もはやなんでもありか、それが問題だ
社会風刺的なグラフィティアートで有名な覆面アーティスト「バンクシー」が、現代アート界に波紋を投げかけている。バンクシーは、自分の追っかけファンである一素人を現代美術アーティストに仕立てるという試みを行った。
バンクシーが仕立てた、にわかアーティストの作品(現代美術作品のパクリ)はどういうわけか話題を集めて、展覧会には多くの観客が押し寄せたそうだ。さらにプロによる一定の評価まで獲得してしまった。
なぜ、そのようなことが起きるのか不思議であるが、これこそが現代アートならではの特有の現象ということができるようだ。
現代アートでは、文脈がありそのなかでも「参照と引用」というものが、けっこう重要視されている。そこに目を付けたバンクシーは、アートの素養も技術もない素人をアーティストに仕立て、作品は「アートの文脈」に則って作り上げた。
それを端的にいえば、現代アートの歴史を丸パクリして、ポップな色合いで塗りたくったしろものだった。それがウケてしまった。
バンクシーは、現代アート界の仕組みを皮肉ったのは言うまでもない。しかし、それに乗っかる現代アート界もいかがなものか、と思うばかりであるが。
現代アートは懐が深いともいえるが、アートの定義が一般にはますます理解不能になっている。それを如実に表すことがバンクシーの意図であったと思われる。
揺れるアートの定義
ウォーホルとポロックの融合的パクリ、味付けはグラフィティ
アートの文脈、そして参照と引用
現代アートの作品では、過去の作品との相関性が意外と注視される。それは「参照と引用」とされて、アートの文脈のなかでも重要視されている。
現代美術アーティストの作品の多くは、過去の現代美術アーティストと深い関係式にある。ダミアン・ハーストやジェフ・クーンズなどは、ダダイズム、デュシャン、ポップアートなどを参照、または引用している。
その他の多くのアーティストたちもおなじように、過去作品と相関関係にあるといわれる。ある意味では、現代アートに欠かせない要素となっている。
それは別の意味では、「アートの文脈」といわれる。それに則っていることが現代美術の世界では重要とされている。いわば現代アートのルールとなっている、と言っても過言ではないようだ。
このアートの文脈の一端を、日本の現代美術アーティストである会田誠が自作品の解説のなかで「参照例」として紹介している。(以下を参照ください)
会田誠『ランチボックス・ペインティング』シリーズについて(参照例)
★マルセル・デュシャン→使い捨て弁当箱という前提、レディメイドとしての大量生産工業製品。
★ゲルハルト・リヒター→→具象画と抽象画の分離。
★ジャクソン・ポロック→重力と偶然にかなり依拠したドリッピングという技法。★河原温→作品サイズ、展示スタイル、方法の限定。
★ゲルハルト・リヒター、白髪一雄、デ・クーニング、中村一美など→アンチとしての大画面、絵の具の大量消費。
★岡崎(※ママ)乾二郎、彦坂尚嘉など→絵画の分析それ自体の提示。
★村上隆、ロイ・リキテンシュタインなど→本物の筆触ではないという意味で、人造的な絵画制作法。
★ジェフ・クーンズ、ダミアン・ハーストなど→キッチュ感覚、アートマーケットを小馬鹿にしたような姿勢。—-など。」アーティスツ(1):会田誠の不安、村上隆の絶望
会田誠の自作品の解説は、アート作品の「参照例」を示すという異例の形を提示している。それは美術評論家の仕事か、あるいは観客に委ねられるはずだが、あえてそれを行ったのは日本ならでは理由があったようだ。
日本では、現代アートの文脈が理解されておらず、世界に通じるルールがあることも浸透していないからと思われる。作者自身は以下のように答えている。
「(1996年の)NO FUTURE以来でしょうか…? さすがに今回のばかりは必要か、と思いまして。理由はうまく言えませんが、ふざけた作品と誤解されることを避けたかったのが一番だったでしょうか。
作っている最中に列挙したアーチストが頭に去来しました。今回は僕には珍しくコレクターに買ってもらうことを想定して作ったこともあります。この作品のアートワールドの中における位置、みたいなものを、他との関係から特定したかった」
会田誠の発言を解釈すると、とにかく「現代美術の鑑賞においては作品がアート史的な文脈にどのように位置付けられているかを読解することが重要」であり理解して欲しいこと、また世界的なルールとなっているからだといえる。
アートの文脈に関しては、村上隆も「日本のアートジャーナリズムやオーディエンスは、現代美術においては『文脈』の読解こそが最重要であることを理解していない。現代美術とサブカルを安易に結びつけてほしくない」と語っている。
世界的なアーティストである村上隆は、日本ではなにかとサブカル、とくにアニメやマンガを引き合いに出されることが多いからと思われる。村上自身は、そればかりを取り上げられることに違和感を感じているようだ。
「現代アート」と「アートの文脈」、そして「参照と引用」。これを一般人が理解する必要があるかといえば、はなはだ疑問も感じるが、とにかく現代アートの世界では、まぎれもなくルールとなっているのは間違いないようだ。
写真:傀儡アーティスト、ミスター・ブレインウォッシュと作品
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