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■社会|テレビを観ていない!しかしなんの問題も無い!

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いつしか観なくなったテレビ、はて?何のためにある!

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はじめに、以下の文章でテレビというのは「地上波テレビ」のことを指しています。また、確固たる信念があって言っているのではなく、たまたまそうなったに過ぎない個人的な事柄であることをお断りしておきます。

最近になって気が付いたのだが、いつ頃からかテレビを観ていなかった。気が付いたというのは、多少言葉が正確ではないかもしれない。薄々と感じてはいたが、観なくてもなんの支障もないし、また欲求もないのでそのままにしていた。いつから、それがはじまったのか、その記憶も定かではない。

とくに強い意図があった訳でもなく、なんとなくそうなった。それが思えば不思議である。テレビは、もちろん無い訳ではない。3台が、それぞれの持ち場で鎮座し待機している。しかし、そのなかで電源がオンされるのは限られていた。ずいぶん長いあいだ、オンされていないテレビの中にはクモの巣が張ってるかもしれない。

電源がオンされるのは、テレビを観るというよりDVDを観るためである。だったら、テレビ受像機である必要はないじゃねーか。などと思うこの頃である。たしかに、そのとおり映像を観るだけなら専用モニターの方がいいはずである。その方が何倍も映像が綺麗かもしれない。

テレビって必要か、否か。いまやそれが問題である。いやはや「時代は変わる」とはよく言ったもんである。

ちなみに、以前はケーブルTVと契約していたが、いまはしていない。衛星も設置していない。したがって、いまはテレビ=地上波だけである。現在、地上波以外にも多くのチャンネルがあり、その気になればマルチチャンネルの構築も可能だろう。しかし、そこまでしてテレビを観る気がしない。

テレビは、かつて世の中をリードしたが、いまでは追従するのみか

1953年(詳しくは検索してね)だったと思うが、テレビ放送が始まってから世の中の娯楽、余暇の事情は一変した。我が世の春を謳歌していた映画界は、あっという間に斜陽産業となってしまった。日活などは、ここから破綻?までまっしぐらであった。もはや、テレビの前にはなす術も無いそんな具合であった。

1964年の東京オリンピックを機にテレビ受像機は多くの家庭に行き渡っていた。テレビは、家庭の中心に堂々と鎮座していた。60年代〜70年代では、テレビとともに家庭生活は、成り立っていた。朝起きればテレビを付けて、それを眺めながら朝ご飯を食べて、そして学校、会社に行く。帰宅すれば、テレビ様が鎮座するお座敷で一家揃ってそれを観るという具合であった。

それは、ある意味ではテレビと家庭との幸せな関係式の時代であった。しかし、80年代頃から、変化が現れる。それは家庭から個が優先する時代になったからであった。家庭で一家揃ってテレビを見るという行為はもはや過去のものとなった。

そして、個の時代に相応しいテレビのあり方として、某テレビ局は「面白くなくては、楽しくなくてはテレビじゃない」というバラエティー偏重主義の制作方針を打ち出した。それが、時代の風潮にマッチしたのは言うまでもなかった。

しかし、巷でいわれた個の時代は、実は個性の時代ではなかった。何故なら、一見個性的ではあっても、それは単なる枠組みのひとつでしかなかった。それが証拠に、みんな右に倣えの如くファッションも考えも同じようなもんであった。

有名な誰それが、こんなこと言ってるから、それに倣えと言う事である。ニューアカといわれた思想も似たり寄ったり。デザイナーズブランドもまた然りである。

そんな80年代のテレビをリードしたのが、言わずとしれた某テレビ局であった。もはや向かうところ敵なしとして、90年代にはお台場のヘンテコな自社ビルに移転し、さらに某テレビ局のオレ様文化の時代がはじまっていた。と言っても過言ではない、たぶん。あまり自信はないが…。

しかーし、時代は変わり2000年代となった。つまり21世紀である。いつまでも、あると思うな親とお金?、違ったか。要するに、「奢る平家は久しからず」と言う様にいつまでも同じ体制と方針で世の中に通じると思うのが、間違いのもとである。

現在、「奢る平家は久しからず」を地でいく様に某テレビ局は、視聴率が低迷しているとか。その理由は単純である。前述した姿勢と体制にあったのは言うまでもない。ついでに言うなら、いつまでもあると思うな視聴者の馬鹿さ加減である。

そして、いつまでも続くと思うな「面白いだけのテレビ、楽しいだけのテレビ」である。他にも伝えることは「あるだろーが」と思う。テレビ=面白い、楽しい以外の選択肢はないのか。繰り返すが「あるだろーが」、それは間違いなく。

なお、当該ユーザーは、面白い、楽しい事は好きである。しかし、それとテレビのありようは違うと感じている次第である。

テレビを見なくなった理由、その必要性を問う

何故、テレビを観なくなったか。また、観なくても平気なのか。その辺りを客観的(かどうかは分からない)に捉えてみたいと考えた。なお、分析対象はたった1名(自分自身)である。あしからず。

■ 1)テレビの嘘が、如何に視聴者を馬鹿にしているか

広義の意味でのエンターティメントは、その大部分が作りものである。それは承知の上で楽しむのがルールであると思う。作り物であっても、それが楽しい、面白いと思うのは、そのフィクションには創造性があるからに他ならない。

テレビはエンターティメントか?。ある部分ではそうとも言えるし、そうではないとも言える。要するに両方(嘘と真実)の要素を持ってるのがいまのテレビである。しかし、多くのテレビはフィクション(作られたもの)でしかない。

テレビではドキュメントでさえ、やらせという演出で(嘘)に変えるのである。かつては、テレビの嘘が当たり前であることは関係者とタレントしか知らなかった。しかし、昨今では多くの一般人も知ることとなっている。

それに気が付いたのはいつ頃だろうか。多くの人々と同じ頃と思うが如何に。

多くのテレビ局では、80年代以後はバラエティーと恋愛ドラマに偏重していた。そして、どの局でも番組は、お笑いと、キワものタレントしか出ていない。しかも、それが朝から深夜まで続くのである。いやはや。

バラエティーは、嘘でも良いだろうと思うのは早計だ。何故なら、番組はその仕掛けを事前に知らせることはないからだ。如何に、嘘を嘘と見破られないか。それが、番組を制作するスタッフの腕の見せ所となっている。

バラエティーの当事者(タレントおよび関係者)は、そんなの了解事項だろうとのたまうはずだ。しかし、視聴者にそんなの一度も確認したことないだろう?。違うか。かれらタレントおよび関係者は、そこで非難を寄せる視聴者に「嫌なら観るな」と言う訳である。

かれらタレントや関係者は、本質を忘れている。それは、かれらの生命線は視聴者の好意・好感を獲得することにある。何故ならば、それが番組の製作費を負担するスポンサーに利益をもたらすからである。自らの芸と人気のおかげでスポンサーが潤っていると思ったら大きな勘違いである。

したがって、少し知恵を回せば、決して「嫌なら観るな」とは言えないはずである。違うか。

テレビのバラエティー化(お笑いが、すべてを包み込む)が進展し、面白い、楽しいことばかりが優先したことは、視聴者のテレビ離れに繋がった大きな要因であるはずと思われる。なにしろ、ニュース番組までその傾向にあるからである。何故なのか、視聴者がそれを望んでいるとは思えないが…。

ニュースのバラエティー化は、ある意味では視聴者を馬鹿にしていると感じている。人気タレントや美人、あとは食い物を出せば視聴率は取れると判断する制作陣の考えには、ほとほと呆れる思いである。

■ 2)テレビを観てもなんの得にもならない(とくに民放)

こんなこと今更であるが、改めてそのように思う次第である。なんせ、何十年とテレビを見てきたからまず間違いない。そう断言することに、いささかも躊躇する理由はない。ちょっと偉そうだが、とにかくそういうことである。

過去何十年のあいだにテレビを見た時間を、もし本を読む時間に充てていたらと思うとなんともやりきれない思いに至るのである。当該ユーザーは、けっして知識人とはいえず、それは多くの時間をテレビにうつつを抜かしたからに他ならない。そのように、いまとなっては考える次第である。

テレビにも、知識になる番組はあるという人もいるかもしれない。たしかに、教養番組もあるし、雑多な蘊蓄?を授ける番組もある。しかし、テレビを通した知識は何故か、頭を素通りしていく気がするのである。これは、当該ユーザーだけだろうか。それとも集中力の問題なのか。

知識・教養を提供する番組もあることは間違いない。しかし、それらの多くはNHKでやっており、しかも、そのほとんどは視聴者も少ない番組である。たぶん。

したがって、ここで、あえて言う!。得にならないのは民放である。あしからず。なお、だからといってNHKを良いと言うつもりはまったくないのは、言うまでもない。

それはさておき、テレビは、ときに意図的に視聴者の意識を一定方向へ導くような方法を用いる。それは、ニュースを中心にバラエティーでも行われている。ニュースでよく行われるのは、例えば、一方に偏ったニュアンスの伝え方をするとか。さりげなく、好感をもたれる配慮をして伝えるとか。そこには、何らかの影響が裏に見て取れるのである。

また、スポンサーの絡む不祥事には、目を瞑り沈黙を貫く事も多々見受けられる。テレビは一般大衆の味方ではなく、どちらかといえば利益になるかならないかが優先されている。たぶん、そう思って間違いない。

さらに、バラエティーではステマ(広告と気付かせない)と呼ばれる手法が堂々と行われている。とくにタレントの副業を堂々と宣伝するのは公共の電波をなんと思ってるかである。あれは、ギャラと宣伝のバーターだろうか?。

これらのことから察するに、やはりテレビは一般人、視聴者を馬鹿にしているに違いないと思う次第である。違うか。

■ 3)テレビを観る時間を、もっと別の有効なものに使いたい

前述したような理由から、テレビはもはやいらない。そのように考える事ができる。いや、それは早合点だと思う人もいるだろう。しかし、少なくとも見る番組をもっと選び、視聴時間を減らすことには異を唱える人は少ないのではないか。

そのうえで、もっと有効な時間を過ごそうと思えれば幸いである。例えば、本でもいいし、映画でもいいし、街へ繰り出すのもいいだろうと思う。本なら、図書館を使えばテレビと同じくお金も掛からないし、テレビよりずーと実になる知識が得られるに違いない。

図書館にある本を全部読もうとしたら大変な時間が必要だ。テレビなんか見る暇もなくなるに違いない。

映画は劇場では価格が高止まりであるが、DVDレンタルなら旧作は100円以下(税抜きで)で借りられる。過去の名作なんて膨大な数があるし、これをぜんぶ見ようと思えば、これまたテレビなんて見てる暇はない。

現実を楽しみたければ、街に繰り出すのが一番である。しかし、田舎ではそうもいかないかもしれない。都会と田舎では現実の楽しみ方に格差があるのは否めない。
田舎では、まだテレビは重要なポジションなのか。その辺りは、どうなのだろうか。

実はその辺りのことははよく知らない。なんせ、この「テレビを見なくなった理由」の客観的分析は、自分自身が対象者だからである。あしからず。

テレビへの提言!どうせ言うだけ無駄だが…

最後に、現在のテレビにもの申すということで、提言を行いたい。

それは何かというと、現在のテレビ局から過去の栄光を引き摺るテレビ業界人、タレントを一掃することである。

何故、テレビがこんなにも世の中の動きとずれたかと言えば、いまだに過去のオレ様テレビ文化を引き摺る人々が中心にいるからに他ならない。

例えば、業界用語をいまだに得意げに語ることでしか存在を誇示できないタレントとか。セーターをいまだに肩に掛けた業界人(ほんとにいるか不明)とかである。

そのような人々は、いまでは業界の大物?として君臨しアンタッチャブルな存在と化している。いわば、誰も関わりたくない存在である。だから、自然淘汰を待つ以外に方法が無い。いやはやである。

そんな存在と化した業界人の一掃には、恐竜が地上から滅んだと同じくらいの荒療治が必要かもしれない。それには、まずテレビ局の上層部に、年齢上限を設ける事である。これで、過去の栄光しか語らない人材を一掃である。

そして、タレントの新陳代謝を促す意味で視聴率に加えて好感度調査を導入する。さらに、プロダクションとの関係を透明性にする。番組監査委員会を設置し、不透明なタレントの起用や、特定のプロダクションとの関係に楔を打つ。

これまでのタレントありきから、何はなくとも企画にはじまるという原点に還る。
これが、テレビに残された道であり、ネットとの融合の仕組みを強化する云々は、それからのことである。

とにかく、現体制の刷新こそが必要か。余計とは思いますがそのように思います。
いずれにしても、いまテレビを見ていないからどうでもいいけど、というのが本音である。あしからず。

追記、繰り返しますが、ここで書いたテレビとは地上波のそれを指しています。ご了承ください。

また、地上波に限らず、他のチャンネルでもこれから顧客獲得が難しい状況に変わりはないかと、何故なら、他にやる事がたくさんあるし、テレビを観る時間が惜しいという人達が増えそうな気がします。あくまで想像ですが。

冒頭写真:http://smmlab.jp/より

コメント

  1. 金星宏幸より より:

    TVを悪い言う前に昔はインターネットが無かったから、無料動画も無かったし、無料視聴も出来なかったのだ。情報も今よりも少なく嘘も方便と言うように少しの嘘なら見逃した筈だ。人はいつしか攻撃的になり、人の挙げ足しか取らなくなりスポーツ選手や、ブルース・リーさん、マイケル・ジャクソンさんなども皆TVがスターにさせたしTVしか無いから一般大衆もそれに真似したり憧れたりもした者だ。(T_T)(T_T)もう一度人は考えて見るべき時代に為ったのだ!!情報で知ることよりも自分が何かをして得る事の方が大事何だと!!経験、体験、行動力、実行力が人として成長させてくれるのだと!!(T_T)(T_T)ブルース・リーさんは言いましたよ知るだけでは不十分だと、夢を見ること望むことも大事だがその為には実行に移さないと行けないし、何かをしないと栄光や成功失敗も出来ないと言う事だ。(T_T)金星宏幸(きんせいひろゆき)より(T_T)(T_T)