■時代と流行|アイドルの変遷は、いかに起こったか?

スポンサーリンク

ピンのアイドルが、まったく見られないのは何故か

かつてアイドルといえば一人であった

70〜80年代のアイドル全盛時代は、アイドルといえば一人であった。「山口百恵」しかり、「松田聖子」「中森明菜」などもそうだ。他にも大勢いるアイドル達も、大抵は一人だった。「ピンクレディ」がいるだろうという指摘もあるに違いない。しかし、あれはピンのアイドルの隙間を狙って成功したまれな例だったと思われる。

ピンクレディの二番煎じを狙ったユニットも数多く出たが、ほとんど成功はしなかった。80年代には、「おニャン子クラブ」が話題を集めたが、僅か2年ほどしか続かなかった。80年代後半にヒットを飛ばした「ウィンク」も長くは続かなかった。したがって、アイドル=一人が定番だったと言っていいだろう。

90年代になって、アイドルは不遇の時代を迎えていた。なぜなら、「J-POP」が俄然注目を集めたことで、アイドルは隅に追いやられたからだ。小泉今日子だって、もはやアイドルではいられなくなっていた。そんな時代では、CDを100万枚、200万枚売り上げる売れっ子アーティストがアイドル的立場になっていた。

モーニング娘。誕生

90年代後半になって、ようやくアイドルが復活した。しかし、それはピンのアイドルではなかった。「モーニング娘。」というグループアイドルの登場である。

モーニング娘。は、元シャ乱Qのつんく氏(以下つんく)プロデュースという異色さで売り出した。つんくのアイドル・プロデュースには、まだ実績がなく事務所的にも実験的な意味合いではなかったか。

また、モーニング娘。は、デビューが最初から約束されたものではなかった。一定条件を満たせば、デビューさせるということになっていた。それは、いまにして思えば、テレビ番組の演出的なやらせでのスタートだったといえる。いまであれば、ネットでさんざんあることないことを言われたに違いない。

1997年にデビューしたモーニング娘。であるが、いきなり大ヒットを飛ばす事はなかった。まだ時期尚早だったようだ。1999年発売された「LOVEマシーン」が大ヒットして、ようやくアイドルのトップに躍り出ることができた。

モーニング娘。は、最初こそ地味なスタートであったが、徐々に存在感を増していった、と同時にメンバーの数も増していた。大人数のグループアイドルの誕生であった。これが、その後のアイドル業界に大きな影響を与えたのは、いまさら言うまでもない。

そして、アイドルといえばモーニング娘。の時代がやってきた。つんくは、アイドル業界の頂点に上り詰めて、もはやシャ乱Qの面影はなかった。つんくは、アイドル界の大プロデューサーに成り上がっていた。

90年代の長いトンネルを脱して、ようやくのことアイドルが再び世間の注目を集めたのであった。しかし、そこには往年のアイドルの面影はまったくなかった。アイドルの様相も時代とともに変わっていた。

新しい時代のアイドルを誕生させたモーニング娘。であったが、当然の様にいつか勢いにも陰りが出てくるのを避けられなかった。彼女達が全盛だったのは1999年〜2004年頃までではなかったか。中心となっていた初期メンバー達が、徐々に抜けていった頃から、人気も陰り、そしてヒットにも恵まれなくなっていた。

一定のオタク層は変わらずにいたが、一般にはもはや浸透しなくなっていた。

モーニング娘以降、グループとダンスが必須となった

モーニング娘。がもたらした変化は、かつては単なる寄せ集めでしかなかったグループアイドルを、メインストリームに押し上げたこと、そしてダンスを取り入れたことであった。70年代、80年代のアイドルには、振り付けはあってもダンスはなかった。なにしろ、ピンアイドルだから歌うだけで十分だったからだ。

しかし、グループとなるといささか事情が異なってきていた。大勢いるメンバーが、ただ立ってるだけでは、様になりゃーしない。とにかく間が持たない、という訳でダンスを踊らせることが必須となっていた。たぶん、これは間違いないだろう。

マドンナや欧米系ミュージシャンの影響もあったはずだが、それよりも実質的な必要性に迫られたからと思われる。欧米系に影響を受けた安室奈美恵さんのダンスとは、あきらかに違っていた。それはあくまでアイドルのダンスとしか言い様がなかった。ある意味では日本独自の文化ともいえる。違うか?。

そして、いまではアイドルとグループとダンスは、当たり前となっている。

あやや、ピンでデビュー

グループアイドル全盛の中で唯一異彩を放ったアイドルがいた。それが、あややこと「松浦亜弥」であった。彼女もつんくプロデュースでデビューした。しかし、彼女はグループではなく、ピン(一人)のアイドルとして登場した。

グループアイドルが全盛の時代に、あえてピンでデビューさせたのは何故か。やはり、つんくもかつてのアイドルの面影を追い求めたのかもしれない。

松浦亜弥は、2000年に14歳でデビューしている。2001年には、「LOVE涙色」をヒットさせて紅白にも出場した。その後、「♡桃色片想い♡」(2002年2月6日)、「Yeah! めっちゃホリディ」(2002年5月29日)などをヒットさせるが、徐々にヒットから遠ざかってしまった。現在は、活動休止中である。

ちなみに彼女はすでに結婚し子供もいる。松浦亜弥以降に目立ったピンのアイドルは登場していない。もしかしたら、彼女は最後のアイドルスターだったのかもしれない。

最後のアイドル、それは上の動画(2008年のライブ)をご覧いただければきっと納得するに違いない。歌唱力は申し分なく、またダンスもキレがいい、そして何よりステージでの輝きぶりが半端ない。現在、アイドルは数多くいるが、こんなにもステージでの一挙手一投足が様になるアイドルはいないだろう。

6lqkr7CcHMAGzxE_H8yfT_180_mini

AKB48の登場とアイドルブーム

モーニング娘。が、徐々に後退していくなかで登場したのが「AKB48」であった。AKB48は、モーニング娘。と同じくグループアイドルをコンセプトとしていた。ただし、スター性ではなく、そこらに普通にいる女子がアイドルになっていた。「会いにいけるアイドル」、これがキーファクターとなっていた。

AKB48は、おニャン子を生んだ秋元康氏が満を持して誕生させたものであった。たぶん。なんせ、秋元氏は90年代以降はどちらかといえば不遇を囲っていた。90年代の一時期では、本業をそっちのけでゲーム会社の役員となっていた。その会社の実質オーナーとは、アメリカ旅行等に行く間柄だったからだ。

そんな不遇(とはいっても困っていた訳ではない)のときを乗り越えて、ようやく本来の自分らしさを発揮できる場面がやってきた。それが、AKB48であったのは言うまでもない。それは、モーニング娘。が後退するのと入れ替わる様にして誕生した。まさに、「時は来た」と秋元氏は思ったかもしれない。

2006年2月1日にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。なんと最初は、インディーズでスタートした。話題は集めたが、まだ客はついてこなかった。そんなスタートでありながら、秋元氏は強気であったとか。

2009年発売の「RIVER」で初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得する、その後発表される曲はすべて1位を獲得している。2014年12月、シングル売上総数は3,111万枚を超えた。ここまでに掛かった期間は、8年と10ヶ月だそうである。

まさにアイドル界の化け物となった感があるAKB48である。しかし、そのAKB48にも陰りが見えるとマス媒体はじめ多くで語られるようになってきた。売上はなんとか確保しているが、それが実需かどうかが問われている。それが何を意味するかは、言うまでもないことである。

さて、2015年となり、相変わらずAKB48の一人勝ちが続くアイドル界である。しかし、素人目で見てもなんか一般に訴求する要素にどんどん欠けているように思える。中心メンバーの卒業もあと僅かだろうし、その後はモーニング娘。のようになるか、ならないか。それは、もう少し時間が経てばはっきりするに違いない。

個人的には、もうグループではなく、そろそろピンのアイドルが出てもいい頃ではないか。そんな気がするが、どうもそんな雰囲気がちっとも伺えない。

当方が知らないだけで、どこかにいるのか。もっとも、出現する時は、突然出てくるのかもしれない。一般大衆のひとりとしては、ぜひ驚かしてほしいもんである。

12404513_mini
AKB48の初期メンバーたち

いでよ、ピンのアイドルよ!!お待ちしております。


松浦亜弥の「LOVE涙色」を歌う、未来のアイドル?CUCAさん
このくーかさんは、今年中学生になったとか。相変わらずアイドルを目指しているようだ。モーニング娘。に入れるといいね。

くーかのふしぎにっき

松浦亜弥コンサートツアー2008春 『AYA The Witch』 [DVD]
生バンドをバックに大人のあややが、圧巻のライブパフォーマンスを繰り広げています。その輝きぶりに魅了されること間違い無しです!
松浦亜弥コンサートツアー2008春 『AYA The Witch』 [DVD]

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

おすすめ記事