アートは許されて、デザインは何故非難される?
デザインではパクリ、しかしアートでは引用として認知されている
オリンピック・エンブレムのデザイン盗用問題以降、日本のデザインの世界では盗用が当たり前に行われていたことがバレてしまった。それは、オリンピックという世界の檜舞台でのデザインであったが故に、世界中の人々の目に留りデザイン盗用が指摘されたからである。
そうでなければ、該当デザイナー氏はいまでも、なんのおとがめもなく一流?デザイナーとしてせっせと盗用デザインに励んでいたに違いない。たまたまか、業界の意図的かはしらないが、とにかくデザイナー氏は、狭い業界からより広い世界で認知されて、さらに高みに昇る(地位を築く)予定だったと思われる。
しかし、そのデザインが世界に知られたことが逆に裏目に出てしまった。そして当初の思惑は脆くも崩れ去ってしまった。それは業界内(日本の)の常識が、一般社会(世界の)の非常識であることを忘れていたに違いない。
たぶん、業界内では問題なく通じていたことで感覚が麻痺していたのではないか。そうでなければ、世界中にデザインが晒されるのを承知で、あのようなことが出来るはずが無い。ちなみに、まだ該当デザイナー氏はパクリを認めてはいない。しかし、しらを切り通せば、筋が通る訳でもないのは今更言うまでもない。
盗用デザインが指摘されているのは、この該当デザイナー氏ばかりではない。他のデザイナー氏にもいくつか指摘されているデザイン案件がある。そのひとつが、いまや一流の名を確立したインダストリアルデザイナーのF氏である。
無印良品の生活用品、その他多くの商品デザインで有名なこのデザイナーF氏は、日本の家具製造会社に売ったデザインが、海外のデザイナー氏の作品にそっくりと話題になっていた。海外のデザイナーからの盗用(あくまで疑惑)というところは、オリンピックエンブレムのときと同じ構造にある。
海外であれば、一般人は知らないに違いない。そんな単純過ぎる動機とは思えないが、実は案外そんな理由かもしれない。いわば、それが通常でありとくに問題ではないという認識が根底にあるのではないか。
とにかく、バレなけりゃすべて良しとする風潮が、デザイン界にあると思われるがいかに。ちなみに、当方も他人のことをとやかく言える資格はない。かつてパクリをした経験があるからだ。したがって、経験者はかく語りきという訳である。いやはや。
ついでにいうと、当サイト名もパクリではある。さらにドメイン名もおなじく。
・パスワードは一万年愛す=映画「恋する惑星」の台詞より引用。
・cragycloud=nokkoさんの楽曲「crazyclouds」より引用。
ただし、当方は上記のネタ元を明らかにしています。(プロフィール欄ほか)
アートとデザインの違いは何処にありや
ある芸能人(爆笑問題の片割れ)が、デザイン盗用問題に際してアートではいくらでもしてるだろう?と番組内で語っていた。この芸能人は、知識人として認知してほしいのか、やたらと知ったかぶりをする。(当方がそう思うだけ)
デザイナー氏を擁護した訳ではなそうであるが、如何にもオレは知ってるぞと言わんばかりであった。ま、この人はいつものことであるが。たしかに、この芸能人が言う事はもっともな疑問を呈していた。
60年代に一世を風靡したアート、”ポップアート”ではセレブ(有名人)やベトナム戦争、誰でも知っている商品などが作品のモチーフとなっていた。有名なのはアンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」を題材とした作品である。(冒頭画像を参照)
マリリンの肖像権はどうなっていたか、それによっては著作権侵害でありパクリではないかと思っても間違いはない。それが何故、アートとして認められたかである。デザインではすでに使用された写真や形態を用いればパクリである。
しかし、どうやらアートでは解釈が違うらしい。
デザインは、注文によって制作が行われる。スポンサーがいて、商品があり、それを多く流通させる目的を有している。要するにデザインの多くは商業と密接な関係にあり、利益のために行われる。故に商業デザインともいわれる。
一方、アートは注文で制作されることは基本的にはない。例外的に公共施設や一部金持ちの依頼で制作することはあっても、その作品が依頼主の利益のためであることはない。あくまで個人の作品でありオリジナリティが尊重される。
ポップアートでは、モチーフとする対象は有名であればあるほどに効果的であった。何故なら、それがアートの考え方や目的に沿うことだったからだ。ポップアートとは、あくまで考え方が先攻したアート作品であったといえる。
有名芸能人や大量生産される商品、そして戦争までも消費尽くしてしまう現代の様相を、何処までも明るく彩り豊かな色彩を施すという、いわば皮肉を込めた暗喩として表現したのがポップアートであった。
したがって、ポップアートは意図的にそれ(対象の引用)をしていた。そして、そのアートは表現の自由と権利の問題も提起していた。
ではデザインではどうか。何故デザインでは、ポップアートとおなじことが盗用とされてしまうか。(正確にはおなじではないが)
それはデザインは、アートではないということに尽きるのではないか。
デザインは上記したように商業の利益に直結している。したがって、他で使用された著作物を用いれば、その権利を侵害することになる。分かりやすく言えば、ある商品で使われたデザインを、勝手に別の商品で使うことはできない。
デザインで盗用とされた作品を見ると、その多くが有名作品をあからさまに用いてはいない。何故なら、誰でも知ってるからだ。それはまずいとデザイナーは知っている。だから、海外の誰とも知らない埋もれた作品から盗用している。
また、盗用デザインには確たる考え方が希薄に感じられるか、ないようだ。あくまで見た目を重視したインパクトだけで出来ている。デザイナーは後付けでコンセプトを拵えるが、どこか自信無さげであるのが否めない。
それはある意味では当然である、はじめに考えがあれば盗用などしないからだ。
<アートとデザインの違い>
アート=表現の自由を作品化する行為
デザイン=クライアントの利益を優先する行為
かなり偏見であるかもしれないが、とりあえず上記したようなことがアートとデザインのあいだにあり、故にポップアートの引用はパクリとされず、デザインはパクリとなる、ということをまとめてみました。いかがでしょうか。(なお、ここでいうデザインは主にビジュアルデザインを指しています。言うまでもないと思いますが念のため)
これが正解とは思っていませんが。しかし、少なくとも”当たらずといえども遠からず”だろうと思いますがいかに。
エンブレム盗用デザイナーのロゴ、地方図書館でも使用中止に
地方図書館のロゴでも米国デザイナーの作品にそっくりとされていた問題で、渦中の地方都市が市民の突き上げにより使用を中止にした。当初は、市長は似ていないと擁護していたが、市民には通じなかったようだ。
この経緯はオリンピック委員会とまったく一緒だった。いやはやである。
群馬県太田市は、白紙撤回された東京オリンピックのエンブレムをデザインした佐野研二郎氏が考案した公共施設のロゴの使用について、市民から反対意見が多数寄せられたことから、使用を断念する方針を固めました。
太田市では、建設中の公共施設「おおたBITO 太田市美術館・図書館」に佐野氏が 考案したロゴを採用しましたが、市民から「アメリカのデザイナーの作品に似ている」 という指摘が寄せられていました。
アートでも盗用問題、受賞作品を却下する
最近では盗用問題がやたらと騒がれるが、アートの世界でも盗用が問われてある受賞作品が取り消された。その作品を見るとオリジナルの左右を逆にしただけのものだった。しかし、これを剽窃した作者は、何の意味があってわざわざ描いたのか。このパクリ作者の心理が伺い知れない。
しかも、あまり知られていない作品を選んで描いているあたり、パクリの典型を地でいっている。なんとも情けないとしかいいようがない。
「トリエンナーレ2015年・神通峡美術展」の大賞作品が佐野っていた事が判明し受賞取り消しに。
作者曰く「どこかでこの作品(元ネタ)を見た記憶が残っていたかもしない…」
オリジナルは以下の本の表紙にあり!!
追記:当サイトでは著作権に属する画像などを転載していますが、基本的に著作権法第三十二条を遵守し、公正な慣行に合致し、且つ報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内でのみ利用させて頂いています。
しかし、厳密にいえば駄目なのかもしれませんが。どうしても差し障りがある場合、問い合わせよりご連絡頂ければ速やかに対処致します。
コメント