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■アート|揺れるアートの定義 現代美術はどこに向かっているか

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バンクシーの企み、傀儡アーティストという現代アート

バンクシーの傀儡アーティストとは

 覆面アーティストのバンクシーを追いかけて、ドキュメンタリーを撮ろうとした男がいた。しかし、その男には映像のセンスがなく、バンクシーは自分が監督になり、追っかけファンの男をドキュメンタリーとして撮ることにした。

 バンクシーは、その男をグラフィティアーティストに仕立て、その様子をドキュメンタリー映画にした。その映画が公開されると話題を呼び、にわか仕立てのアーティトは俄然注目されて、展覧会も盛況となっていた。

映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010年)

 ビデオ撮影を趣味としていた古着屋のグエッタは、自身が監督として、バンクシーのドキュメンタリー映画をつくろうとしていた。ところが、この男に映像のセンスも編集のスキルもないことに気づいたバンクシーは、逆に自らが監督、グエッタを主人公として映画をつくることにする(と映画の中で本人が言う)。

 バンクシーの助言に従ってストリートアーティストとなったグエッタは、ミスター・ブレインウォッシュとしてメディアに華々しく取り上げられ、個展も大成功。一躍時代のヒーローとなる。

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作品の前でポーズをとるミスター・ブレインウォッシュ

 ところが、このにわかアーティストは、あくまで素人でありアートの素養も技術もなかったようだ。アート作品は、美術学生が作ったものといわれる。

「ミスター・ブレインウォッシュ」と名付けられたにわかアーティストは、いわばバンクシーの傀儡アーティストだった。アート作品は、アートの文脈に則って「参照と引用」をとくに活用して制作されている。

 もっと端的にいえば、現代アートの有名作家作品をパクって、派手な色を塗りつけた作品となっている。参照および引用元は、アンディ・ウオーホル、ジャン=ミシェル・バスキア、ダミアン・ハースト、キース・ヘリング、ジェフ・クーンズほか、とにかく有名どころを片っ端から引用しまくっている。

 サンプリングとリミックスということもできるが、その明らさまな「参照と引用」は、パクリともはや同義と言ってもいいだろう。いや、間違いなくパクリである。しかし、アートの文脈うんぬんを言えば、それもありなのかもしれない、という摩訶不思議な様相を呈している。

 バンクシーをさすがというべきかもしれない。このにわかアーティストは、ご丁寧にもウォーホルやハースト、クーンズなどのように、工房(アート工場)で制作することを踏襲している。現代アートは自分で作る必要がないからだ。

 もともと技術もないから当然ではあるが、自作品を美学生に作らせても現代アートではなんら問題はない。ウォーホルもハーストもおなじであるからだ。ウォーホルはファクトリーで、ハーストは100人以上いる工房で制作している。

 自分で作ることもなく、なんとなくそれらしく振舞うことでアーティストとなった。その行為をアートと呼ぶか否か、それが問題であるに違いない。

「にわかアーティストを仕立てる」「参照と引用の作品を作る」「映画を製作・公開する」、そして「アートの世界で認知させる」という過程を含めた全体がバンクシーの作品ということができるだろう。

 このようなパクリ作品が一定の評価を得てしまうことは、同時に現代アートの世界のあり方を揶揄し皮肉ったものであるのは間違いない。

 したがって、バンクシーの面目躍如の作品といっても過言ではない。バンクシーの企みは、見事に成功している。

 しかし、現代アートの世界とは…いったいなんだろうかと思わざるを得ない。もしかしたら、現在の世界に蔓延する欺瞞、混迷、混沌などをひっくるめて、アートという世界で形を変えて訴えかけている、のかもしれない。

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ウォーホルとポロック、そしてグラフィティ

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上とおなじ要素に、バンクシー風(アインシュタイン)を加えている

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ウォーホルとハーストの合体か

参考:アーティスツ(3):参照と引用──揺れる「アート」の定義

作品引用:ニューヨークギャラリー/ミスター・ブレインウォッシュ

 

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