネットを中心にやはり同じように疑問を感じている人たちが少なからずいるようです。
プロジェクトイメージ
おいおい、「いのちの樹」を終了後には切り刻んでしまうんだろ、なんか変だと思わないかー、違うかー!
世界一のクリスマスツリープロジェクトへの疑問!
神戸開港150年記念
神戸とクリスマスはなんか関係が深いのか、海外に開いた港であるからキリスト教とは無縁ではないと思われるが、それにしてもなぜ世界一のクリスマスツリーなのか、なんとも無理やり感がつきまとう。
世界一のクリスマスツリー
誰がそれを望んでるか、知りたいぐらいだ。世界一のクリスマスツリーにどんな意味があるのか教えてくれ!
樹齢150年のあすなろの木
150年も生きながらえた樹木をなぜ伐採し、さらに切り刻んでしまうのか。鎮魂が本来の意図なら、ぜひ樹木も生かしてほしいと切に願います。
阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂
なんとも痛ましい出来事であり、犠牲者の皆様にはご冥福をお祈りいたします。プロジェクトの企画者たちは、鎮魂を簡単に使うなと言いたい!
オーナメント(クリスマスツリーの飾り)の販売
オーナメントは参加者の自作でいいだろうに、なぜ販売するかである。かかった費用を取り戻したいだけだろうに。
バングル(一体型のブレスレット)の販売
企画者の魂胆が丸見えのスケスケだ。なぜなら、当方もイベント企画等を手がけていたからだ。企画者は、業者から手数料を取る算段をしただろう、違うか。
世界一のクリスマスツリーPROJECTを中止して下さい
署名サイト「change.org」上では、「世界一のクリスマスツリーPROJECTを中止して下さい」と題した反対運動が過熱。11月24日に始まった署名活動には、12月15日夕までに2万人以上が賛同している。
ところでクリスマスってなんだという素朴な疑問には、以下を参照ください。
クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う祭である。毎年12月25日に祝われる。クリスマス・イブは、その前夜である12月24日の夜を意味している。
<日本のクリスマス概要>
明治時代
日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。
大正時代
児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。
昭和(戦前)
昭和時代の先帝祭にあたる大正天皇祭(12月25日)が設定された。日本でクリスマスの習慣が広く普及したのは12月25日が休日となったこの時代とされている。
昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたる多くのカフェや喫茶店では、クリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。
昭和(戦後)・平成
1948年(昭和23年)7月20日に「国民の祝日に関する法律」が施行され、大正天皇祭は休日から外されてしまったが、以降もクリスマスは年中行事として定着し、行事も盛大に行われるようになった。
以上、参考ウィキペディアより
日本では、俗には商業的なイベントとして定着したと言っても過言ではない。日本人の大部分は、キリスト教徒ではないし、その醸し出す雰囲気が商業的に有効だと考えた人たちによって普及したに違いない。
最近では、ハロウィンを定着させようと一部の関係者がやっきとなっているが、それもクリスマスが日本で定着したからに他ならないだろう。
なお、上記で示した当方の意見は、あくまで個人的な推測に基づくものであり、必ずしも事実とは言えない部分も含んでいます。ご了承ください。
外部関連記事:樹齢150年の巨木を富山から神戸へ 「鎮魂」「世界一」企画への批判に実行委員会「残念」
写真引用:上におなじく
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