不朽の名作、それがSOMEDAY!
Someday Gota Yashiki
所詮、音楽は好みの問題だ!しかし、これは素晴らしい
音楽とは、所詮は個人の好みの問題である。そう捉えると音楽をブログで紹介すること事態が、あまり意味を成さないことかも知れない。また、個人の趣味を押し付けるが如く様相を示しているかもと考えると気分が萎えるのである。しかし、そのような考え方は建設的ではないようだ。前述したように捉えると音楽家はみな個人的趣味の押しつけではないかと。
しかし、音楽とは、作家が迸る感情を吐き出すようにして創られたものである。たぶん、音楽とはそのようなものである。他人にどう思われるか、などを考えて創られたものではないはずである。したがって、当該ブログでも、極めて狭い領域であるが、今後も個人的趣味に基づいて音楽を紹介していくことにしたい。と改めて思う今日この頃である。
何故、上記のような内容を書いたかと云えば、音楽を言葉で紹介する難しさを感じたからに他ならない。映画なら、映像、ストーリーがあり目にしたものを言葉に置き換えられるが、音楽は姿形がないので見ることができない。音の響きやそれによって感じた事を言葉にするのは、素人には大変難しいことである。音楽ライターは大したもんだと、今頃気づいた次第である。
屋敷豪太の無国籍性の素晴らしさ
今回、紹介する屋敷豪太=GOTAの「SOMEDAY」は、90年代のクラブ・シーンでは定番のアイテムだったそうである。個人的には、クラブに詳しくないのでよく知らないが。ネットやその他情報によると、94年頃から活気づいた日本のクラブ・シーンを象徴する一曲であったらしい。しかし、それ以上に海外での評価が高いそうである。
GOTAのユーチューブ映像を観ると、映像をアップしたユーザー、コメントなど、ほぼ海外の人たちで占められている。いかに、彼が海外で認知度があるかが伺い知れるのである。それに反し、日本での認知度はいまいちではないか。そこで、屋敷豪太を知らない人に、以下のようにプロフィールを要約して紹介します。
屋敷は、1962年に生まれている。現在、まだ50歳を超えたばかりである。80年代前半、屋敷はミュートビュートというバンドにドラム奏者として参加していた。このバンドは、小玉和文の管楽器を中心としたアシッド・ジャズ?のバンドであった。80年代中頃には、中西俊夫のバンド、メロンに参加している。その後、中西と藤原ヒロシとともにダンス・ミュージックのインディーズ・レーベルを共同で設立している。
80年代後半には英国に活動の拠点を移す。90年代前半、シンプリー・レッドの正式メンバーとなり、以降、英国を拠点に多くのミュージシャンに楽曲提供やプロデュース等を行う。シンプリー・レッド解散後、拠点を日本に移して現在に至る。ちなみに、92年頃には、NOKKOの「ハレルヤ」をプロデュースした。以降、90年代を通してNOKKOに楽曲を提供している。
上記のように、ほぼ20年近くを海外で活動していたので、業界のなかで知る人のみの有名人となっていたようである。要するに、国内より海外で知名度がある典型的な日本人のひとりである。
海外が長いせいではないだろうが、屋敷の音楽には日本らしさとかは微塵も感じられない。かといって外人のそれでもなく、あえて云えば、それは無国籍性である。この無国籍性こそが国境を越え、さらに人種の壁も越えて共鳴・共感を得た賜物であると思うのである。違うだろうか。
屋敷豪太公式サイト
http://www.gota.com/index2.html
以下は、「SOMEDAY」の収録されたアルバムです!
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