ストリートを撮り続ける伝説の写真家の日常生活
どこまでも真摯な姿勢を貫く異端のファッション写真家
ビル・カニンガム氏は、ジャンルとしてはファッション写真家になるようだ。しかし、当方などが知るそのタイプの写真家とは随分と違っている。海外で有名なファッション写真家といえば、ちと古いがアベドンとかウエーバーなどが思い浮かぶがいかに。そして彼らは、ファッションブランドの顔となる写真を撮っている。
その様な著名写真家は、倉庫を改造した広いスタジオに多くのアシスタントを従えて、被写体となる一流モデルにポーズを付けてバシャ、バシャとシャッターを切るはずである。著名写真家ともなれば、その結果として莫大な報酬を手に入れている。たぶん数億円、いやそれ以上かも知れない。
そんな商業的な職業写真家とは一線を引いているのが、ビル・カニンガムという写真家である。その証拠に彼の仕事場は、概ねストリートにある。
ビル・カニンガム(1929年生〜)写真家、コラムニスト
1948年ハーヴァード大学を中退、ニューヨークへ渡り、広告業界を経て帽子デザイナーに、その後趣味ではじめた写真が好評で写真家となる。それ以来50年近くストリートでファッションスナップを撮り続けている。
一時期に帽子デザイナーであったように、彼はファッションに異常な愛情を注いでいる。ここでいうのはファッション=流行の衣装という意味である。衣装は、体を覆う単なる布切れではあるが、それは実利だけでなく時には虚飾にもなるという具合である。それはある意味では人間が営む文化の一端を表している。
だからこそ面白い、その様に考えたのかもしれない。ファッションを通して人間の生き様とその変化を撮り続けている。それがビル・カニンガムのファッション写真ということができるだろうと思う。
したがって、彼はスタジオではなく、ストリートで自然体の人々のファッションを撮っている。そこでは、時代の息吹がストレートに映し出されるからに他ならない。そしてスタジオのように演出も、選ばれた衣装も無いからだ。
ビル・カニンガム氏は80歳を超えたいまでも、自転車に乗ってニューヨークのマンハッタンのストリートをファッションを求めて駆け抜けていく。
興味があるのは、写真とファッションのみ?
ビル・カニンガム氏は、本当に変わった人という印象である。それは何故かといえば、人間としての欲があまりないからだ。まるで修行僧のような生活ぶりである。食べるものに感心は無く、着ている物も質素であり、恋愛にも興味は無い。
彼はけっして無名ではなく、もっと多くのお金を稼ぐ機会もあるはずだがそれも拒否している。まるで崇高な理想に向かうドン・キホーテのように。
いわゆる自らの信念の中にお金を稼ぐという目的が無い様である。それよりも好きな写真とファッションをとことん突き詰めたいという想いが強くあり、それに忠実なまでに行動をしている。ただし、そのこだわりは半端では無く、そして妥協はしない。あくまで自分の信念に真摯に向き合っていく姿勢にある。
当方は、このドキュメンタリー映画を観るまであまり知らなかったが、彼はファッション業界では有名であり、いまや伝説的とまで言われる写真家およびジャーナリストだそうである。しかし、その生活ぶりの質素さは他の著名ファッション写真家のそれとは随分と違っていると言わざるを得ない。
現在の仕事は、主にニューヨークタイムズにファッションのストリートスナップとコラムを掲載している。住まいは、ニューヨークのカーネギーホールの上にある狭いスタジオの一室だ。そこは写真のネガを収めるキャビネットだらけであり、その隅っこにベッドが置かれている。さらにカーネギーホールからは改装のために追い立てを食らっている。(その後、セントラルパーク近くのアパートに移転)
ニューヨークでファッション関係といえば、スノッブで嫌らしい人達が多そうに思うが、そんな人達でさえビルを尊敬しているようだ。何故なら、彼の写真には悪意が微塵も感じられないからだ。ビルは基本的には誰に対しても分け隔てなく優しいそうである。それは反面では自らに厳しい証拠かもしれない。
そんなビルの姿勢に共感する人も多い。なんとアメリカ版ヴォーグ誌編集長のアナ・ウィンター(『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のモデル)は、「私たちはいつも、ビルのために着るのよ。(撮られるために)」と語っているぐらいである。
とにかく、そんなビル・カニンガムの写真は、きっとファッションと人間の営みの貴重な歴史遺産となるに違いないと思われる。
■ビル・カニンガム&ニューヨーク
公開日:2013年(日本)
監督:リチャード・プレス
上映時間:1時間24分
出演:ビル・カニンガム、アナ・ウィンター、他
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