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■映画|秒速5センチメートル 失われた遠い記憶のファンタジー

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byousoku20

どれほど強い絆も必ず成就するとは限らない

 新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」は、興行収入が200億円にせまる大ヒットとなっている。ふだんアニメは観ないが、あまりに話題なので興味に駆られて同監督の「秒速5センチメートル」を観てみた。

「秒速5センチメートル」は、3話からなる連作形式のアニメ映画となっている。題名は、“桜の花の落ちる速度”を意味している。主要な登場人物は、男女3人しかいない。そしてそれぞれが自分語りをしながら物語は進んでいく。

一話「桜花抄(おうかしょう)」
二話「コスモナウト」
三話「秒速5センチメートル」

 登場人物は、美少年(やがて美男)と美少女(やがて美女)だけであり、ブサイクは画面の片隅にも登場しない。美少年と美少女は、それぞれの想いを切々と語り、その背景には美しい景観が広がっている。

 特徴は、端的には「美しい映像と儚い物語」ということができる。とにかくブサイクのいない映像はどこまでも美しく輝いている。男女ともに相手を想い、悶々とする様はブサイクには似合わない、それはたぶん間違いはない。美少年と美少女だから許される典型的な物語といえるだろう。

 おじさんは我思う、「汚れちまった自分を、そしてブサイクな自分を、なんて悲しいんだ」と、それは自問自答するまでもなく明らかなのが実にくやしい。うがった見方をすれば、これは美醜差別の映画と言うこともできるに違いない。それはアニメを知らないゆえの偏見かもしれないが。

 とにかく美しい物語であるのは違いないが、おじさんには遠い記憶の彼方に消えた純粋さを思い出して、ただ痛いと感じることばかりが残った。

 ちなみに新海監督は、ギャルゲーの出身であるそうだ。とすれば、美少女ばかりなのも納得できるというもんだ。ファンの世代は、主に00年代のロストジェネレーション(現在20〜30歳代の男性)であり、おじさん世代は範疇にはない。

 なお、新海監督の才能が高く優秀であることは間違いない。観るものを胸キュンとさせる術に実に長けている。中高年の汚れちまったおじさんも、つい油断して胸がキュンとしたことを白状しておきます。恥ずかしながら…。

 現在大ヒットの「君の名は。」はまだ観ていませんが、新海監督の過去作品と比べて10代の女性の観客が多いと聞いています。どうやら進化しているようです。

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ルーツは「ギャルゲー」、作品は「セカイ系」といわれる

 新海誠氏は大学卒業後、ギャルゲーの会社に入社している。そこでは、ゲーム導入部の映像を担当していたそうだ。ギャルゲーといえば、エッチなゲームであり美少女が登場するのは、ある意味当然である。

 したがって美少女を描くことが板に付いているのは、むべなるかなといえる。しかし、自作品を制作しはじめてからは、エッチとは真逆の方向性を示している。

「秒速5センチメートル」がそうであるように、多くの作品は「美しくも儚い物語」である。そこにはみじんもエッチを連想させるものは見当たらない。あえていえば、登場する美少女がものすごく短いスカートを履いているぐらいか。

「君の名は。」の大ヒットはなぜ“事件”なのか? セカイ系と美少女ゲームの文脈から読み解く
ギャルゲー(美少女ゲーム)とは
 美少女ゲームとは、ゲームのプレイヤーが視点人物(男性)となって、登場する複数のアニメ調の美少女キャラクターとの分岐ルートごとの恋愛などを楽しみ、しばしばポルノグラフィックな表現や展開も盛りこまれるパソコンゲームです。

 それらはおもに90年代後半からゼロ年代前半にかけて独自の発達を遂げ、ときに「ギャルゲー」や「エロゲー」とも称されるように基本的にはポルノメディアとしての要素を多く含むものでもありました。 

 自作品の制作をはじめてからは、セカイ系といわれるオタクコンテンツの範疇にあるようです。とくに、自主制作アニメーション作品第2作『ほしのこえ』(02年)は、セカイ系の代表作といわれているとか。(当方も観ました)

 セカイ系とは、2000年代初頭に流行ったオタクコンテンツの物語形式だそうだ。そこでは、主人公とヒロインの関係式を軸に、自分語りや狭い日常の世界が描かれる、と同時に「この世の終わり」などの非日常的な出来事が唐突に挟み込まれている、という世界観にあるようです。(参考:上記リンク先より)

 ギャルゲーとセカイ系は、ともに2000年代初頭に同時進行的に人気を博していたといわれる。「美少女とエロ」、一方は「美少女とピュア」という、いわば対局する位置にあるが、共通点がひとつあります。それは言うまでもなく美少女である。ある意味では、エロとピュアは紙一重ということもできるか。

 ともかくアニメの世界では、美少女が鍵であるようだ。思えば、ジブリのアニメも美少女がキーファクターであったのは言うまでもありません。なお、アニオタには当たり前過ぎて、いまさらであると思われますが。

「秒速5センチメートル」胸キュンの場面/ネタバレあり

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 90年代前半、東京のある小学校にともに転校してきた遠野貴樹と篠原明里。互いに共通点があることから、いつしか淡い想いを寄せる仲になっていた。しかし、小学校卒業とともに篠原明里が親の事情で栃木に転校し離れ離れとなってしまう。

 そして、東京に残っていた遠野貴樹も鹿児島に転校することになった。貴樹が転校する前に二人は再会することを約束した。そして貴樹は、電車を乗り継ぎ栃木の明里に会いに向かった。

 しかし、その日は雪が降り続けていて、電車は度々停車を余儀なくされて大幅に遅延していた。貴樹の想いは募るが、どんどん時間は経っていく。約束の時刻もとうに過ぎてようやく到着したが…。

 待ち合わせの場所に向かうと、そこにはひとり俯いて座っている明里がいた。貴樹が明里の前にたたずむと、明里はおもわず貴樹のコートの裾を握りしめていた。

追記:
 キャッチコピーに「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」とあるように、この場面は誰でも胸キュンとなること間違いない。とにかく、貴樹が電車を乗り継いでいくシーンが秀逸であり、貴樹の想いの高まりを否が応もなく感じさせる。一方そのあいだ、待っている明里の姿は一切見せることはない。

 そして、明里が貴樹のコートをつかむところで胸キュンは頂点となる。新海監督のこのあたりの演出は実に達者と言うしかない。

新海監督の描く景観は、パリッシュを彷彿させる

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 新海監督は、雲や景色の描き方に独特のこだわりがあるようだ。その見事な景観描写には、マックスフィールド・パリッシュを彷彿させるものがある。

 マックスフィールド・パリッシュは、アメリカの画家。イラストレーター。ポスター、雑誌の表紙や挿絵で人気を博した。極めて美しく清澄な青色を表現したことで知られている。

■「秒速5センチメートル」2007年公開

監督・脚本・製作総指揮:新海誠
声の出演者:水橋研二
   :近藤好美
   :尾上綾華、ほか
音楽:天門
主題歌:「One more time, One more chance」(山崎まさよし) 

小説 秒速5センチメートル (角川文庫)
「桜の花びらの落ちるスピードだよ。秒速5センチメートル」。いつも大切なことを教えてくれた明里、彼女を守ろうとした貴樹。二人の恋心の彷徨を描く劇場アニメーション『秒速5センチメートル』を監督自ら小説化。
小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

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