Jackson Pollock, at the Limit of Painting: 1912 – 1956
絵画界のアクション・ヒーロー!
アメリカ美術界にスター現れる
第二次世界大戦以前、アメリカは経済的にはすでにイギリスを凌駕していた。しかし、文化の中心は相変わらずヨーロッパであった。大戦後、世界の覇権状況は完全にアメリカのものとなった。それは、パックスアメリカーナの時代の始まりであった。
世界の中心となったアメリカであったが、唯一欠けていたのが文化の中心地としての地位であった。そこに登場したのが、ジャクソン・ポロックであった。ポーリングと呼ばれる絵筆の先から滴り落ちる絵具によって描かれた、そのペインティングは熱狂を持って世界に認められたのである。
ここにアメリカ発の現代美術のヒーローが誕生したのである。ポロック以後、アメリカでは次々と現代美術をリードする作家が現れた。そして、ついにアメリカは文化の領域でも中心地としての地位を確立したのである。
それは、アクション・ペインティングと呼ばれた
ポロックの成功は、アメリカ政府による文化政策のおかげであると云う論調もあるようである。しかし、絵具を滴らせて描く行為をアートとして認知させた功績は、ポロックのものであることに変わりはない。アートの世界では、二番煎じは通じない。最初にやる事が何よりも重要なのである。
ポロック以後、いくら上手にポーリングで絵を描いても、それはポロック風という枠から出る事はできない。
また、オリジナリティーを評価されることは決してないだろう。アートとは、そうゆうものである。オリジナリティーこそが最大に評価される価値観である。よってポロックのこの行為は、以後のコンセプチュアル(概念)アートやポップアートなどにも影響を与えていくものとなった。
ポロック自身が、どこまで確信的であったか知る由もないが、間違いなくアートの世界に金字塔を打ち立てたのである。
ジャクソン・ポロックの人生
1921年にワイオミング州に生まれた。28年からロサンゼルスおよびニューヨークのアートスクールで学んだ。35年から42年にかけて政府の公共事業促進策の一環として公共の建物に壁画を描く仕事をする。
このときメキシコ壁画運動の画家シケイロスの助手を勤めている。大きな壁にスプレーガンなどで描く手法に衝撃を受けたそうである。
一方、この頃よりアルコールへの依存が高まっていた。晩年に苦しんだアルコール中毒の始まりである。43年頃から、ドリッピングやポーリングと呼ばれる絵具を滴らせる技法を控えめながら行っていた。
47年頃から本格的にこの技法に絞り込んで制作を行った結果、それは大変な評価を受けることになった。と同時に、保守的な一部の新聞は軽く受け流そうとしたようだ。
とにかく、これまでになかった絵画であったので賛否両論があったようだ。
しかし、ポロックが頂点に立っていられたのは、ほんのわずかでしかなかった。頂点に立ったプレッシャー、それに伴って再発したアルコール中毒、精神の不安定さが顕著となって苦しめたのである。
そして、1956年、愛人とその友人を道連れに自動車事故で死亡したのである。まだ、44歳であった。
ポロックの生涯は、「ポロック、二人だけのアトリエ」(2000年)として映画化されている。ピュッリツァー賞を受賞した原作をもとに、エド・ハリスが、監督・主演・制作を行っている。
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