■書籍|芥川賞が話題になったのは芸人の又吉さんのおかげじゃない

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芥川賞、出版界ではクリスマスやバレンタインと一緒か

■2015年、芥川賞という販促は又吉さんのおかげで大成功でした!

 又吉さん、芥川賞受賞おめでとうございます。賞たるものは、取り敢えず頂いておいた方が、後々何かと役に立つ時が来るかもしれない。そういう意味では、よかったのではないでしょうか。主催する側に何かしら思惑があろうとなかろうと、それは又吉さんには関係がないことに違いない。

 本を多く読んでいて、知識が豊富そうな又吉さんは、クールにこれからも芸人が基軸であるのは変わらない、と語っている。たぶん、芥川賞がどういうものか、よく理解しているのだろう。それを口に出さないところは実に大人な対応である。

 又吉さんは、芸人である自分が賞を受賞したことで、根拠のない噂が広がり文学全体がよく思われなくなる、そんな事態は避けたいという想いがあるようだ。まるで、AKB48の総選挙で前田敦子さんが「前田敦子は嫌いでも、AKB48は嫌いにならないでください!」とスピーチしたときと、実に良く似た状況である。

 そんな又吉さんに好感を抱いた人達も多いと思われます。何を隠そう、当方もその謙虚な姿勢に好感を持ちました。かれは、本当に本が好きなようであり、間違っても偉ぶった作家先生にはならないと思われます。なんとか、その姿勢を保ったまま、これからも作家活動を続けてほしいと切に願います。

又吉「芥川賞受賞」の意外なワケ 文壇、出版界から強力な後押し(ライブドア)

作家先生は、もっと謙虚になればいいのに

 日本の文学の世界では、大御所や売れっ子の作家になると、何故か偉そうな態度をする人達が多く見受けられます。文学がそんなに偉いってのはいつ決まったのか?、なーんて憤慨しまうことしばしばである。

 偉い作家先生は、世の中のすべてのことに通じているかのごとく、いろいろな場所でご信託を述べている。それがさも当たり前かのように。(お前もブログでやってるだろうって、たしかにその通り…あしからず)

 それはさておき、先生、先生と出版社がおだてるから、本人も気が付かないうちに偉ぶることが当たり前となったのだろう。しかし何故、それほどまでして作家を持ち上げなければならないのか。それは、出版社の利益の構造に起因していると思われる。

 なんでも、作家先生の単行本が売れると出版社はおいしい商売ができるらしい。増刷するほどに利幅は大きくなり儲かる仕組みになっているとか。なんせ、雑誌などと違って諸経費があまりかかってないから、売れればほとんど利益になる。一昔前では単行本が大ヒットするとビルが立ったそうである。

 だから、出版社は作家先生を持ち上げて止まない。ただし、利益が見込める先生だけであるのはいわずもがなである。

 そんな作家先生は、何かというとホテルに缶詰になるそうだ。不況の出版社がいつまでそんな経費を出していられるか見物である。

 ところがどうだろうか、昨今ではその本がまったく売れなくなってしまった。はじめは、街の本屋さんが苦しかったが、いまや出版社や取り次ぎまで苦境にあるといわれている。単行本が大ヒットするなど、いまや奇跡?となってしまった。

 それでもなお、作家先生は偉ぶっている。もう、とまらない、やめられない。たぶん、偉ぶってるのは一部の作家先生と思われるが、始末が悪いのはそれらの作家先生が目立つからだ。雑誌の連載、テレビ出演などほんの一部の作家たちの持ち回りではないかと思われるがいかに。

 最近では、ネットのおかげで人物評価もすぐに知ることができる。偉そうな作家先生も裏に回ればなんのことはない、人間であるからやましいことの一つや二つ、いやもっとあるか。そんな訳で、ネットの時代では偉そうな振る舞いもすぐに化けの皮が暴かれてしまう。

 それでもなお、出版社はいうに及ばず、多くのマスコミが作家先生のご信託をありがたく頂戴して掲載している。作家先生は、この問題に対してこんなことを語っているぞ、どうだ!といわんばかりに。

 それらの多くは、たいした内容はなく単に感想を述べているに過ぎない。それでは、なんで作家先生に時事問題などを語らせるかといえば、それは有名だからである。マスコミはそれを利用して自らが言いたい事を遠回しに言わせている。あくまで想像であるが、案外当たらずとも遠からずかも。

 そのような作家先生が審査し受賞作を決めるのが、芥川賞や直木賞である。

 ちなみに、どちらの賞も文芸春秋の創業者、菊池寛によって企画されたものだ。それが、本を売るための販促であったのはいまさら言うまでもない。それが、いつから文学界の権威になったのか、当方は知らない。

 権威になるために新聞、テレビ、出版などマスコミの力があったのは言うまでもないだろう。マスコミは、文学をつくる人を偉いもの、あるいは一般人とは異なる高みにある人として扱った。そして、偉そうな作家先生が誕生した訳である。

 文学を取り巻く環境は、なんだか卵が先か、鶏が先かと似た構図にあるのが、よく分かる次第である。違うか。

 また、文学に限らず、音楽の世界でも似たようなことが起きているのは、いまさら言うまでもないことである。

 ちなみに、当方も小説を書いています。ただし、それをお金にしたことはないので、まだ見習いというべきか。さらにいえば、当方の書いたものは、高尚な文学ではなく、妄想のたまものである。それは間違いない。

 2015年、第153回芥川賞と直木賞の受賞者は以下のとおり。

<芥川賞>
羽田圭介<受賞>
(はだ けいすけ) 「スクラップ・アンド・ビルド」(文學界3月号)

又吉直樹<受賞>
(またよし なおき) 「火花」(文學界2月号)

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<直木賞>
東山彰良<受賞>
(ひがしやま あきら) 「流(りゅう)」(講談社)

………………….
追記:芥川賞、直木賞を受賞したから、あとは安泰かといえばそんなことはないようです。かつて、芥川賞を受賞したイラストレーターは、受賞後は本業を辞めて書くことに打ち込んだにも関わらず、新たな書籍の刊行もままならず、元のイラストレーターにもどったそうです。

また、沖縄生まれの生い立ちを小説にして受賞した作家も、その後は鳴かず飛ばずでいまはどうしてるかも分からないとか。他にも、すっかり忘れられた受賞作家は多いようです。小説を書き続けることはなかなか大変なようです。

ついでにいえば、村上春樹氏、伊坂幸太郎氏などヒットメーカーは受賞していない。たしか、伊坂氏は、何度か候補にはなっているが、その後候補になることも辞退したとか。

火花
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